見出し画像

いきなりリーダーシップ発揮を求めるのは有効なのか?

はじめに

マネージャーとして目標管理制度(MBO)に携わる中で、チームメンバーに対し「リーダーシップを身に着けて発揮してほしい」とリクエストすることが多々あります。

結果として発揮していただけることもあれば、そうでもないこともあります。
マネージャーの支援や本人の特性、環境の影響…等と言ってしまえば、そこまでかもしれません。

しかし、本当に『いきなりリーダーシップの発揮を求める』ばかりが近道ではないのかもしれないという考えを持ちはじめたので、それをアウトプットしようと思います。

リーダーシップの旅

という書籍に出会いました。

その書籍において、リーダーシップのプロセスが三段階に分かれているという考えが示されていました。

リーダーシップの旅は、「リード・ザ・セルフ(自らをリードする)」を起点とし、「リード・ザ・ピープル(人々をリードする)」、さらには「リード・ザ・ソサイエティ(社会をリードする)」へと段階を踏んで変化していく。この流れをリーダーの成長プロセス、言い換えれば、リーダーが「結果として(すごい)リーダーになる」プロセスとみなせば、リーダーシップをさらに動態的にとらえることが可能になるだろう。

リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)

リード・ザ・ピープルは、いわゆるチームのリーダーのように周囲をリードしていく存在。
リード・ザ・ソサイエティは、キング牧師やガンジーが例として挙げられていました。

注目したいのは、リード・ザ・セルフから始まるという点。
この考えは今まで自分の中に無かったため、目から鱗でした。

従来の考え、例えばPM理論だとかフォロワーシップといったキーワードは、リーダーシップのあり方を三人称で捉えるところがスタート地点でした。

しかしこの本の「リード・ザ・セルフ」は、リーダーシップを一人称で捉えている点が斬新であるように思います。

リード・ザ・セルフとは


リード・ザ・セルフに関しては、このように書かれています。

リード・ザ・セルフを駆り立てるものは、人それぞれだ。夢や大望、情熱という場合が一般的に期待されるケースもあるかもしれないが、そればかりではないだろう。焦燥感、野心であることもあれば、自分自身に規律をはめるプロフェッショナリズムの場合もあるかもしれない。

リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)

これは自分自身の思考や行動を振り返ってみると、思い当たる節が多々あります。

自分自身、「リーダーシップを発揮してほしい」と言われて発揮できたこともありますが、「振り返ってみたらリーダーシップを発揮していた」タイミングも多いです。
そしてそれらは『自発的な、リード・ザ・セルフを起点としていた』ように思います。

私の場合、職場においては
「こんなに困っているのに、こんなに悩んでいるのに、なんでみんな何も行動しないんだろう?」という苛立ちに近い感情から行動に移したり、
「絶対こうした方がいい!その方が働きやすいのに、みんな気付いていないのかな?!」
といった感情を抑えきれずに、行動に移すことが多いです。

リーダーシップを、どうマネジメントしていくか

ここまでの流れでいくと、『その人にとってのリード・ザ・セルフは何か』は、一つ重要な観点になるように思います。
画一的に「この人はリーダーシップがある人、無い人」と括るのではなく、どの領域においてはリード・ザ・セルフの姿勢を持てるのか。そして、リード・ザ・ピープルに繋げられるのか。
それを対話や日々の関わりから共に考えていけると良いかもしれません。

もちろん自分自身に関しても同様で、どの領域においてはリード・ザ・セルフ、リード・ザ・ピープルを発揮できるのか。

改めて本記事のタイトル「いきなりリーダーシップ発揮を求めるのは有効なのか?」に戻ってみます。

過去の経験上、リード・ザ・ピープルを日常的に発揮してきた人は、それでいいでしょう。
ただ、過去リード・ザ・ピープルを発揮する機会が少なかった人は、リード・ザ・セルフから目を向けてみると良いのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?