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人を嫌うということ

「みんななかま」
小学生の時、肩につけられたワッペンの標語。

みんなと仲良くしようと教えられてきた。人を嫌いにならないのがいいことのように思ってきた。

でも本当にそうだろうか。人を嫌うというのは、自分を守るための行動なのかもしれない。そんなことを、最近になって思うようになった。

もちろん、良い関係を保てるなら、その方がいい。相手のことをよく知らずに頭ごなしに嫌ってしまうのは、自分の世界を狭めてしまってもったいないとも思う。

それでも、人には「嫌い」という感情がある。なぜ嫌うのだろう。私はこの問いに対して、「自己防衛のため」という結論に至った。それは実際に私が、「自分を守るため」に、人を嫌うことを始めたからだ。

一緒にいると、なぜか私が不利益を被ってしまう友人がいた。なぜか私がつらくなってしまう友人もいた。今までは、「相手が悪いことをしているわけではないから」と、関係を続けてきていた。しかし、その考えのために、私は長い間、疲れ続けてきた。「みんななかま」の呪いである。

ある時私は思った。
「全員が全員仲良くできるわけなくない…?」

ということで、私はその友人たちを、頭の中の「嫌いな人リスト」に入れることにした。「嫌い」というと言い過ぎな気もするから、「苦手な人リスト」でもいいかもしれない。そして、すこーしだけ、距離を置くことに努めた。具体的には、自分からは働きかけないということだけだけど。自分から遊びに誘わない。同じ空間を避ける。それだけでも、少し楽になった。私が傷つくことが減ったからだ。

嫌いな人がいたっていい。大事なのは、静かに離れること。嫌いだからといって相手を傷つけていいわけではないから。でも自分のことも守るために、そっと嫌って、そっと離れられたらいいよね。

こんなことを思う。
私が手を繋げない人の手を、誰かが繋いでくれたらいいな、と。私が仲良くできない人と、他の誰かが仲良くしてくれればいいな、と。イメージは、地球のイラストを囲むように輪っかになって手を繋いでいる、よくありそうなイラスト。仲良くできない人がいたっていいよね。私は、私が仲良くできると思った人とだけ手を繋ぐ。他の人は他の人で誰かと手を繋ぐ。それこそ本当の「みんななかま」なのかもしれない。

では今日も、おつかれさま。

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