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更に進化したがっている魂ちゃん。

ちょうど、まさしくここ最近思っていたようなことをこの方が記事にしてくださっていて。

私のnoteを前から読んでくれている方はわかると思うんだけど、この1年、一番自分の内面と向き合った。

8年ほど前にヨガ哲学に出会い、そこから禅、哲学書、スピリチュアル本、輪廻の本、自己啓発、ありとあらゆるものを読んで「幸せ」を追い求めた。

でも、追いかければ追いかけるほど逃げていくような。

理解しようとすればするほど糸がもっと複雑に絡まり合っていくような感覚に絶望した日もあった。笑

そしてちょうど半年前ぐらいに「ノンデュアリティ」「非二元」と言われているものに出会い、すごく強い主張をしていた「わたし」というものが少しずつ薄くなっていって、とっても影が薄い存在となった。笑

「わたし」が姿を薄くするのと一緒に、

未来への焦りや不安、思考、善悪の判断

といったものがゆっくりと姿を消していった。

そして、「幸せに成る」ために何かしないといけない!みたいな前のめりなエネルギーも消えた。

自分の「生」「生きていること」になんの意味付けも必要なくなったというか。
いいとか悪いとかではなく、生きることそのものをジャッジせずに受け入れているというか。そんな感じなのだ。

半年前の私とは内面が明らかに違う。感覚が全然違う。

一言で表すなら、ただただ生きやすい状態なのだ。

話の本題はここからなんだけど( 笑 )

そんな状態になって、最初のうちは心底安堵した。
もう苦しまなくていい。もう何度も生きる意味を心の中で唱えなくていい。

やっと終わった。と。

ただ、そんな今感じているのは、まだ進化を求めている自分がいることだった。笑

明らかに以前と違うのは、

進化を求める際に苦しみというものは一切ないということ。

進化を求める理由が、苦しみから逃れたい。では一切ないということ。

自分が今よりももっと、「幸せになる」「楽になる」ための衝動や行動欲求ではない。
欲求のベースになっている感情が以前と全く違うと言ったらいいのかな。

ただ、純粋に意識を高めたいと思っている感覚?かなぁ。
自分でもはっきりとよく分からないのだけど。

この、ただ純粋に生を受け入れられている今の状態で、より良く生きてみたいというか。誇り高く生きてみたいというか。。笑

個の自分が上がりたいわけではなく、みんなで上がるために進化したいっていうか。

ありきたりな言葉であえていうなら、

人として、強く優しく生きたい。かな。w

なんかうまく言葉で表せないし陳腐な表現になるからから今まで書けなかったんだぁ。(結局うまく書けてないし)

じゃあ具体的に何をしよう!とか全然湧いてこないしね。


でも、例えば、
何か張り詰めていた人の緊張が、私と話してするっとほぐれたり、
「こんにちは〜」って挨拶した人に少しあったかいホワンとした感情が伝わったり、

なんていうか、ガッツリ導きたいというより、
「平和」「心地よさ」のインスピレーションの断片をパラパラと散りばめて、半径5メートルぐらいから、少しずつ平安の輪がおっきくなっていくような感じで全体の意識を上げていきたいなぁって。

あとは、凛とした強さが欲しい。
めちゃくちゃ柔軟な体なんだけど、体幹(コア)は一切ブレないみたいな( 笑 )

なんてことを思う今日この頃なのでした。独り言です。w


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