noteがスキ。だからこそ、note依存をやめたい。
今回の記事のタイトルは、noteに投稿するものとして相応しくないかもしれません。
ただ、悪意はありません。
noteを批判するつもりもありません。
考えるべきは私自身のnoteとの付き合い方です。
「依存」とは、必ずしもその対象が「悪いもの」である場合に生じるものではありません。
たとえば、「SNS依存」が問題視されることがありますが、SNS自体が「悪いもの」というわけではありません。
その使用方法や頻度が適度を超えて、生活に支障をきたすような状態になったときにSNS依存が問題視されることになります。
タイトルの「note依存」も同様のニュアンスです。
noteは魅力的なサービスであると思っています。しかし、だからこそ、度を超えて嵌りすぎないように付き合い方を考えていく必要があるのではないかと思っています。
なぜ、note依存をやめたいのか?
noteを利用してきて、自分なりに、「これはなんとかしなくては」と考えることがあります。
なぜ、note依存をやめたいと考えるのか?
そこにはいくつかの不安があります。
noteでないと書けなくなってしまう不安
noteは文章を書きやすい場です。
他のSNSやブログサービスでは言葉に詰まってしまうような場面でも、noteであればスラスラと言葉が浮かんできます。
これはnoteのUIが優れているからか、noteのユーザーが温かいからか…
恐らくどちらの理由も当てはまることでしょう。
このことは、noteがクリエイターにとって魅力的な場であることを示しています。
しかし、それゆえにnote以外の場で書けなくなってしまうことへの不安もあります。
noteを始めてから、文章を書くペースは圧倒的に速くなったように感じます。
それをnote以外の場でも発揮できるようになりたいものです。
noteの世界で完結してしまう不安
noteはオープンな場であるとともに、ある面ではクローズドな性質ももちあわせています。
noteの読者の多くはnoteユーザー。
ゆえに、noteユーザーであるという共通点が記事を書きやすくしている面があります。
この記事もそうですが、「note」に関する記事は書きやすいです。
なぜならば、多くの読者がnoteユーザーなので、ある程度の共通認識のもとで話を展開できるからです。
そのためか、私の場合は、noteに関する記事が多くなりがち。
そうでなくとも、記事中に「note」という固有名詞が多く出現します。
もちろん、noteという題材を用いて、より抽象的・普遍的な思索を進めていくことはできますが、noteに関する話題はnoteの中で完結するものです。
しかし、noteの外では、noteは1つのサービスに過ぎません。
内輪での語りに止まらぬよう、気をつけていきたいものです。
投稿の達成感と自己満足への不安
noteは文章を書きやすく、日々投稿するなかでの達成感も得やすいものです。
しかし、その達成感を覚えるあまり、他の「するべきこと」が疎かになってしまうことにも不安を感じます。
投稿よりも勉強や仕事を優先するべき場面もあります。
達成感は大切なものではありますが、それが自己満足にすり替わっている状況は避けたいものです。
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以上のような不安から、noteに依存していないか確認することの必要性を感じるようになりました。
そして、もし依存的になっていたとすれば、付き合い方を見直す必要があるのではないかと考えています。
より良きnoteライフのために
今回の記事は、noteに投稿するにそぐわない内容となってしまったかもしれません。
しかし、決してnoteを否定するものではありません。
むしろ、noteが良いサービスだと思うからこそ、自分自身に適切な付き合い方を考えていきたいと思った次第です。
より良きnoteライフのあり方を探していきたいと思います。
サポートは、チップのようなものだと捉えています。私も「嬉しい」「心地よい」「勉強になった」など、プラスの気持ちになった時には積極的にサポートを送らせて頂きます。温かい気持ちが繋がっていきますように!