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私の魂の成長の話 ④
今日はナルコレプシーから少し離れて母娘の話
人間は地球に産まれてくる時、その人生で学びたい事を学ばせてくれる親を選んで産まれてくる。
特に母親を。
私はこの母親から何を学びたくて選んだんだろう?
それはズバリ、境界線。
私達、母娘は長い事、共依存の関係だった。
両親は結婚してからなかなか子宝に恵まれず(降りてくるのが遅くてすみませーん😝)やっと産まれてきた私はそれはそれは大切に愛されました。でも、大切にされずぎてその愛情は束縛に近かった。
一方、私は子供の頃から感受性が強くて繊細で空気をよむ子だった。
誰かと一緒にいると、あ、この人今日機嫌悪い。とか、なんか落ち込んでるな。とか分かる。
それは今でもそう。
子供の頃、誰に対してそれを感じていたか?といえば真っ先に出てくるのは母親。(何故か父にはそれを感じなかったのよね〜。)
私にとって母親の存在は絶対で、
お母さんがこう言ってるからこうする。
ああする。だった。
習い事も、学習塾も全部そう。
自分からこれ習いたい。っていって始めたのはなかった…。
年を重ねて学んでくると、
こうするとお母さんが喜ぶからやろう。
ああするとお母さんが嫌がるからやらない。
私の行動の基準は私がどうしたいか?
ではなく、母親がどう思うか?
に自然となっていった。
これを繰り返しながら成長すると何が起こるかというと…母の管理下にある内は、安全で人生上手くいってるようにみえるが(ホントは上手くいってない。だって、病気になっちゃってるし)社会に出た途端、自分の事を自分で決められない自立の出来ていない人間が出来上がる。
そして、母以外の他人にもそれをしてしまう。
人との関係性を築くときに、自分がどうしたいか?ではなく相手がどうして欲しいのか?を考えながら行動する。いわゆる、他人軸っていうやつだ。
傍からみるとそれは優しい人。にみえる。
実際、私は他人に優しいと思うしそれが長所でもあると思っている。
が、しかし。
それはひっくり返すと自分には全然やさしくなかったりする。むしろ、自分自身を傷つける事になったりして。
その事に気づいても尚、今までなかった境界線を作るのはなかなかに難しくて、とうとう一緒に暮らせない。となり逃げるように実家を出たのは36才の時。
精神的な距離が置けないなら、物理的な距離を取るしかない。じゃないと、自分を守れなかった。
そうして、私は私を守る事に成功したかの様に見えたが、それは本当の意味で成功はしていなかった。
何が起きたかというと…母が病気を患ったのだ。
…続く。
あ、母娘の話、一回で纏まると思ったら全然終わらなーい(笑)