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路地裏の雑文集 vol.7 カーマインストリートギターが優しく奏でる人間讃歌。

暑さにかまけて、noteの更新サボりまくってました。。

空前のコロナ禍で急遽こしらえた月並みな雑文集で、穴があったら入りたいレベルのクオリティですが、合計3人ぐらい、毎回読んで下さっている、奇跡のような、奇特な読者の方がいらっしゃるので、これは頑張って更新せねばと己を奮い立たせおります。

GO TOも除外され遠出は叶いませんが、休日は映画や本や美味しいお酒を摂取し至福な時間を過ごしておりました。皆さんに紹介したい、分かち合いたい、素敵な作品をたくさんストックできたので、厚かましくゴリ押ししていきます。

NYの廃材をアップサイクルする伝説のギター店


今回、路地裏からレコメンデーションさせて頂くのは、音楽好き、ギター好き、コツコツ職人系好き、NY好き、街角のフレンドリーシップ系が好きな方には、ぜひ観て欲しい映画、「カーマインストリートギター」です。

見落としていた方、見逃してた方も多いのではないでしょうか?

教室の隅っこに隠れてしまうような小振りな作品ではありますが、芯の強い温かな映画です。

NYのグリニッジヴィレッジに実在する伝説のギターショップのドキュメンタリー。NYの建物から出る廃材を再利用してギターに変えてしまうユニークな店主とその店を愛する凄腕ギタリストたちとの交流をカメラが切り取ります。淡々と定点観測のようにお店の日常を描くので、起伏や展開に乏しいですが、それを補って余りある、宝石のような幸せな時間がたっぷりと束ねられております。

「NYの歴史を音として鳴らすんだ」と誇らしげに語る店主は、かのチェルシーホテルだったり、NY最古のバー、マクソリーズなど、長年愛され続けてきた街のシンボルから出た廃材をいそいそとかき集めてきては、男子だったらワクワク必至の雑然と年季の刻まれた工房で、傷や染みもそのままに、めちゃくちゃかっこいい、一点もののギターにアップサイクルしていきます。

規格品や複製品のギターとは丸っ切り異なる工程で、それぞれ固有の素材を解体しては調材しながら、1回1回違ったアプローチで寄木細工のように1本のギターに仕立てていく様は、うんざりするほどに効率が悪く前近代的ですが、完成するギターそれぞれの圧倒的なオリジナリティを目にすれば、深く納得し、うっとりと心を奪われるはず。

モノ消費なんてとっくに卒業したよとイキがっていた自分も、こればっかりはアウト。物欲が最頂点にまで掻き立てられました。給付金をすべてつぎ込んでギターを購入するか超絶悩んでおります。当然、周囲からは猛反対のシュプレヒコールですが。。

十人十色のギター演奏が夢時間

唯一無二のギター作りのドキュメントだけでも見応え十分ではありますが、この映画の御馳走は、そんな偏屈なギター職人を訪ねて代わる代わるやってくるギタリストが、店のギターを手に取り、店頭で適当に試奏するシーンたちです。

WILCOのネルスクライン、THE ROOTSのカークダグラス、JAZZ界の巨匠ビルフリゼール、BOB DYRANバンドのチャーリーセクストン、THE KILLSのジェイミーヒンス、なぜかジムジャームッシュなど、NY出身のトップアーティストからアンダーグランドで活躍するアーティストまで、錚々たるメンバーがこの店を慕ってやってきます。

店主と談笑しながら、おもむろにギターをアンプにつなぎ、思い思いの音を弾き鳴らす時間が、実にマジカル。音が鳴った瞬間、一発で溶け出してしまうほど、各々のギタリストの世界に引きずりこまれてしまうのですよ。

ライブやスタジオでのオフィシャルでタイトな演奏とはまったく違う、休日に自宅で友人と過ごすようにリラックスした雰囲気の中で鳴らす、親密な音とでもいうのか。一点もののギターの感触を少しづつ少しづつ確かめながら、自分の身体に馴染ませながら、優しく音色を奏でるのです。

この先の感動をテキストで具さに表現することは、僕の言葉の貯金では叶わないので、ぜひ映画を観て体験して欲しいところです。

なんというのかな、1人1人が奏でるギターの音色が、見事なまでに、言葉の最も正しい意味で「十人十色」で、そこに確かなオリジナリティが宿っているのです。微妙な個体差はあるにせよ、同じ店のギターで同じ環境で鳴らす音が、それを弾く人間次第でここまで変わるものなのかと。

指の大きさ、指の力加減、指を弦から離すタイミング、指紋と弦の擦れ具合、ピックを弾く力、弾くリズム、チョーキングの癖、etc。そのギターを奏でる人間の持つ身体性はもちろん、彼彼女らのこれまでの人生経験、これまでどんな思いで音楽と向き合い、どんな音楽を届けてきたのかといった足跡が、無意識のうちに、ギターから音を鳴らすまでのコンマ何秒の微細なプロセスを規定してしまっているのですよ。

誰とも違う身体が、誰とも違う経験を伴って、誰とも違う音を奏でるとでも言えばよいのか。神秘的とすらいえる、そうしたシーンと音像の連続が、こちらを夢心地にさせ、幸福な気持ちにさせてくれます。

固有性に光を当てるのがカルチャー


なるほど。この作品からは、NYの廃材で一点物のギターを作る職人と、それを奏でるギタリストの姿を通じて、人間や世界に本来備わっているはずの「固有性」というものの尊さに光を当てようとする意志が伝わってきます。

同じサッカーボールを同じようなスパイクで蹴っているのに、イニエスタにはイニエスタの、エジルにはエジルの、小野伸二には小野伸二の、彼らにしか表現できないボールの軌道とニュアンスが確かに存在し、僕らはそこに熱狂するように。

同じような厨房でも、そこに立つ料理人次第で、まったく異なる味わいとエッセンスの料理が運ばれきて、僕らはそれに感動するように。

同じような材料と設備を使っても、それを扱う醸造家次第で、まったくキャラクターの異なるビールが仕上がって、僕らはそこに共感するように。

カルチャーというのは、おしなべて、我々がついつい見失いがちな「固有性」というものに執拗に輝きを与え、その尊さを讃えてくれるものなのだと再確認致しました。

本来生まれながらにして誰もが持っているはずの、眩いばかりの「固有性」が、年を重ね社会に最適化される中で、ビジネスや教育が大好物とする「再現性」や「複製可能性」や「汎用性」といったものに蹂躙され、剥ぎ取られていくという現有の社会構造に対して、「カーマインストリートギター」という映画は、静かに静かに中指を立てているように僕には写りました。

これまでやたらと忌避され続けてきた「属人的であること」が価値へと反転し、そうした価値を讃えあい、支え合う、慎ましやかな経済やエコシステムへのささやかな希求とでもいうのか。

ギターショップの映画の話が脱線し、余計な領域にまで出しゃばってしまいました。すいません。そんな大仰なこと考えなくても、ビール片手にそこに身を委ねるだけで、心地よくなる映画なので、ぜひ興味ある方は見てみてください。

もう少し時間経てば、C/NEでも上映会できるかな〜。

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