明治維新前に農民も名字あった事実
吉沢亮くんが大河ドラマで渋沢栄一の役してる。
渋沢栄一は藍染農家出身か!と言うよりも…
「なんで農家やのに『渋沢』って名字あるねん」
変人しか持たなそうな疑問を持ったので調べてみた。すると、驚きの事実が分かった。自分がボケた時用メモに書き残す。
【結論】名字名乗れなかったのは69年間しかなかった
「おいおい!農民は明治維新で名字付けれるようになったんだろ?そう習ったぜ!」
「名字のない百姓が『田んぼの中に住んでるから【田中】さんが多くなったって聞いたけど」
そう!それも正解!
ただし、農民全員がそうだったんじゃなく、「ごく少数の農民だけ」だった。
「おいおい!先生や教科書はウソを教えてたのかよ?」
せやで、ウソを教えたんやで!
ひとつずつ手短に説明します。
鎌倉時代には農民に名字があった
平安期は確認出来ないんですが、鎌倉時代になり武士が政権を取るようになって記録が残ってるんです。
ところが、鎌倉幕府は武士の支配を強化するために「名字を名乗る義務があるのは武士だけ!」って命令出したんです。
農民は…
公の場所では、「村越村作兵衛」のような名乗り方しか出来なくなった。「村越村」は住んでいる村で、お店の屋号的な。ほら、落語家も笑福亭鶴瓶さん。「笑福亭」が屋号。こんな感じです。
農民は屋号を名字がわりに使うのが公式ルール。でも、日常ではいちいち名字を使う機会も少なかったから、「作兵衛さ〜ん」的に呼ぶとなんら問題なかったんです。
鎌倉〜徳川幕府が出来るまで
鎌倉幕府が弱くなり、戦国時代の群雄割拠。
武田信玄や織田信長、豊臣秀吉なんかが出てきた時代です。
豊臣秀吉は農民から天下統一した大逆転人生で有名。彼も農民の頃の名前は「木下藤吉郎」
農民、名字ありますやん。教科書に書いてますやん。
そして江戸時代になる
結論に書いたけど
「名字が名乗れなかったのは69年間だけ」
江戸300年と言われた徳川幕府のうちでも全期間ではなく、たった69年間だけだったんです。
「その69年間って何があったんだよ!いい加減教えろよ!」
はいはい。シャッと話しますやん。
江戸幕府の支配が傾きはじめます。
武士よりも商人が金の力でブイブイ言わして、武士がナメられてる感が漂いだしたんですよ。
「これアカンな!締め付けせんと、ワシら武士がエラソーに出来へん…。」
「せや、名字や刀持つの武士だけにしよう。特権にしたら、ワシら商人にへーコラせんでええわ。」『苗字帯刀の禁令』(1801年)
ようは、武士以外から名字と刀を取り上げることで幕府の権威を上げる政策。これが解除されるのが明治維新。
世は明治時代へ
明治新政府「四民平等にするんやから、武士だけが名字持つの辞めにしよか」
(1870年の平民苗字公称許容)と、命令だして終了。
渋沢栄一は藍染農家の人なのに「渋沢」って名字ですよね。「〇〇屋栄一」じゃないんですよ。
その時に日常で、名字を名乗ってなかった太郎さんや炭治郎くんが庄屋さんやお寺に相談。
太朗「オレ、名字忘れてしまったわ。なんか良い知恵ないっすか?」
庄屋「せやなぁ、田んぼの中に住んでるから『田中』にしよ!田中太朗や」
太朗「うわー、庄屋さんありがとう〜!オレ、田中になるよ〜」
炭治郎「ぼく、急にブーム来て名字って言われても…。お坊さまなんかいい名字ないですか?」
お坊さま「そうだねぇ。空前のブームになってるもんね。炭焼き窯で仕事してるから、『竈門』はどうかね。竈門炭治郎、いいじゃないか!」
炭治郎「はい!竈門炭治郎と名乗ります。え?マンガは大正時代?そこはもういいです」
※明治元年で公の場所で名字を名乗る事が出来たのは、当時の全国民(約3,300万人)のわずか6%(200万人)だったと言われています。
さいごに
「先生や教科書がウソを教えてたのかよ?」は、ぼくの解釈では先生にその意図はなかったのではと感じます。教科書も「国の検定」を受けて合格しなきゃ教科書として採用されません。
明治政府がした事を美化したい勢がいる。明治維新を成功させた子孫が今の政財界に山のようにいて、日本の国の支配者。
「自分のご先祖さまは、いい風に語りたいよね。対比に徳川幕府を三流扱いすると、よりご先祖さまが輝くよね…。」
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