Yロウの短歌
ドラえもんにまつわる創作短歌を集めた『ドラえもん短歌』という本に、もう10年以上私の記憶に残っている短歌がある。
この短歌を詠んだのは与那さんという方。『ドラえもん短歌』は全国から募集したドラえもんの世界を詠んだ短歌を、厳選して収録した本である。
Yロウ(ワイロウ)とは、ドラえもんのひみつ道具のひとつだ。その名前の通り、「賄賂(わいろ)」と同じ働きをするひみつ道具である。
このYロウを相手に贈ると、相手がまるで大変価値のあるものを貰ったかのように思い、贈った人の頼みを無条件でOKしてしまう。
途中で頼みを取り消すことは出来ず、Yロウを貰ったことを第三者には公言できないようになっている。(政治家の「記憶にございません」と同じ。)
このひみつ道具はY字のロウソクのような見た目をしているのだが、それを受け取った人も渡す相手も、一体何に使うんだろう?と困るアイテムだ。道具の効果でこれは「価値のあるスゴいもの」と思ってしまうだけである。
ドラえもんの漫画にYロウが登場した当時、政治家の国際的な汚職事件があったらしい。Yロウは賄賂事件のパロディである。
当時、ドラえもんのYロウを読んで「賄賂」の意味を知ったという子どももいるだろう。
現在でもドラえもんのコミックスやアニメで登場するYロウを見て、のちに「賄賂」を理解する子がいるかもしれない。
冒頭で紹介した短歌の作者も、子ども時代にひみつ道具「Yロウ」を使ってのび太がジャイアンを買収する話を読んでいたのだろう。ある日、あのとき漫画に登場していた「Yロウ」は「賄賂」だったんだと気づく。
「大人」になるには
政治家や権力者の闇の部分を象徴するような賄賂。それが発覚して事件となれば激しく批判もされる、大人たちの欲望にまみれたブラックな世界を示す物だ。
のび太とドラえもんのお話を楽しく読んでいた子どもが、今まで隠されていた大人の世界に初めて触れる瞬間。
それは賄賂のような金と権力の世界だったかもしれないし、複雑な人間関係を目の当たりにしたときかもしれない。たまたま見てしまったピンクな世界だってあるだろう。
子どもは関係ないよと排除されてきた世界を見ることで、私たちは「大人」になるのではないか。
でも、大人になってしまうと、自分が子どもだったときのことを忘れてしまう。大人の世界に踏み出した瞬間の気持ちも、もう思い出せない。
それはお子様ランチを卒業して、初めて大人と同じ大きさのご飯を食べたときから始まっている。
初めてこっそり深夜番組を見たとき。
初めてオールしたとき。
初めてピンクなコーナーに入ったとき。
初めて政治のニュースを理解出来たとき。
初めて大人と秘密を共有したとき。
えー、当時のことは……まったく記憶にございません。
出会ったときを振り返ってみる
すっかり、汚ったない「大人」になってしまったと度々感じるのだ。
「賄賂」のような金や権力の裏模様を語ったり、子ども時代の無邪気さなんてもう忘れてしまったなど格好をつけたり、しかしこんなものは「大人ぶってる」だけなのだ。
私は今、ただ格好よさそうな文章を作っただけだ。ハリボテのような、よく見たら中身がない文章。キレイにまとめあげ、エモさを少々匂わせられそうな(エモくはない)、雰囲気だけの文章。雰囲気イケメンと何ら変わらない。
Yロウの短歌に出会ってから、もう10年。
この句は「ドラえもん短歌コンテスト入選作(2005年)」として書籍の後ろの方にひっそり載っていた。書籍『ドラえもん短歌』の主役級のスポットライトを浴びることはなかった。
どうしてこんなに覚えているのだろう。
何が、中学生の私に刺さったのだろう。
じっくり考えてみる…………
Yロウと賄賂。新しい言葉の意味を知って、ちょっとだけ頭がよくなった気がして、少し大人に近づいたと思った。
Yロウっていうドラえもんの道具があるんだけどね……って物知りになったと思った。
ただ嬉しくて、面白くて、喜んで、自慢して、共感できる。中学生の解釈だけど、これはよい短歌だなと気に入ったんだ。
きっと。
自分のことだけど、なんだか笑ってしまう。
汚くて黒いことなんかひとつも考えてなかったのだ。この短歌を語るのに、わざわざエモさを纏わせる必要は無い。自分で長い間温めて大切にしていたのに、今日1日でつけた下手な脚色はいらないのだ。
キミの大発見
1年前に受けた授業が、今になって急に納得したなぁとかね。昔習ったことって、これの事だったんだとかね。わからなくてうまくいかなかったことが、急にわかるようになったとかね。
運命の出会いのように、「そういう」のが突然わかるようになるというのかな。
小学生や中学生が感じる「世紀の大発見だーー!」のときのアレだ。あの誰かに話して自慢して……、ああもう早く聞いて欲しい!ってウズウズする感覚。
この「世紀の大発見」をしたときのことを、私は思い出していた。
冷静なツッコミをしてしまえば何も残らないような「当たり前」すぎることでも、昨日までのキミにとっては未知の世界だったんだ。
未知が既知に変わるとき。
私たちはもうその感覚に慣れてしまったけれど、キミには初めての経験なのかもしれないね。
過去の記憶と今日気づいたことを重ね合わせて、答え合わせをしているような。
私たちが既に知っていることを、キミは目を輝かせて叫ぶのだ。
▽ドラえもん短歌
いろいろ書いてみるので、他の記事も覗いてみてください✨