量産型の女たち

十年来の友人たちとランチ。
近況を報告し合うなり、親や親戚の介護の話になり、いつも先の見えない暗いところに着地する。
こういう話は聞いておけば今後の覚悟を持てるし、役に立つことも多々ある。
が、自分自身を蔑ろにして人生楽しめないのは本望ではない。

最近、気分転換をして楽しかったなと思えたことは何だったか思い返す。
急なお誘いで大久保界隈の韓国人街でランチやショッピングを楽しんだことくらい。
平日の昼間、あのあたりにいるのはほとんどが中年の女性だ。
もちろん、自分自身がその中の一人である。

インスタ映えするような食べ物や飲み物を前にするも、
少し顔を上げて周りを見渡すと、もう夢も希望もなくしてしまった惨めな女性の姿ばかりで全くテンションが上がらない。
どこも2人から5,6人のメンバーで集まっておしゃべりをしているようだが、どうせ会話の内容は韓国アイドルか冒頭に挙げたような内容だろう。

それらのグループから放たれる謎のオーラから察するに、総じて「男性から大切にされていない」というのが見えてしまうのだ。
港区女子のようなキラキラ、いや、ギラついた感じのオーラというのも何だか痛々しいのだが、男性から大切にされていないから品がなくなってしまう女性、もしくはその反動でやたら美に執着している女性というのが現在も次々と量産されている。

昔、「おぎやはぎのメガネびいき」というラジオでおぎやはぎのお二人が「どんな美人でもセックスレスになるからね」と言っていたのは核心を突いていて、今でも忘れられないフレーズとなっている。
もちろんセックスがあるかないかで大切にされている女性かどうかを決定づけることはできない。
大切にされていないのに体の関係を持つとさらにこじれるから意味が違う。
女性は大切にされないと美しいオーラを放てないのだ。

人に会っておしゃべりするのはとても楽しいが、そこで品のない姿を曝け出してしまうような気分が続くようであれば、一人で過ごす時間を増やした方が良いかもしれない。
そういったお手本となるような女性がいる界隈はどこだろうか。
観察しにいきたいものである。


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