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インターネット交流

昨今はインターネット上で知らない人と交流して
なんとなくオトモダチのような気になったりする。
頻繁にやり取りをする人は特に親しい気になって
相手が落ち込めば一緒に気持ちが沈んだりもする。

それどころか言葉の矛先が自分なのではないかと
毎日誰かの批判的な発言に怯えて悩まされている。

できるだけ当たり障りない程度の交流を維持して
うまく切り抜けられればいいのにそれができない。

顔が見えない分はっきりと本音が漏れているので
言葉の棘が鋭利な刃物のように洗練されてしまう。
近づかなければ美しい野薔薇の面をしているのに
敢えてそこに近づいて大怪我をすること幾ばくか。
じっと見て見ぬ振りをしていれば過ぎ去ることも
イチイチ拾い上げて向き合って面食らってしまう。

それを何度も何度も目撃している人にしてみれば
またか、と思われるくらい日常的に傷心している。

あまりにもひどく落ち込むので何人かは見兼ねて
もうやめるように、と指導してくれるがやめない。

どんなに傷ついたとしても孤独でいるよりはいい。

誰とも繋がってなければ傷つくこともないけれど
現状の自分ではそれを選ぶことはできそうにない。 

でも最近は無理矢理交流を維持しようとするより
少し距離を取って心を穏やかにすることを覚えた。
そんなことをしても根本解決にはならないけれど
行末を時間に委ねるのも悪くはないと最近は思う。

あとはなんでもなかったみたいにしてみると案外
それに気圧されて復縁したりするのかもしれない。

とは言えインターネットの交友は実体がないので
長年繋がりを持ちつづけること自体が中々難しい。
近年人間関係がインスタントになりつつあるのか
すごく簡単に使い捨てる人が増えたように感じる。

そういう現代の交友方法を受け入れられないのに
現代の交友方法にしがみつこうとするからきっと
こんなふうに日々苦労を強いられているのだろう。

戻りたい場所がある。戻れないけれど。

でも同時に知っている。戻れない場所などないと。

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