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先進国唯一の異常事態 「安値思考」から抜け出せない日本|【特集】人をすり減らす経営はもうやめよう[Part-5]

日本企業の〝保守的経営〟が際立ち、先進国唯一ともいえる異常事態が続く。人材や設備への投資を怠り、価格転嫁せずに安売りを続け、従業員給与も上昇しない。また、ロスジェネ世代は明るい展望も見出せず、高齢化も進む……。「人をすり減らす」経営はもう限界だ。経営者は自身の決断が国民生活ひいては、日本経済の再生にもつながることを自覚し、一歩前に踏み出すときだ。

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 われわれの身の回りの商品の多くは、大きく値上がりすることがない。低価格で多様な商品が販売され、消費者は良いものをいかに安く買うかを考えがちだ。だがこうした日本人の消費の傾向は先進国では異例だという。その課題について、物価研究の第一人者に聞いた。
聞き手/構成・編集部(濱崎陽平)

渡辺 努(東京大学大学院経済学研究科教授)

渡辺 努(Tsutomu Watanabe)
東京大学大学院経済学研究科教授
1959年生まれ。82年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。92年ハーバード大学経済学博士。一橋大学経済研究所教授などを経て、2011年東京大学大学院経済学研究科教授。19年経済学部長。21年4月から現職。15年に経済統計をリアルタイムで提供するベンチャー企業「ナウキャスト」を設立。

編集部(以下、)日本は先進国の中でも特に物価が安いといわれる。なぜ日本はそのような状況になったのか。

渡辺 過去30年以上にわたって消費者が「物価は上がらない」という観念に縛られているため、企業が値上げに踏み出せないのが理由だろう。かつて1980年代の日本の物価は他国に比べ高く、海外旅行に行けばそれが実感できた。当時はプラザ合意などの影響もあって円高基調だったが、国内物価は下がらなかった。

 ところがバブルが崩壊し、平成の長い不況に入る。この間、日本の物価は安くなり消費者の物価に対する目は厳しくなっていった。2008年の金融危機後、日本は経済面で回復を見せたものの、物価は上がらなかった。日銀や政府もこの状況を放置した。2000年代初めに政府・日銀がデフレ回避の姿勢を明確に打ち出せていれば、ここまで消費者がかたくなにはならなかっただろう。

 12年からのアベノミクスでは、金融緩和で円安を引き起こし、物価上昇が企図された。だが結局、起きたのは円安までだった。特に輸入品を用いて商品を製造する会社は、円安の影響で原材料費の高騰分を価格に転嫁することを何度も考えたが、値上げによって消費者が逃げていくことを恐れ、踏み込めなかった。政府の想像以上に、消費者が値上げに対して敏感になっていた。それが現在まで続いている。

図1(note)

人々の賃金が安いことも影響しているのか。

渡辺 原材料価格が上昇しても企業が価格に転嫁できない状況だが、これは人件費でも同じことが起きている。経営者が従業員に報いたい、あるいは新たな人材を高い報酬でリクルートしたいと考えても、人件費の増加を自社製品の価格に転嫁できないので、結局賃上げを躊躇してしまう。

 賃上げができず価格も上げられないとなると、原材料価格の高騰などは、結局製品を作るための工程に関わる人々の人件費に皺寄せがくる。「誰かが犠牲になる」ことで今の価格も賃金も維持されている状態だ。消費増税などを除けば、日本の物価水準は1995年から現在まで、ほぼ一定となっている。特に外食や、理美容などが典型例であり、そこで働く人たちの給与水準も上がっていない。こうした状況を変えていく必要がある。

 80年代までは価格や賃金が毎年上がるという日本経済の健全な常識があった。人々は物価が上がることに対しては納得していた。同時に自分の賃金も上がるからだ。同様に企業も価格を上げても消費者に受け入れられるから、賃金を上げることができた。 

商品の値段を上げられない企業は、商品製造においてどうコストを吸収しているか。

渡辺 特徴的なのが商品の小型化だ。価格は変えずに、お菓子の袋を以前に比べて小さくしたり、弁当の容器の底を上げたりして容量を少なくしている。

 これは2008年ごろに初めて見られた。当時小麦の輸入価格が上昇し、パスタメーカーが容量を小さくして価格は据え置いた。いったんこの傾向は減ったように見えたが、13年ごろから円安の影響で、また増加した。今までと同じ価格を払っているのに小さくなることで食べがいがなくなる。その意味では消費者も被害者といえる。

人々が低価格のものに価値を見出す例として100円ショップが典型だ。エコシステムにどのような問題があるのか。

渡辺 どの商品も100円で買え、その種類の多様さについては企業努力をしているとはいえる。だが、安値の分をどこかに押し付けている。何か製品を作る際、日本国内で製造が完結することは少ないだろう。一部を海外から輸入している。その輸入コストが上がれば原価は上昇するが、価格は100円と決まっているので、人件費などで吸収するしかない。適切な価格付けができているとはいえない。いま100円ショップは300円や1000円などの商品もあるようだが、価格ありきで商品を開発しているならば、かなり不健全な状況といえる。

 経済学の観点でいえば、「フェアプライシング」の概念が重要だ。コストの上昇分は価格に転嫁されるという考え方だ。暴利をむさぼっているのではなく、企業努力をする中でやむを得ない原価上昇などは価格に反映させる。普通の社会では認められることだ。

他の先進国と比較して、日本は物価に対しての考え方はどう異なるのか

渡辺 新型コロナで状況が少し変わったが、その前まででいえば、米国や英国、カナダなどは毎年2~3%物価が上がるのが標準的な傾向だ。一方、日本はほぼゼロだ。このことを日本人が実感できる機会が少ない。数年海外に住んでいた日本人が、久しぶりに日本に帰ると、同じサービスでも日本が安いことを強く実感する。

 例えば私の知り合いは、上の子どもをニューヨークの幼稚園に預けていた。数年して帰国し、下の子どもを日本の幼稚園に入れようとしたところ、上の子どもと同じ利用料で預けられたと喜ぶと同時に驚いていた。ニューヨークでは毎年人件費が上がるため、幼稚園の利用料も毎年高くなっていく。そのため、下の子どもの費用がもっとかかると思い込んでいたのである。

 このことは裏を返せば、日本から一歩も出なければ日本の異常さを実感できる機会がないことを示している。日本人でも、戦後のハイパーインフレや1970年代のインフレなどを知っている世代は、今の値段も賃金も上がらない時代に違和感を覚えるが、今の若い世代は生まれてこの方デフレなので、それが当たり前と思ってしまう。「戦争を知らない子供たち」という歌があったが、「インフレを知らない子どもたち」だ。

 つまり、消費者、企業にそれぞれに思い込みがあるということだ。私は年に一度、物価に関するアンケート調査を行うが、「日銀が2%の物価上昇目標を掲げていることについてどう思うか」と聞くと、多くの人が「とんでもないことだ」という。その理由を深掘りしていくと、「賃金は上がらない」と強く思っていることがわかる。本来は物価も賃金も上がることが普通であるのに、賃金が上がらないという固定観念を持っている状態では物価上昇の話も拒んでしまうのだ。

 企業が「できるだけ安い価格で」と努力をすること、「無駄な人件費を抑えて成果を出そう」とする姿勢、耐えることの意義自体は否定しない。だが、日本はその度をあまりにも越している。

価格が安いこと自体は消費者にとってはいいことのように感じる。長期的に見てどういった点が問題なのか。

渡辺 もちろん価格転嫁にも、顧客満足度を高める企業努力は必要だ。だが本来、企業の製品開発において「真に消費者にとって有用なものであれば、少しくらい高くても買ってくれるだろう」という認識を持つのが理想のはずだ。それによって前を向いた経営ができ、新しい発想で新商品が開発されるなど、ダイナミックな思考を持つことができる。

 ところが価格というゴールが先に設定されてしまっている。経営者もコストを逆算してどうにか利益を出そうと考えるため、これではどうしたって画期的なアイデアは浮かばない。日本全体が後ろ向きの経営になってしまう。これが長期的なリスクである。これは先に述べた100円ショップの例に限らず、その他多くの産業にいえることだ。

 日本のメーカーの担当者と話していると必ず出てくる話がある。ある日本企業が米国、中国、日本で同じ製品を売ろうとする。原材料の高騰などが発生した場合、日本は値上げできない。米国や中国では、消費者に対し「こういう理由だから値上げを行う」と説明すればそれで値上げできる。物価と共に賃金も上がっているから、フェアプライシングの考え方が人々に根付いている。

図2(note)

 こうした状況では、日本企業の研究者や開発担当者は、一生懸命さまざまな努力をしても開発のインセンティブばかり削られていく。新たなものを作ろうとする活力がわかなくなる。そうしているうちに他国は次々に新たに開発した製品を世に出して世界をリードしていく。日本だけが置いていかれる。これが最大の問題なのである。

今、日本以外の先進国は新型コロナウイルスからの経済回復が進み、素材価格も上昇している。

渡辺 一つの正念場ではある。新型コロナの影響による世界的な原料価格の上昇局面で、多くの日本企業がその分を価格に転嫁できれば、現状を是正できるかもしれない。

 だがその可能性を楽観視はできない。かつても、原材料費の高騰を理由に、新年度が始まる4月を中心にメーカーの値上げは行われてきた。ところが、実際に販売されているスーパーマーケットに行ってみると、その商品が特売で出され、これまで見てきた価格と変わらない。

 メーカーがいくら意思表示をしたところで、小売りの段階ではそれが反映されない。なぜなら、日本は流通の川下の企業が〝消費者の声〟を盾にして交渉力を強く持ち、「この価格では売れない」と拒むからだ。そのため、結局途中で挫折するケースばかりだ。こうした構造的な課題がある以上、今回も恒常的な値上げにまでは至らないのではないか。

物価上昇、賃上げの双方の好循環を促すために、何が課題なのか。

渡辺 この議論をすると「人口減少、少子高齢化が問題」「生産性が低いのが問題」「構造改革が不十分」といった声が上がる。共通するのは「根の深い複雑な問題」という認識だ。

 しかし、この物価や賃金を上げようというのは、それらとは別の話であり、「気持ちの持ちよう次第」なのである。消費者、特に若い人たちには、「あなたの賃金は上がるのですよ」と伝える。それによって、商品の値段の多少の値上げは甘受しようという雰囲気を醸成する。

 一方、経営者には、「価格をもっと上げてもいいのですよ」と伝える。そして、従業員に賃上げで報いようという気分を醸成する。これで解決できる。「少しの努力で前に踏み出せば解決に近づく」という認識をまず持ってほしい。もちろん解決のためには旗振り役が必要だ。国がその役割を果たすべきだと思う。

 特に、他の先進国と比較して日本の物価だけ上がっていないという異常性や、賃金を上げることでどのような利点が生まれるかを伝えていくだけでも大きい。

企業側に賃上げを求めても、同業他社の足並みを気にして企業が躊躇しないか

渡辺 その側面はある。今明らかに過剰な牽制が行われている。そこで一時的な価格に関するカルテルを結ぶことを許可するのも一手だろう。

 1930年代の米国が参考になる。実は今の日本の構造と似ている。当時の米国は大恐慌を迎え、物価の落ち込み方は異常だった。米国は価格下落を食い止めるために、鉄鋼業界に一時的に協調的な値上げをしてよいとアナウンスし、それが奏功した。戦争の特需で景気が上向いたという面もある。しかし、独禁法を一時的に凍結して、デフレ回避に向かうという判断は正しかったと思う。

 ポイントは今の状態を「非常時」と認識することだ。それくらい今の日本も危機的な状況だという意識を持って、価格の「協調」を許す仕組みを導入すべきだ。もちろん行き過ぎた協調は弊害が大きい。その仕組みも時限的にすべきだろう。そうした仕組みづくりの提案は、個々の企業や経営者の団体からは出てこない。ここも政府の主導が必要だ。

 国はこれまで物価目標のみを打ち出してきたが、それは政府のメッセージとしてはふさわしくない。先述の通り、賃金が上がらないのに物価目標だけでは意味がない。そこで賃金上昇目標の数字を打ち出すことも求められる。例えば物価目標が2%ならば、労働生産性の上昇分を鑑みて、賃金は3~4%上げる、ということだ。数字よりも、そうした姿勢を政府が打ち出すことに価値がある。

 同時に消費者への喚起も進めるべきだ。やはり若者がターゲットになる。SNSなど若者が関心の高いツールを効果的に用いて、発信力のある人に伝えていってもらうよう、国がバックアップしていくべきだ。その際、「正社員だけでなく、非正規労働者も同様に賃上げされる」と強く打ち出すことがポイントになるだろう。

 日本の消費者も企業も異常なまでに節約志向が高まった。これを打開するには、「今の状況を動かすことは可能だ」、「動かしていきましょう」と問題をシンプルに示しながら、腰を据えてそのようなメッセージと実際の対策を打ち続けていくことが求められる。

出典:Wedge 2021年10月号

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