何に寄り添い何を切り捨てるのか

わたしは【惑星音叉】と言って地球をはじめとする天体の音を響かせる音叉を取り扱っているので、日々天体の動きに注目して生活しています。

とはいえ、西洋占星術に詳しいわけではないので、信頼出来る占い師さんのブログなど参考にさせて頂いています。

誰だったか〜覚えてないのが残念なんだけど、2020/3/10の満月についてこんな事を書かれている方がいて。

何に寄り添い何を切り捨てるのか

そりゃ勿論、セラピストですから。

弱っている人や苦しんでいる人に寄り添いたいと思う。そして、今1番身近で弱っている人といえば母である。

いや、寄り添いたかったらそうすればいいじゃん。って話だが、これが私にはハードルが高いのだ。

子供の頃の話を少ししようと思う。

私は、両親に愛されて育てられたと思う。というか、そう理解している。理解はしているけれど、その実感はさほど無い。

心理学を学び、社会経験を積んで、多くの人と関わる中で、人にはそれぞれ様々な愛の表現の仕方があると知って両親の愛の表現はああだったんだな。と理解出来る様になった。

ただ、幼い私にとっては両親の愛の表現の仕方が、本来私の魂レベルで知っているそれとは違った為に、『私は愛されていないのだ。』と感じてしまった。

つい半年程前、年子の弟の結婚式があった。
彼は手紙を用意していて両親に対してこんな風に述べていた。
「お父さんとお母さんの子供で良かった。そんなことを考える必要も無いくらい安心の中で過ごすことが出来た。」と。

年子だったので、乳幼児期を共に過ごした彼。
両親はどちらかをえこひいきする、というような事もなく同じ様に愛情を注いでくれていたように思う。
彼にとっては両親の愛の表現が見事にマッチングしていたんだな。とふと思った。

思えば彼は、兄弟の中で飛び抜けて健康にスクスク育ち、大人になっても自分のやりたい事をやりたい様にして過ごしている。

一方の私は、
どうしたら私のことを愛してくれるのか?

そんな風に不安と怖れを感じながら日々を過ごしていた。

お母さんの言うことを素直に聞いていればいい。
ワガママ言わなければいい。
泣いたり怒ったりしなければいい。

そんな事を感じながら成長した私は、
思ったことを言葉に出来ない。
自分軸の無い依存的な人間になっていった。

子供の頃、ガッツリお説教をされた記憶は無いし、
(なんなら父からは怒られもしなかったが褒められもしなかった。)
多分両親も、愛する娘に嫌われたくない。そんな想いがあったのだろう。だから、何も言わない。

でも、それなりに思う事はたくさんあるようで、
私には弟たちに対するあーでもないこーでもない。を言ってくるし、
私の事も弟たちに色々ブツブツ言っていたのは知っている。

私達は本音を語り合う事をしてこなかった。
だから、お互いへの理解が足らない。
寄り添いたくてもどう寄り添ったらよいか分からないのだ。

話を今に戻そう。

偶然にも10日、別件で実家に帰ることになっており、その日の夜は一緒に過ごす事となった。
これは、しっかり向き合って私の想いを伝えるタイミングなんじゃなかろうか。そんな風に思って実家に向かった。

結果、何も伝える事なく時間が過ぎた。

想いを伝えよう!って決めて家を出たのに…

もう、自己嫌悪で潰されそうになる。

このグダグダした感じ、いつまで味わい続けるんだろ、私。
パッーと話して終わりにしちゃえばいいのに!
なんでそれができないんだ?

そんな時、湧いてきたのは

もうこれ以上、傷つきたくない。

勇気を出して向き合っても、またこの間みたいに(実は色んな事に気付いてから何回かは向き合おうとチャレンジしている。)
また、ソッポ向かれたり、蔑ろにされるのが怖い。

なんで私だけこんなに苦しまなきゃいけないの?

そんな悲鳴にも似た私の声が聞こえて、涙が溢れてきた。

あー、ごめんよー。私。
私、気づかない内に自分で自分の事追い詰めてたんだなって。

あぁ、私が寄り添いたいのは他でもない私自身だ。
私の中にいる悲しみや怖れを抱いてる小さな私。

そして、切り捨てるというと言葉がちょっと強いなと思うけど、誰かを追い詰める様な、否定する様なそんな私はもう居なくていい。

2020/3/10の満月にそう宣言しておこう。