見出し画像

自著朗読の際は内容以上に、聞いてもらえる場作りに気をかけたいお話

言ノ葉堂 春の朗読会にて。
先日、自作SS『白としての』の朗読をしました。スーア先生です。

初めてQuest夏祭りの中で読んだ時から、ちょこちょこ間こそ空いているものの、今回で6度目の朗読となりました。
今回は特に 約1年ぶりに読み上げたのと、朗読イベントが他に増えていることから『〇〇と比べて見劣りしていると思われたらどうしようか…』と、とにかく緊張していたことを覚えています…。
しかし、今回も変わらず「いい朗読だったよ!」と暖かい感想を貰うことができて、最後には楽しく終わることができた良い時間でした。

この記事は、そうして時々自著を言ノ葉堂で朗読する際に 少し気にかけている事柄のお話。


『読書』と『朗読』の違い

当たり前の話だけど、自身の目で文字を追う『読書』と、人の声により物語を頭で解釈することで風景を感じる『朗読』は それぞれ利点も欠点も、読者(聴衆)に必要なアプローチも異なる。

VRC内でのイベント、ライトニング・モノガタリ集会でも軽く話したところだけど、『読書』の行為にはその延長線に、読み進めるペースの調整・知らない語彙の調査・知らない風景の画像検索といった 自身の知識・想像力について補助する行動を多く取れるのに対し。人の朗読を聞く場合、殆どそれらを使うことができなくなる。
知らない語彙は知らないままだし、現実に経験が無かったり・行った事が無かったりする景色についてはイメージができないままだし、聞いた話に『ん?』と疑問が湧いても、後に戻ることができない。
なので、朗読を聞く事そのものに慣れていないと、通常は『読書』に必要な量よりずっと多くの想像力・MPを必要としてしまうのが常であり…この上選定した作品や、朗読の演出に下記の要素が含まれている場合、よりその一面を強調してしまう。

  • テーマが難解であり、相応の前提知識を求められる(あまり一般的でない時代の歴史小説や、地名が多く登場する軍事モノなど)

  • 場面転換が多く、結末を正しく解釈するために、文中の演出や人名の多くを覚えておく必要がある

  • 演者が読み上げるペースが速く、聴衆に想像を膨らませる時間を与えない

殊更、ほとんどの人間に馴染みが無いはずの自著小説ともなれば余計にそうなりやすいだろう。
最悪の場合は、それが作品に対し『つまらない』という印象を持たれてしまう大きな一因となってしまうのだ。これが、朗読向きの作品の選定に対する、ハードルそのものだと言えるだろう。

恐れながらプレゼンをしました

なので、このハードルに対して対処をする必要がある…
わたしの場合は、まず概要だけざっとを列挙すると、こんなことをしてたりしている。

  • ①: 朗読前の前振り

    • 『描写される情景が聴衆の共感を誘いやすい』点での作品選定

    • 朗読前に自著の概要・あらすじを、文庫本の背表紙程度に伝える

  • ②: 『現実での朗読で必要な動作』をあえて適宜挟む

    • "それっぽさ"で聞く気持ちを刺激する

    • 言葉無く、場面転換があった事の明示やその間を聴衆に伝える

  • ③: 想像が必要な序盤や場面転換直後ほどゆっくり読み上げる

総じて、文章そのものを伝えていく前に。
聴衆なら誰しも持つ『今から聞く作品はおもしろいのかな?』という疑問・期待・不安に対してアプローチしてから、伝えたい内容を伝える という流れになるようにしている。

朗読前に気にかけている事

①朗読前の前振り

初めて演者として朗読した頃から、読む前に必ず『前振り』は入れるようにしていました。
ついこの前の朗読会でやったものだと、こんな感じ。

こんばんはー。(若干拍を置く)皆さま、アバターは見えてますでしょうか。声は聞こえていますでしょうか。
おおむね、この程度の声量でお話をいたします。
各々良いように、ボリュームの調整をお願いいたします。

さて、今回読むものは「白としての」というお話です。

普段何気なく身に着けている、自分の姿や纏う雰囲気。アバターに付けられたパーソナルカラー… それらは過去過ごした歴史の果てに、無意識に自分が選び取った 自分の器とも言えるでしょう。

貴方のそんな器は。色は。どこから来ましたか?
何を想い、どのように選んだものでしたか?

今から読むお話は、そんな自分の器、ひいては個性の有無について。思い悩むあるVRユーザーの過ごす ある時間のお話です。

よければ先程の問いに想いを馳せながら、お聞きください

台本

日頃、我々が書店や図書館で本を手に取る時。
手に取った本を開いて、物語の中に入り込む時。
大抵の場合、わたしを含めて人は本の表紙絵や著者の生きた時代背景・人格、あるいは文庫本の背表紙や帯に記載されているあらすじから ある程度『これはこういう事を描いた本なのだろうな』という想像を少し掻き立ててから読み始めるものではないだろうか。そうすることで、より文章の中に入り込みやすくなるものだろうし…

しかし、先述したように自著、ましてやそれの朗読においては。通常そんな情報を相手に読み取ってもらうことができない。もちろんグループ内でのイベントなので、事前に読み手・作品の情報自体はWebページ・Xアカウント越しに公開されてはいる。いるが、マメに隅々までその中身を見ている人ばかりではないだろう。地元のお祭りに参加する人の大体がそうであるように、背景や歴史を知ってる人ではなく「なんとなく面白そうだから」という動機で来る人の方が多く占められているはずだ。

なので、こちらからアプローチをしなければ。想像力を働かせたくなる熱量が少ないまま、演目を開始してしまうことになる。これはさながら、畑を耕さないまま作物の種を植えていくようなもので、少し勿体なさを感じる。

このため、朗読前の前振りについては。現実で本を手に取る時にその行為自体から感じ取れる情報量を補完し、聴衆の想像力を引き立て、聞いてもらう気持ちを高める目的で毎回差し込んでいるのであった。

②『現実での朗読で必要な動作』をあえて適宜挟む

"VRの朗読において必須でなく、通常失われる情報量"としては他にもある。

『本を取り出しそれを見ながら読み上げる動作』『ページを捲る動作』については、それが無いからと言って別段支障をきたさない。殆どの場合、演者はオーバレイツールによりウィンドウを手元に出しながら、それに従って読み上げるためだ。

しかし、これにより失われる情報量がある。
それは捲られたページ数が示す『今どこまで進んだか』という感覚と、『今場面転換が起きたのか、単に読み上げまで時間がかかっているのか』の理解 ではないだろうかと考えている。

電子書籍でも同じことが言えるが『今この物語は起承転結全体のどの位置にいるか』という感覚については、現実の本のほうがはるかに勝っている。読書の場合はもちろん、人の朗読を聞く場合においても。捲られたページの枚数が、その情報量を明示してくれるだろう。
今どこまで歩いたのか。あとどれぐらいの時間で終わるのか。それが掴みにくい・掴めない物語というのは 慣れていないと聞くのがやはりしんどい。電子書籍に関するアンケート調査においても、電子書籍というジャンルは母数半分程度のユーザが『どれぐらいの時間で読めるか分かりづらい』ため手が伸びにくいと回答したほど、あとどれぐらいの時間で終わるのか。という要素は、楽しむ上で重要な要素であることがわかる。

引用: https://group.kadokawa.co.jp/documents/topics/20130627_ksspr.pdf 10ページ

このため、それを補う方策として。
わたしはこうして、現実で朗読をするように。本を出しながら、場面転換に合わせてページを捲る動作を挟み 読み上げるようにしている。

こうすることで、聞いている立場として『どこまで物語が進んだのか』『場面転換が何度起こり、今起承転結のどのあたりにいるのか』の目途・足掛かりが 特にこちらから補足の言葉を挟まずとも伝わるのではないか。
「今は"転"にあたる場面だから気を付けて聞かなきゃ」「もうすぐオチが訪れそう、いったいどんな結びになるのかな」と言った心理を引き出しやすくなるのでは、と考えている。そんなお話。

こんな感じに読み上げています

③ 想像が必要な序盤や場面転換直後ほどゆっくり読み上げる

再三表現したように、朗読を聞く形で物語を楽しむ場合。聴衆は絶えず想像を繰り返していなければいけない。朗読の間で最もその想像力を必要としてしまうのは、やはり序盤の文章の部分だろう。無から有を生成するには、何であれ相応にエネルギーを消耗しなければならない。次いで、場面転換直後においても。同じ理論によりエネルギー消耗量は多いと考えられる。
逆に言えば、ある程度軌道に乗り始めた物語中盤などにおいては、あまりそれを考えなくてもいい。前提となる登場人物や世界観について一通り出そろうなどしており、想像に必要なエネルギー量が相対的に少ないためだ。

「この小説は誰視点?」「この小説は何をテーマにしてる?」「主人公が身を置く世界はどんな所?」「主人公はどういった目的でこの後動いていく?」「主要な登場人物はどういう人間?」と言った疑問に耳で聞く情報からアタリを付けて、聞き手は頭の中で「こんな風景が繰り広げられているのだろう」と、物語に風景を見出していく。

このため、朗読する側としては。聴衆のこの想像する時間や、想像に必要なエネルギー量について考慮しなくてはならない。
必要なエネルギー量が高い場面程、相応の"間"を必要とする。
ここが大して設けられていない朗読は聴衆がうまく風景を想像できず、中途半端なまま次の場面に連行されて、場が覚めやすくなる。いわゆる置いてきぼりな演目になってしまいやすい。なので、物語の序盤程。また、場面転換の直後などにおいても。想像するのに十分な時間となる間を挿入することで、解決していくのがベターな手段だろう。

ではその"間"とはどれほどか? という問いについては、日本朗読検定協会の打ち出している解説動画の内容がわたしの感覚に近いので例示する。

聴衆は演者から文章を耳で聞いてから、文章中の最後の表現をリフレインする形で場面を想像していくので、短い間で良い場面は、最後の表現を1~2回頭の中で繰り返す程度の時間を。長い間が欲しい場面は、3~4回程度繰り返す程度の時間を取ると良いだろう。という内容が解説されている。
他のテクニックについても解説動画があり、読みたい演目に応じて参考にしてみても良いかもしれない。

おわりに

自著を朗読する際に少し気にかけている事柄を、以上お話しました。
ざっくりまとめると、こんな感じ。

  • そもそも『朗読を聞く』のは『読書』以上に、瞬間的な想像力が必要な行為。聴衆が皆それに慣れていると思わない。

  • 物語がいかに高尚でも、聴衆が想像力を働かせる気概に薄い場になると糠に釘。演者が引き立たせる必要がある。

    • 文庫本の背表紙程度の情報を前振りとして与える。

    • 現実の朗読・本を捲る動作をVRでも模倣して、物語の進行度・場面転換有無を伝わりやすくする。

    • 読み上げた場面の想像力が重く必要な場所ほど、長めに"間"を設ける。

声質や発声・抑揚などについても気にかけてる・もっと気にかけられる部分はありそうだけれど、今回は『自著朗読』において気を付けていること という切り出しをしたので それはまた別の機会に。

この記事を見ている人の中で、もし朗読に普段親しんでいる・する側であるという方がいらっしゃれば。他にこういう点に気を付けるといいかも~というコメントを頂ければ 学びになったり励みになったりします。

拙いこの記事が、誰かの助けになれば幸いです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?