私的現代有機農業のコンセプト
会社での生産が始まり1年半が経った。
会社で運営する東京都の畑は私にとってもう何度目か新天地の畑であったけれど、周囲の助けや天の恵みのおかげで、これまでのところ年間を通して出荷を切らさず安定的な生産ができている。自社店舗での売れ行きも好調で、我々の栽培する野菜をやれ俳優の誰ソレがお気に召しているとか、あの元横綱のなにがしも大人買いしていってくれるなど、東京らしいフィードバックもあり嬉しい限りです。みなさまありがとうございます。
さて、来年からは生産量を増やし、販売先も拡大していく為に会社のスタッフに有機農業のコンセプトを共有する機会を持つことになった。それに向けて自分の意見をまとめる為にこのnoteを書くことにする。自戒の念の意味合いが強いけれど、この記事を読んでくれた人に少しでもなにか感じるものがあれば幸いです。
前提として、私は「有機農業は産業である」ということを掲げたい。有機農業は自動車の製造や通信インフラサービスと同様に人々の生活に必要なものを生み出し提供する経済活動なのだ。我々は早期退職して田舎暮らしを始め、農的ライフを謳歌する人たちとは違う。プロとして適正な対価を得るべきなのだ。自然と共にあるはずの有機農業者がカネの話をするなんてフシダラだ!などと言われることがあるが、これが日本の有機農業の発展を妨げる大きな要因の一つであると私は思う。有機農業は一個の産業なのだ。私は農業家としてサッカー選手やYoutuberと同様に子供達にとって夢のある職業であって欲しいと切に願う。
有機農業の大きな特徴として無農薬、無化学肥料での栽培があげられるだろう。これは自然環境への負荷を考慮し、持続可能な栽培を行うことだ。自然農や自然栽培、炭素循環農法などいろいろな手法があるが、これも大きく言えば有機農業の一部だ。こういった有機農業の持つ持続可能性は環境問題の解決手段として現代社会にとって大きな価値を持ち一般的に認知されている。
現代において有機農業の持続可能性が一定の価値を持っている。にも関わらず、それは経済的価値に変換されていない。立派な仕事をしていますね、などと言われることはあっても、前述の通り、そこに産業的・ビジネス的要素があってはならない風潮が存在している。
なぜならば一般的に「持続可能性」という時、それは自然環境の食物連鎖的な持続可能性を指していて、そこに人間の活動は含まれていない。海や山や森や動植物たちを守る為に人間の経済的活動はまったくの害悪だ、という信念がある。人間の経済活動による自然破壊。人の強欲により破壊される自然。自然の脅威たる人間。
しかしながら、自然と人間がまるで対立するふたつの存在と考えるのはまったくの傲慢だと私は思う。必要なのは人間の存在や活動も壮大な自然の活動の一部である、という謙虚さを持つことなのではないか。経済的な部分も然り、人間の活動もこの自然環境の一部として永続的に続いていく。その為に有機農業という産業に携わる者は注意深く、不断の努力を積み重ねていくべきではなかろうか。そう考えてこそ始めて本当の意味での永続的な活動ができると私は考える。犠牲の元に打ち立てられる永続性など欺瞞だと思うのだ。無農薬だとか無化学肥料だとか、そういった技術はこの考えの元にあって始めて現実的になる。
つまり、人間やその活動が自然環境に含まれるものと捉える姿勢こそが産業たる現代的な有機農業の在り方だ、と私は考える。産業としての有機農業は未来に向けて、自然と人間が分裂した現代の破滅的とも言えるライフスタイルを変貌させていく活動を行うことなのだ。個別の栽培技術というのはこの活動の過程における副産物程度のものであって、肝要なのはそういうことだ。と私は主張したい。
ここまで読んでくれてありがとう。あなたがいつも健康でありますように。
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