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なぜ旅行で公共交通機関に拘るのか

私は公共交通機関主義者である。

この夏開催されている「青森りんこ in 津軽半島デジタルスタンプラリー」に参加した際もレンタカーは使わずに鉄道、バス、デマンドタクシーといった公共交通機関と徒歩を酷使駆使し、10日間かけて全50箇所のスタンプを制覇した。どうしても旅程上困難な部分はタクシーを使ったが、10日間の歩行距離の合計は200kmを越えていた。(歩数計アプリの数値なので、誤検知などで実際はこれよりいくらか少ないだろうが)

人生で一番たくさん歩いたと思う

こんな酔狂なことをする奴は私くらいしかいない…というのは流石に言い過ぎかもしれないが、そう多くは無いだろう。このスタンプラリーのロゴをよく見ると自動車のイラストが描いてある。つまり公式でマイカー移動が推奨されているように見える。というかそれ以前に車社会と言われている田舎を車無しに巡ることが馬鹿げていることくらいは誰にでもわかる。

スタンプラリーのロゴ、上記リンク先より引用


にも関わらず、レンタカーを利用することは端から頭に無かった。免許は持っているし、別に運転が嫌いというわけでもない。これは日中に酒が飲めないから理由がある。

私は自分が旅行するのも好きだが、それと同じくらい他の人が旅行に行ってくれることが嬉しい。旅行会社に勤める者の性というやつである。ただ、自分の好きなものを他人にも認めてほしいという欲求は読者にも共感してもらえるのではないだろうか。
そんな中で色々な観光地を多くの人に知ってもらいたいのに、アクセスの悪さがそれを邪魔することがあるのを勿体なく感じることがしばしばあるのだ。

「秘境」をコンセプトとしてアクセスの悪さそのものに価値を見いだしている観光地は別として、やはり多くの人が「行ける」場所であってほしい。免許を持っていない若者も最近増えているという。そういった人達にもその場所でしか味わえない体験をしてほしいのである。

そのためにも鉄道やバスといった地域の公共交通機関は無くてはならないものだ。また、観光客だけではなくその地域に住む人々にとっても貴重なインフラの一部である。いくら田舎が車社会とは言え、高齢化が進み免許を返納するケースが増えてくれば必然的にそのような移動手段が必要になってくる。ただでさえ人口が減っているのに、移動が不便だからとそういう人達が都会に出るようなことになると観光地そのものの消滅という事態も起こりうることだろう。

それ故に私は公共交通機関を使いたいのである。
私が旅行で幾ばくかのお金を投じることで存続の一助となる、などと自意識過剰じみたことを言うつもりはないが(町営バスなど長距離乗車しても1回で100~200円くらいしか支払わないこともザラ!)、それでも応援したいという気持ちに嘘はない。そして何より、自己満足であろうとこの場所は免許が無くても誰でも行くことができるんだよ、ということを私自身が証明したい。そんな想いを抱いて、今日も今日とて時刻表とにらめっこしながら次なる旅の行程を考えるのだ。


…とかっこつけて書いたは良いもののマイカーの便利さは十分わかっている。公共交通機関が無い場所で、真夏の炎天下に重い荷物を背負いつつ長ったらしい坂道を徒歩で登っている真横を自動車が高速で次々と追い抜いていく時の心情はなかなか筆舌に尽くしがたい。
そんな時は真っ昼間からビールを飲んでみたり、車では行けないような農道などにふらっと入ってそこでしか見られないような風景を見つけたりして一人悦に入る。そんな公共交通機関主義者が私なのである。

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