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ナチュラルモノポリー

いまビジネスに勝利するためにもっとも重要なのは、言うまでもなくテクノロジーだ。テクノロジーにおいて世界最強とされる企業群がGAFAであり、Eコマース分野において世界最強最先端のテクノロジーを持つ企業はアマゾンだ。そのうえ現在も年に数兆円というとんでもない予算規模で継続的に技術開発を進めている。そして自社が未着手な分野において先端的な新興企業を見つけた場合には、拒否することのできないような金額を提示し買収して技術を自社のものとしてしまう。

アマゾンは米国のEコマース市場ですでに約50%のシェアを獲得しており、まだ成長を続けている。そう遠くない将来、日本においてもEコマース市場シェアの大部分を掌握してしまうことになるのかもしれない。その成長はネットを超えてリアルな世界にまで伸びており、とくに米国を見るたびに強く実感される。ホールフーズの買収、アマゾンブックス、アマゾン・ゴーの展開など、米国での街なかにおけるプレゼンスは急激に拡大している。日本においても、これまでアマゾンに接する主なメディアであったPCやスマホの世界を超え、お茶の間のTVにも「プライム」という形でアマゾンが進出している。

特定少数の企業が市場を独占しコントロールすることを防ぐために法的な規制が存在する。それは過去において独占企業が消費者にとってプラスとはならない存在であったからだ。しかしテクノロジーが主役となった今日、独占は必ずしも消費者に害を与えない。アマゾンの価格は多くの市場で最低レベルであるし、さらなる低価格化のための工夫と努力が日々続けられている。アマゾンが提供するサービスに不満を抱く消費者は非常に少なく、顧客サービスはほとんど最高レベルに達しており顧客満足度も極めて高い。つまり従来的な、市場の独占=消費者の利益損失=社会悪、という構図が成り立たなくなっているのだ。

こうしたテクノロジーの時代における新しい独占状態を、ワイヤード誌の初代編集長であったケビン・ケリーは「ナチュラルモノポリー」と名付けた。1998年に発刊された「New Rules for the New Economy」という書籍の中に登場する言葉だが、その中で「ナチュラルモノポリーとネットワークは低価格化をどんどん推し進め、最後には無料化していく」と書いている。グーグル検索、YouTube視聴、フェイスブックなどのSNSによるコミュニケーションなどのように、現在多くのサービスが無料で提供されることがごく当たり前になっているが、すでに20年前に書かれた書籍で指摘されている。

この本ではまた「独占企業は非常に脆く、外部から参入してくる誰かに置き換えられる」とも述べている。それは新興企業によって新たな技術が開発され、その技術的な優位性でナチュラルモノポリー企業を置換してしまう状況を想定しているからだろう。しかしアマゾンの場合、そうはならない。前述したように、アマゾンは現在も他社がとてもかなわない予算規模で技術開発を続けているし、自社が持たない技術を開発した新興企業が登場しても金に物を言わせて買収してしまう。

テクノロジーの時代に登場した、消費者に害を与えない独占企業は誰がどのような法律で制することができるのだろう?消費者自身、はたしてそれを望むのだろうか? 最近のニュースによれば、リアルの王者ウォルマートがネット分野の売上を増加させており、アマゾンの市場独占にも少し陰りが見えてきたようだ。ウォルマートは数年前に急成長するスタートアップのネット企業を数社買収しており、そうした企業の持つ人材、ノウハウ、テクノロジーがようやく売上に反映され始めた結果と分析されている。

しかしたとえこのままウォルマートがEコマース分野において成長を続けたとしても、結局流通の大部分が超巨大企業2社によって寡占されるという状況が生まれるだけだ。そしてこうした状況は米国にとどまらずグローバルに拡大されているので、日本だけが例外的に無事ということにはならないだろう。

たとえばすでにいま悲惨な状況にある日本のアパレル業界もその例外ではない。アマゾンはアパレルに対しても積極的な動きを見せており、その企業規模から言っても、ZOZOが業界に及ぼした影響などとは桁違いのレベルであることが推測される。となると、そこに我々が関わることのできる隙間は残っているのだろうか?強者について学ぶこと、研究することで我々は何かしらチャンスを見つけられるのだろうか?

であるとしたらいま必要なのは、アマゾン的なビジネスではない、なにか別の形のビジネスを考えることではないだろうか?

(次回につづく)

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