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12時間泣いた、もう我慢しないことにした

きょうはたいへんな一日だった。

きょうの中身は二日分くらいの時間が含まれているし、きょうというのは正確には本日では無い。わりと前の、いつだったかも忘れてしまった日の話。


身体がすぐれないというべきか。そこまでしぬほど痛くは無いけれど集中力が無くなる地味な痛さがあり、あぁもう下腹部が無くなればいいんだと思う。

雨も降って、だるいしだるいし、だるい。でも外には出かけたい。会いたい人がいるし、奇跡的にきょうは機嫌がよかったのでたのしい一日だった。

と、しあわせな眠りにつければいいものの、現実はそんなよくある日記のようなもんじゃない。


ひとつの些細なことで、私は12時間泣き続けた。

さすがに永遠に水を垂らしているわけではないけれど、おさまったと思っては涙は流れ、ふとしたタイミングで急に泣き出す。


それは意思疎通が上手くできなかったともいえる。よかれと思ってやったことが、うまく伝わっていなかった。相手に悪気もないし自分のやり方がうまくいかなかったのは、頭では十分理解できる。

でも、その些細なことが何度も反芻して、そのたびに涙が止まらないのだった。


なぜこんなに泣いてしまうのかわからない。うまくいかない いらだちと、かなしさと、くやしさをなんとか奥底から見つけた。

自分の行動がうまくいかないことがくやしい。たのしい時間を泣きわめく時間にしてしまったことが、かなしい。

言い表せばただそれだけのことだったのに、気持ちがしずまらない。必要以上に、いつもよりもおさまることの無い扱いに困る感情と水の流れに、どうしたらいいのか……


きょうの出来事とはまったく関係の無いようなことが、案外キーだったりする。

うまくいかなくてくやしくて、かなしい気持ちがいつまでも眠ってくれないのは、過去にうまくいかなかった事象を、これまでなあなあにして無理やり閉じ込めていたから。

12時間泣いたら、私にしかわからない壮大な物語が見えてきちゃった。


ほんとうはあれはイヤだった。しょうがなく受け入れたけれど、ほんとうはイヤだ。自分の力ではどうしようもなかったことだから、結末は変わらなかった。

うまくいった普通の人が羨ましいから、この話題は「しょうがなかったんだ」と地中に埋めて隠した。「何も気にしてませんけど?」と振る舞って、ちょこっと、ちょこっと増える傷を見て見ないふりをして。


自分の気持ちにフタをした事象が増えすぎた。増えすぎて、なにかを貯めておく場所がこわれてしまった。

きょうのひとつの些細なことで、増えすぎたものも、全部はじけ飛んでしまったようだ。


もう、我慢しなくていいんじゃないかなぁ……と、ふっと頭に浮かんだ。

いろいろなことを我慢していたなと気づく。



我慢しなくていいやと思ってから、少し楽になった。

我慢しないと思ってから、すぐに私が変わるわけじゃないけれど。イヤなことをイヤだといいたい。でも大人になってしまえば、イヤだと言っていたら生きていけないこともあるのだ。

決して相手には伝えないが、心の中でたいそう酷いことを考えたこともある。普段が控えすぎているので、私は少し暴力的になるくらいが生きやすい。

かなしいし、くやしいし、そういう気持ちを閉じ込めないで垂れ流すことにした。


何日か何ヶ月か経つと、イヤだったことが解決するのは偶然だろうか。

気持ちを閉じ込めないこと、我慢しないことが解決に繋がっているとはいえないけれど、そこそこ生きやすい。


なんかもう、すごくイヤになっちゃったあの日から、「我慢するもんか」というお守りができた気がする。

イヤだと思うと、あの時の我慢するもんかという感情が湧き上がる。もう、勝手に傷は増やさない。なあなあになんかするもんか。


いちばんは、イヤなことをイヤだと言えたらいいが、すべてが思いどおりになるわけではない。

イヤとかくやしいとか、気持ちを押し殺すことはやめる。

それだけで少しラクになったんだ。


いろいろ書いてみるので、他の記事も覗いてみてください✨