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我が父が38歳だった頃を思い出しながら

38歳の誕生日を迎えるにあたり、ふと我が父が同じ年齢だった頃はどんな暮らしをしていたかを思い出してみた。Wikipediaには我が家のことなど載っていないので、完全に自分の記憶だけが頼りである。
ざっくり僕が小学5年か6年の頃ですね。弟と妹を含め3人の子を養う立場。祖父の代から続く会社の代表を引き継ぎ、少し経ったくらいのタイミングだったかと思う。責任ある立場を全うし、恐らくガッツリ稼いでいたのだろう。すごい。その一方、家では毎晩アホみたいにお酒を飲み、ちょっとでも気に食わないことがあれば誰かれ構わず怒鳴り散らしていた。

今も色濃く残る30年近く前の記憶が、僕の「反面教師」になっている。

とにかく怖かった。どこで怒りのスイッチが入るかわからないもんだから、まともなコミュニケーションを取ることができなかった。結局それは同居している間は解消できなかったどころか、現在も完全には心を開くことはできないままだ。とにかく気に障るようなことはしない、言わない。それだけを心に言い聞かせていたもんだから、進路や就職先などの大事な話も腹を割って話すことなどできず。その結果、何の社会経験もない学生が自分ひとりで浅く考えた道を歩むこととなり、以後は辻褄合わせの行き当たりばったり人生。おかげ様でどうにか暮らしてはいるものの、もう少し「何を学び、どんな職に就くか」のヒントなりアドバイスなりを与えてほしかったというのは偽らざる想いだ。

だから僕は父親として子どもの「良き相談相手」になることを一番の目標としている。

人生の岐路を一緒に考えられる存在でいられるか。何か悩みがあったときに打ち明けてくれる間柄でいられるか。それを実現させるためには、日々の良好な関係構築が欠かせない。いざ進学だ就職だというタイミングにだけノコノコと現れて、ああしろこうしろと偉そうなことを言っても胸に響くわけがない。普段からどれだけ心を開いてくれるかが超重要。そのためには自分が経験した失敗やイヤな思い出話もしなければならないし、日頃から些細な変化にも気付けるだけの感覚を持ち合わせていなければならない。

それができてこその親なんじゃないだろうか。

などと、ここまで読めば完全なる恨み節のような気もしてくるが、親にはもちろんめちゃくちゃ感謝だってしている。特に食事の面では小さい頃から色々なおいしいものを食べさせてもらったし、その経験の蓄積が今になって役立っていることは間違いない。また、極度に冷凍食品や出来合いの食べ物を嫌う傾向にもあったことから、その影響を色濃く受け継いでいるのも自分の小さな誇りだ。少し前に話題になった「スーパーの惣菜コーナーのポテトサラダ」とかも今までほとんど食べたことがないし、生活環境が変わった今もあまり食べる気がしない。

実家に遊びに行くと孫(すなわちうちの娘)のことも全力でかわいがってくれるし、一緒においしいご飯とお酒を楽しむ時間は最も充実感が得られる場面でもある。しかし、2ヶ月ほど前に帰省した際に久々にブチ切れを食らってしまい、事態の収集のためにひたすら平謝りを重ねて実家をあとにするという悲惨な思いをするハメになった。やっぱりこの人と上手に接するのは難しい。
それ以来、実家には顔を出していない。2ヶ月ほど間隔が空くことくらいめずらしいことではないが、逃げたと思われていたらシャクなのでそろそろ遊びに行こうか。また一緒に何かおいしいもの食べてたら楽しい時間が過ごせるはずだ。

いつも読んでくださっている方、スキしてくださっている方、ありがとうございます。お気持ちだけで十分でございます、はい。