私は私のお世話をするべきと気づいた
私は困っていた。
実は「人柄をよくする」「心を磨く」と言われても、どうしていいのかわからない。
尊敬する先生が「ビジネスで大事なのは人柄」「心を磨く」と言っている。
それが…
どうやって実践したらいいのわからない。
「わぁーい、以前の10倍は人柄が良くなったよ」とか、「いつもより丁寧に心を磨きました」とか、いったい何をしたらわかるのだろうか。
ダイエットなら、体重計にのれば、「わぁー体重が2キロも落ちてる」とか一目瞭然。
お掃除なら、「いつもより丁寧に床を磨いたから、なんだかいつもより気持ちがいいね。」とかこういうのもわかる。
でも、人柄とか心とかどうすればいいんだろう。
スキルアップでもない、数字でもわからない。
と、途方に暮れてしまうのだ。
人柄がいい人ってどんな人なのか、
心を磨くってどんなことなのか、
明確な定義はあるのかなぁ。
イライラしない人が人柄がいいのか。
怒りをほとんど感じないのがいいのか。
悪口を言わない人がいいのか。
でもさぁ、「イライラしているのはダメだ」とか「笑顔がないのはね…」と言うのは、決めつけなのではと思ってしまう。人には人の理由がある。
「いつもしあわせ。うふっ」って感じで話しているけど、いやその裏にある怒りが見えるぞっていう場合もある。
悪口や愚痴だってそう。言うまい言うまいと我慢して、表情が険しい人もいるじゃないか。
そういう観察能力が高いことが、私の不幸なのか。いや、そういうことに気づいても、スルーするのが人柄が良い人なのかもしれない。
こういうことを考えては、「あー、私って人間ができてないなぁ」とため息をつくのである。
だいたいこんなふうに苦しむこと自体、どこか違う。悩みを抱えているのが、人間らしいのかと思い込んでいたかもね。
しかし、最近の私は、そういうことがあまり気になくなった。
希望を持って生きている。
それは…
自分のことを気にかけることを覚えたからだ。
人のことに思い悩むことが時間が少なくなったからだ。
コインに表と裏があるように、モノゴトには必ず表と裏がある。いいことと悪いことはセットになっている。
絶望している自分をどう救ったらいいのさ。
が、最近わかった。
人柄がいい悪いって、人が感じていることだ。
人間の本質ではないと思う。
そして、他人の評価は他人の評価で、その人がそう感じていることである。
それはそれでいい。
問題は、その人に人柄が良いと言ってもらいたくてジタバタするとか、その人がそう感じていることを、無理やり説得しようとすることだ。
私のことを理解しようとしまいと、その人の自由だ。
ということは、私も私の考えで生きていてよく、無理やり説得される必要もなく、他の人のことを理解するかしないかは私が決めていい。
ってことじゃない?
人が言っていることに、ひとつひとつ反応しなくてもいいってことだ。
勝手に理解しなくちゃと思い、理解したはずと思い込み、そんなことに忙しくて自分を無視してたから疲れるんだよ。
人間のできることは限られている。
自分を1番に大切にできなければ、他の人も大切にできない。
自分でコントロールできることに集中する。
こういう話は、何十回と聞いているけど、やっと腑に落ちた。
これはつまり、自分で自分のお世話をせっせとすることなんだよね。
ほかの人が気になり、評価を得たかったりして、思い悩んでいる間は、自分のことは無視している。
1番近くにいて、切っても切れない人間なのに。「何を見て、何を考えて、どうしたいのか。」と、興味を持つべきなのにね。
自分が自分のことをちっとも理解しようとしていないのだ。
自分のことがわかっていないから、他の人がたとえ認めてくれても、もっともっとと望んだり、そんな認め方じゃないんだよーと絶叫する。挙げ句の果てに「誰もわかってくれない」と言い出す。非常にめんどくさい存在になる。
これを認めるのは非常に辛い作業だ。だって、1番見たくない、自分のドロドロに向き合うんだもの。
が、自分を知らないと、自分を助けてあげられない。
自分で自分を認めるなんて、ミジメじゃない?他の人に認められることこそ価値がある。
ここの壁にぶち当たる。
私もぶち当たってはや何十年って感じでした。
で、気づいた。
自分を無視してるから、自分の欠乏感を埋められない。どんなに他人が認めていても、満足できない。
この負のエネルギーを追い払うのだ。勇気を持って。嫌な自分の下には、認められたくて認められたくて、嘆き悲しむエネルギーがある。
なんとか追い払うのだ。
それにはまず、自分のしたいことをすることだ。それには、自分と対話しなきゃだよね。自分の声を散々無視してきてるから、すぐには答えが出ないかも。でも、きっと答えは出てくる。
そんなわけで、最近の私はせっせと踊っているのでわけです。ウジウジ、めそめそうちに閉じこもり傾向の私も、踊ることで負のエネルギーを貯めづらくなった。上手になるにはどうしたらいいって、ストレッチもしたり、足の裏の環境を整えないと身体が支えられないと気づき、靴にも気を使う。
なんてことをしていると、自分のお世話に忙しくなってくる。
自分がしたいことさせてあげるとね、なんて言うか不満のエネルギーが消えるから、空きができるんだよね。
その空きが心の余裕なのだと思う。
他の人にあまり期待しなくなる。
心の安定につながる。
凸凹があっても、自分が総崩れしないでいられる。
そこには他人から人柄がいいとか言われなくても、あんまり気にならないのである。
いろんな感情は湧いてくる。その感情は否定しない。けれども、引きずられない。
機嫌が良くて、自立して、健康であればいい。
本当の意味でできていたら、他人の評価は必要ないと思うんだな。
そして、不思議なことに、こういう境地になったとき、他人からはよい人柄に見えるかもね。
本人はほとんど変わってなくても。
そんな希望が持てたのだった。
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