私の魂の成長の話 ⑧

母と向き合わなくては!!

とは思ったものの、どう切り出したらよいのか?

途方に暮れていた私にキッカケをくれたのはマイアさんだった。(私のアロマ音叉の師・今後たびたび登場するのでお見知りおきを。) 

当時、私はアロマ音叉の学びを深めるため、桜新町にサロンに月二回のペースで通っていた。アロマ音叉の講座は、音の療法のなでセラピストとして人間としてのリアルサウンドを大切にしていて仲間と自分自身のことをシェアする時間を長くとる。

私は、毎度のように涙声になりながら、自分の事を話して聴いて貰っていた。

そんな私に一枚のチラシを渡してくれた。当時、マイアさんが海外のお友達から購入したという健康機器を体験しませんか?というようなチラシだった。

これを使っても使わなくてもどっちでも良いの。お母さんに話しかけるキッカケに使ってみたら?という優しい言葉と勇気をもらって私は実家に帰ることにした。

家に帰るといつのも場所でいつものように新聞を読んでいる母がいた。

私は母の目の前に正座で座り、1枚のチラシを差し出した。そして、怒涛のようにその健康機器の説明をしたと思う。母はそんな私の様子から何かを察したかもしれない。

怪訝そうにチラッとそのチラシを目にすると

「お母さんはいいよ。そういうの興味ない。」

はい、そう来ますよね~。とは思っていたが、今回は、はいそうですね。と引き下がるつもりは私にはないのだ。

いや、ちょっと待て。と端から否定することを考えずにどうしたらよい方向に進むのか、考えてみよう。的なことを話したと思う。

そんなやり取りをしている途中に部屋に入ってきた父。そして放った余計なひとこと。

「それをちょっと体験したらなんか高いもの買わされるんじゃないのか?」

はい?今何て?完全に私の怒りスイッチボタンを押しましたね。

今思えば、ただでさえ緊張して圧強めな話し方だったと思う。その時点で、母は私を怖いと思っていたかもしれない。

が、怒りボタンにスイッチ入ってしまった私は、その感情を抑えきれず言葉ではなく、涙があふれてくる。もう号泣。子供の頃から、泣くことを許されてこなかった私。許されなかったというよりは教えてもらわなかった。に近いだろう。両親もまた、感情を表現する。ということを知らないのだ。

両親の前で感情を露わにして泣くなんて、いつからやってこなかっただろう。でも、ここで私は泣くのを我慢してはいけない。我慢する必要もない。私が今、感じているありのままを見てほしいのだ。

子供の頃から、ずっとそうだったんだと思う。

私のことを見て。

私が何を感じているか知って。

それが、私が両親に求めていた愛のカタチだ。

でも、それは無理だったんだと思う。

というか、それが無理な両親を選んで産まれてきたんだ。

愛のカタチはヒトツじゃないことを知るために。