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【インタビュー(下)】遅咲き27歳の挑戦、中国プロサッカーで目指す頂点

「これ以上このチームでは無理だろう」。念願のプロ入りを果たした夏達龍(なつ・たつりゅう)選手(27)は思った。試合出場数はチーム最多。しかも、ハットトリック(1試合で3得点すること)を決めるなど結果は残した。しかし、チームから給与が支払われなかったのだ。

  インタビュー(上)に引き続き、(下)では中国でプロ入りを果たした夏選手が遭遇する中国プロサッカーでの試練を紹介する。

支払われない給与

  河北省の3部チーム、保定容大からオファーをもらった夏選手は、「点取屋」を意味する背番号9番を背負った。その期待に応えるように、夏選手はハットトリックを決めるなどチームに貢献した。

  しかし、その貢献に見合う給与は支払われなかった。

  同チームの給与未払い問題は、18年にも発覚している。当時、同チームの選手が微博(Weibo、中国版Twitterに相当)で、給与未払いについて言及・抗議した。以前から財務難を指摘されていた同チームだが、19年1月には、唯一のスポンサーとなっていた保定容大グループが、支援の打ち切りを発表した。

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保定容大チームを所有する容大グループのオフィス前で給与未払いに抗議する選手たち(夏選手は不在)。横断幕には「血汗を流して稼いだお金を返せ、このような選手生活はもう続けられない」

  このような給与未払い問題は、中国プロサッカー界(主に3部リーグ)で度々起こってきた。10年には、南京の3部リーグのチームが、チームの給与未払いに対する抗議として、0-10と大差で試合に負けたことが大きな注目を集めた。同チームの選手は、故意に大差で負けることで給与の支払いを求めた。

  その後、15年に公布された「中国サッカー改革発展総体法案」を皮切りに、中国サッカーの改革が進められた。東方網によると、中国サッカー協会(以下、サッカー協会)は、同年から1・2・3部リーグのチームに対し、給与・ボーナスの支払い証明を選手たちのサインと共に、提出するよう求めた。提出できない場合は、次シーズンの参加資格を取り消すと取り決めた。同協会はその後、4月・7月・10月の3回に分けて給与証明の提出を義務付けた。

チームに見切りをつけた

  夏選手が給与未払いに気付いたのは、シーズンが始まって2ヶ月目の19年5月。審査のある7月までには滞納分を振り込むとチーム側は説明したが、選手だけでなく、コーチやスタッフの給与も未払い状態だった。結果、7月になっても給与は振り込まれなかった。

  このまま規定に従うと、選手たちは給与証明にサインをしなければ、チームとの契約内容に関わらず、チームを離れても問題ない。しかし、次の移籍先を探すどころか、給与の未払いから生活費に困っていた選手たちは、1ヶ月分の給与を先払いする代わりにサインをして欲しいというオーナーの言葉に頷くしかなかった。

  日々の練習で自らを追い込み、試合で結果を出す。だが、給与もボーナス(本来、試合に勝利すればボーナスが支給される)も支払われず、チームの士気はどんどん下がっていったと夏選手は話す。

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相手選手に囲まれながらもボールをキープする夏選手(青色)

  なんとか結果を残して良いチームに移籍したい。もうこのチームには見切りをつけていた。

  シーズンを戦い抜き、夏選手はチームを去った。夏選手は、給与の未払い分に関して、弁護士を介してチームと交渉をしているが、20年11月28日時点では、まだ支払われていない。

※保定容大は20年2月、経営状態の悪化を理由に3部リーグからの撤退を表明。未払いの給与は約900万元(約1億4300万円)にのぼると発表した

コロナ禍のチーム探し

  シーズンが終わったころ、夏選手は深センの3部チームから入団テストに呼ばれた。練習に参加し、手応えは良好。中国が春節休み(旧正月の休み、1月末ごろ)に入ったため、一度日本へ戻った。チーム探しは順調に見えた。

※おおよそ、4月-10月がプレーシーズン、11月-3月がシーズンオフ

  ところが、コロナ禍でチームが再度合流する日程は延期。入団テスト再開の見通しが立たなくなった。

  当時、チームに所属していなかった夏選手の収入はゼロ。「去年のチームはほとんど(給料が)未払いという感じだったし、(経済的にも)不安だった」と夏選手は話す。

  日本に滞在していた夏選手が中国に入国すれば、2週間の隔離生活を送らなければいけない。先行きは不透明だが、日本にいてもできることはない。「とりあえず行くしかないと思って、まずは深センに行った」。

  入国から2週間がたち、3月に深センで隔離生活を終えたが、チームは活動休止状態。施設でトレーニングはできるが、まだ選手契約はできていない。この時、すでに半年ほど収入ゼロの状態が続いていた。

  その後、四川の2部チームから声をかけられたことをきっかけに、夏選手は新幹線に飛び乗り、四川へと向かった。

  入団テストを受けたのは、3部から2部に昇格を果たした四川九牛。練習生として試合に参加し、得点も決めてみせた。ここでも手応えは充分あった。

  同チームは6月上旬、夏選手を含む3選手との契約を発表した。

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選手契約を微博(Weibo、中国版Twitter)で発表した。写真は四川九牛微博アカウントより

日本を感じる瞬間

  こうして、無事に新しいチームも見つかり、2部リーグは9月から開始されることになった。感染防止のため、選手たちは練習と試合以外は外出禁止。今シーズンの試合は無観客で行われた。

  これまでのプロサッカー生活を振り返ると、中国でも日本を感じる瞬間が多くあると夏選手は話す。「ファンの中でも日本生まれと知っている人は『ありがとう』と叫んでくれる」。

  チームメートも夏選手が日本生まれと聞くと興味を示す人が多い。

  中国のプロサッカー選手には、学生時代、日本で遠征試合をしたことのある人が多い。日本はサッカーをする環境が整っていて羨ましいとの声を夏選手はよく聞くようだ。元日本代表監督の岡田武史氏の教え子だという中国人選手もいたと夏選手は述べる。

  日本サッカーに対する中国人の評価は高い。夏選手と四川九牛の契約に対し、夏選手が高校サッカー選手権に出場経験があることを評価する声がサッカー談義をする掲示板で多く見受けられた。

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相手選手と一対一の駆け引きをする夏選手(右)写真は本人提供

挑戦者であり続けたい

  近年、アスリートの選手寿命が伸びているとはいえ、27歳という年齢は自身のネックであると夏選手は述べる。プロ入りの時期を「もっと早い方がよかったと感じる」と夏選手は振り返る。

  だが、夏選手は「気持ちはまだフレッシュ」と自信を見せる。

  アマチュアリーグである4部リーグでプレーを始め、あらゆる試練を乗り越えてきた夏選手。今シーズンは初めて2部リーグでプレーできた。

  今シーズンを終えてみると、自身もチームも思うような結果は出せなかった。批判も多く浴びたシーズンだったが、その分メンタル面は鍛えられた。批判への免疫は付いたとし、上を目指して来シーズンも挑戦していきたいと、夏選手は意気込みを述べる。

  日本で目指したプロサッカー選手。挫折から、一度はその夢を諦めたが、サッカーから離れた期間があったからこそ、今の自分があると夏選手は話す。「遅咲きだが、目標は一番上」。来シーズンの活躍に期待したい。

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夏選手の近況はこちらから→Twitter:@TatsuryuX

文/田村 康剛

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