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路地裏の雑文集 vol.2 橘川さんと、2020年言葉の旅(2020:A Word Odyssey)。

先日インスタライブでお届けした橘川さんとの会話とそこで交わされた言葉の断片が、やっぱり染み入ったので今回はそれを書きます。

君は、橘川幸夫を知っているか ?

まずは、改めて橘川さんの紹介を少しだけ。

(ご存知の方は、すっ飛ばしてください。館長の余計な自分語りも挿入されます。お急ぎの方は、後段へお進みください。)

橘川幸夫さん、御年70齢、職業は多岐にわたりすぎて分かりません(笑)。1972年に渋谷陽一さんらと、かの伝説の音楽雑誌「ロッキンオン」を創刊。1978年に全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。参加型社会の到来をいち早く喝破し、その後、数々のメディアの開発、プロデュースに関わりながら、大学の教壇にも立ち、全国各地で講演会を開催、数多くの書籍を執筆しています。

長年にわたり私塾も運営され、メディアで引っ張りだこのあの人も、今を煌くIT企業のCEOも、実は橘川さんの門下生だったり。ご本人のメディア露出が少ないためか、その慧眼と功績に対して、一般的な知名度が見合っていないのが不思議です。

まあ、僕にしても橘川さんを知ることになったのは運がよかっただけです。

中学生の頃から親の影響で、洋楽にかぶれ、横浜スタジアムでぼったくりのようなBON JOVIのライブを観たり(スタンド最後尾でJON BON JOVIが蟻にしか見えなかった)、MR.BIGのできっこない早弾きの練習に明け暮れ、渋谷陽一さんの「ロックベストアルバムセレクション」という文庫を手引きにA〜haからZZ TOPまで学習したり、当然「ロッキンオン」を立ち読みしては新譜を貪ったりして青春をやり過ごしてきた口でしたが、橘川さんという存在に辿り着いたのはずっと後のことでした。

きっかけは大学3年生の時に偶然本屋で手にした「暇つぶしの時代 〜さよなら競争社会〜 」(2003年)という本。

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2020年の時評としてさえ有効な気がする、その未来への冒険の書には、これからは成長社会から成熟社会へと舵が切られ、時代を牽引するものが、組織から個人へ、モノ作りからコト作りへ、消費から自己表現へ、マスマーケティングからスモールビジネスへ、と取って替わるであろうことが活写されていて、

リクルートスーツを着て判で押したような履歴書を握り締め、大企業の就職説明会の長蛇の列に並びながらウダウダ葛藤していた僕は、そこに綴られている言葉に希望を見出しては、「個人が主役の時代っていいな、こんな未来が来たらいいな〜」と、胸のすく思いでページをめくったことを覚えています。

あれから17年後、橘川さんが予見していた方向に社会が確実にシフトしているから驚きです。新時代への卓見という点では、それこそ糸井重里さんの「インターネット的」に比肩する名著なのではないでしょうか。

「暇つぶしの時代」のあと、しばらく経って出版された「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」(2008年)っていう、やたらと攻撃的なタイトルが目を引く、橘川さんのひと言メッセージ集(橘川さんは“深呼吸する言葉”と呼んでいる)にもだいぶノックアウトされました。

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『人を好きになることが最強のエンターテイメント。』

『不確かなことを愛せよ、確かすぎるものに愛されるな。』

『友達の友達は赤の他人に決まっている。1対1の関係をなめないように。』

などなど。読者の内側を激しく揺さぶる、高濃度に圧縮された、宝石のような言葉が束ねられていて、いまでも折を見ては読み返すお守りのような一冊。1200円とか安すぎるでしょ。巷の自己啓発本のような即効性はないけど、ジリジリと自己との対話を迫られる良書です。

「暇つぶしの時代」では、時代の本質を言葉で射抜いて、
「ドラマで泣いて〜」では、個人の本質を言葉で射抜く。

2020年現在、僕がこうして街場で、個人の営みに焦点を当てたカルチャースペースを運営していることも、橘川さんの言葉を摂取してきた、その延長線上に位置している気もするし、僕以外にも、橘川さんの言葉が多くの人の実体を作っているのは確かです。

言葉で世界は組み立てられ、言葉で人間は起動するのだなと。橘川さんの本に触れるたびに、言葉というものの真価を思い知ります。(橘川さんは、言葉は社会遺伝子だと定義しています。言い得て妙です。)

ご本人はいつも肩書きを聞かれると困ると仰っていますが、確かに編集者という枠では窮屈だし、メディアプロデューサーと呼ぶには実利にあまり執着がなさそうだし(すいません!)、ううーん、何でしょうか、言葉を道具に物事の真理に迫るという一貫した姿勢からは、哲学者というのが、一番近いのではないでしょうか。大袈裟かな。

そんなレジェンダリーな橘川さんは、なんと学芸大学在住で、毎週のように森さんのカレーを食べにC/NEにやってきてくれるのです。牡蠣とクレソンが大好きなようです。

なんて贅沢な偶然。

最近は橘川さんに甘えに甘え、周年トークイベントにもご協力頂いたりと、そのお言葉をできるだけ絞り取ろうと画策している次第です。

コロナ禍の友へ送る言葉

で、突然のコロナ禍。

未知のウィルスによって、社会の仕組みや常識が根こそぎ崩れ落ち、大変革の時代がやってくると巷間で騒がれる中、橘川さんがどんなことを考えているのか興味があって、緊急インスタライブを企画しました。

館長上田のボヤキを橘川さんに受け止めて頂くスタイルで進行した、その対話の模様を、デフォルメしたダイジェスト版で紹介しますね。

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(写真は2月16日、C/NE周年イベントのもの)

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館長:
お久しぶりです。2月16日のC/NE1周年イベント以来ですね。まさかの展開。自粛要請が続き、4月には緊急事態宣言。店舗でのイベントもできず、在宅が中心。かなりしんどいです。橘川さんはどうですか?

橘川:
上田くん、これはね、宇宙船なんだよ。

館長:
う、う、宇宙船ですか。。

橘川:
いまの状況はね、それぞれが大気圏の外へ、宇宙船に乗って飛び出したようなもの。酸素がないから外には出れない。「家」という最小限のカプセルの中では、オンラインで仲間と通信するしか手段がないんだよ。いまはそれぞれが通信し合いながら助け合うしかない。

館長:
なるほど、言われてみると宇宙船の通信っぽいですね、いまやってること。リモートワーク、オンライン会議、オンライン飲み会。すごく便利で大いに可能性を感じる一方で、難しさや違和感もかなり感じます。

橘川:
上田くん、これがね、いわゆる情報化社会なんだよ。僕はずっと、それこそ「暇つぶしの時代」の頃から、個人が個人とダイレクトでつながるP2P型の社会のイメージを持っていた。とはいえ古い慣習も根強いから、それにはあと50年はかかると思っていたのだけど、今回のコロナで、一気にその社会がやってきちゃった。

館長:
確かに、オンラインコミュニケーションは、空気を読むみたいな緩衝材なくて、よりダイレクトなイメージがあります。

橘川:
個人と個人がつながる情報化社会では、出席することだけに意味があった会議とか、曖昧な調整とか、ただ頭数を揃えるだけの飲み会とか、そんなことよりも、個人がちゃんと言葉を持って発言することが求められるんだよ。近代は組織の論理で動いていて、組織を円滑に運用するために個人があった。僕はずっと、これからは組織から個人の時代になるって言ってきたけど、オンラインが、個人化と言葉の可視化を加速させるよね。

あと、余談だけど、オンライン会議や飲み会やると分かると思うけど、あれちゃんと場を仕切る人がいないと成立しないんだよ。ファシリテーターって専門業のイメージがあるけど、これからは、あれ皆ができないとダメなんだよな。ファシリテーターの養成学校つくるって話も立ち上がっているんだよ。

館長:
MCの需要が高まってるのは、おもしろいです。それにしても、組織より個人としての存在が大事になってくる気はしますね。飛躍するかもですが、政治にも同じことが言えるのでは。この度の、ドイツやニュージーランド、台湾などの各国リーダーと我が国のリーダーの振る舞いを比べても、組織と個人ってものを考えてしまいます。

橘川:
メルケルもニュージーランド首相も、初動が早くて、拡大を最小限に食い止めているのは、みんな女性のリーダーなんだよ(笑)。組織の論理よりも個人として判断できる。経済よりも何よりも、命を守ることが最優先だと本能で分かるんだよ。そこから政策を組み立てられる。日本みたいにオジサンが仕切ると、利権団体へのお伺いや保身、メンツとか、どうしても組織の論理が邪魔しちゃう。だから全部後手後手。判断が遅れるんだよ。

館長:
今回大変だなと思うのが、情報との向き合い方。テレビ、yahooニュース、ツイッター等から膨大なニュースと分析が、それこそ世界中から垂れ流れてくる。「若い人は感染しないらしい」「軽い風邪と同じ症状らしい」「中国の陰謀だ」などなど。推測とフェイクと事実が五月雨式で目に入ってくる。

橘川:
それはもうできるだけ一次情報に向かうことしかないよ。とにかく自分のフィジカル、身体的な感覚を信じるしかなんだよ。自分の頭で考えて、自分の身体で分かるものを情報として信じていく。自分がわからないものは話さないし、わかることだけを話すってのは最低限のルールだと思う。いまは瞑想もおすすめだよ(笑)

館長:
もうしばらくオンラインで生活が続きそうです。半年なのか、1年なのか。この「宇宙船」から再び外の世界へ踏み出すとき、リアルなものと、デジタルなものと、どんな棲み分けがでてきるのか、いろいろ考えてしまう。

橘川:
実際の時空を共有するということが価値になるよ。音楽のライブも、いま急遽オンラインでライブ配信ってやっているけど、あれは、youtubeにある過去のライブ動画と、実際そんなに変わらないんじゃないかな。コンテンツ情報になっちゃう。やっぱりライブはライブじゃないと体験できないんだよ。情報に価値を見出すって人はライブには行かないだろうけど、リアルな空間を求める思いは、いまみんなの中でメラメラと湧き上がっているんじゃないかな。

館長:
最後に、橘川さんが書き溜めている深呼吸する言葉シリーズから、改めて、コロナ禍の今、皆さんとも共有したい言葉をいくつかピックアップしたので、勝手に紹介させてもらいます。


『失われたのではない。自由な空白が生まれたのだ。』


『いつだって本当のことはひとりぼっちだ。』


『友よ、全てを失っても言葉だけは手放すな。』


『来客のない部屋は汚れる。心の中も。』


橘川:
ずいぶん昔に書いたやつを引っ張り出してくるね〜(笑)。これね、まあ、言いたいことは全部だいたい同じなんだよ。コロナ禍でもそうなんだけど、これから個人の時代を迎えるにあたって、自分で考えて、自分の言葉を持つってことが本当に大事だと思う。オンラインでつながることが増えると、余計に心を開くってことをしないといけないんじゃないかな。聞いているだけとか、その場にいるだけってことが通用しないんだよ、
参加しないといけない。

心を開いて、言葉を交わす、言葉を発するってことをしないと、そもそも個人として成立しないんだよ。

考える時間はたっぷりあるんだから、好機だよ、いまは。

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コロナ禍であろうが、「暇つぶしの時代」から、橘川さんの言ってることは確かにずっと変わらないのですよね。

社会が成熟する中で、組織から個人に主導権が移る。そのために個人というものが、それぞれに自立していることが前提となってくる。そして自立というのは、自分の言葉を持って、自分で考えるという態度が土台となると。

自分の言葉を使って、自分の考えを支える。

簡単なようでいて、これが本当に難しい。どうしたって、誰かの受け売りの言葉を借用し、メディアで見聞きした言説に自分の意見を上塗りしてしまうものです。

これからは根源的に考えるという態度が重視され、哲学とか人文学とか、これまでの経済成長時代に見向きもされなかった領域にいよいよ光が当てられるような気がします。教育や学びというものの在り方も、受験勉強至上主義から、そちら側にシフトしていく予感がします。というか、していくべきだと思います。社会や組織の物差しに自分を張り付けるのではなくて、自分の物差しを築いた上で社会と関わることが求められるはず。

橘川さん、御齢70才ですが、これからまた仕事が増えちゃいそうですね。もっともっと忙しくなってしまうのでは(笑)。ちょうど、新刊の執筆中だと聞いています。6月?に出版されるのかな。橘川さんの新たな冒険の書、本当に楽しみです。


C/NEはいま休眠中です。
いつも遊びに来てくださった皆さんと会えないのはなかなかにきついです。

ただ、それぞれがいま「宇宙船」の中で1人になって、本や映画を相棒にして、自分自身のことや社会の在り方について、根源的に考えざる得ない状況というのは、それはそれで良いことだとも思います。

いつか「宇宙船」から外に出て、また合流するときに、自分も含めて、それぞれが新しい視点や意志を宿して再会できたら素敵だなと妄想しています。

橘川さんの深呼吸する言葉をもう一つ紹介して終わりにします。

『人は同じ人と、何度も出会うことが出来る。』


長文、乱文、失礼しました。

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