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ワンイシューや人気投票になりがちな東京都知事選挙|【特集】あなたの知らない東京問題[CHRONICLE]

東京と言えば、五輪やコロナばかりがクローズアップされるが、問題はそれだけではない。一極集中が今後も加速する中、高齢化と建物の老朽化という危機に直面するだけでなく、格差が広がる東京23区の持続可能性にも黄信号が灯り始めている。「東京問題」は静かに、しかし、確実に深刻化している。打開策はあるのか——。

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文・編集部(吉田 哲)

課題山積の東京だが、流入人口が多い故に地方のような組織票がなく、そのリーダーは人気投票やポピュリズムに陥る傾向にある。国との対立軸を演出したワンイシューを喚起し、その波に乗る候補者も多い。歴代の知事の主張や特徴を追った。

東 龍太郎 
〝東京五輪の顔〟で知事に誘致・開催にまい進

第4、5代(1959年4月~67年4月)

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医学・体育学者。東京帝国大学医学部在籍時に、ボート競技の選手として活躍。卒業後はロンドン大学に留学し、体育生理学を専攻。東京帝大の教授となり、戦後は厚生省(当時)医務局長に就任した。スポーツ振興にも造詣が深く、日本のスポーツ医学の草分け的存在。
(THE YOMIURI SHIMBUN/AFLO)

 1964年の東京オリンピック誘致活動を進めていた59年に、自民党の推薦を受けて出馬。日本体育協会会長を務め、国際オリンピック委員会(IOC)委員として招致活動の先頭に立っていたことから「五輪招致への顔」として支持を得て初当選を果たした。政治経験がなく、当時、内閣官房副長官だった鈴木俊一氏を副知事に任命した。就任から約1カ月後にアジア初の五輪開催を決め、競技場の整備とアクセス道路の建設や東京都の衛生環境改善にまい進。人脈を生かして政府への予算要求や国際舞台を行脚して各国の要人と五輪に向けた調整を行った。多くの行政実務は副知事に担わせ、「五輪知事」と呼ばれた。

青島幸男 
選挙活動をせずに当選 都政の〝初代ポピュリスト〟

第13代(1995年4月~99年4月)

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作詞家、作家、タレント。早稲田大学大学院在学時に放送台本を執筆してデビュー。1968年に参議院全国区で初当選し、その後、連続4回当選。消費税の強行採決に抗議し議員辞職。92年に参院比例代表で5選を果たした。小説『人間万事塞翁が丙午』(新潮文庫)で直木賞も受賞している。
(THE YOMIURI SHIMBUN/AFLO)

 放送作家として活躍し、『スーダラ節』の作詞やテレビドラマ『意地悪ばあさん』での主演といった人気を武器に出馬。自民、公明、社会(当時)など各党の推薦を受けた内閣官房副長官(当時)の石原信雄氏はじめ有力候補を、街頭演説など選挙活動せずに破った。『ポピュリズムとは何か』(中公新書)の著書がある千葉大学の水島治郎教授は「既成政党の支援を受けず既存の政治のやり方でない方法で支持を得たまさにポピュリズムの始まりともとれる動き」と指摘する。ただ、バブル崩壊で批判する都民の声を汲み公約に掲げた世界都市博覧会の中止を果たしたものの、都政での指導力を発揮できず、1期で引退した。

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