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Moustache

執筆者 無駄一万字家筆まめ

序章

ここから長い駄文が繰り出される。何故かと言うと、現在バンドの皆でやってるラジオという名の生存報告会で、長く文章を書く事ができるのかという話になった時に、誰でも書けるし個人的には内容と洗練された文章表現などを度外視すればダラダラ書く事は苦ではないと言ったから、それを証明する為だ。目的はいかに長く書くかだけだ。内容は保証しない。誤字脱字ご勘弁。

赤い彗星と深淵

世の中の人々が、食い扶持を稼ぐ為に街に這いずり出てくる朝、私は虚無を肩に載せ、眠気を振り回しながら家へと自転車を駆る。
夜中から激しく降り続いた雨があがり、TUBEがチラチラこちらの様子を伺ってきそうな陽気の中、
向こう岸の寝ぐらに身体を沈ませる為、一番小さいギアのまま私は橋の登り坂へと突っ込んでいく。あとは下り坂でジャイロ効果を肌で感じるだけだというその時、視界の端に真紅が現れた。
それが何なのか気になったので、上がり始めた回転を緩やかに落としていく。
その橋の登り坂の頂点には寝っ転がれるほどの広さのベンチがあり、普段ならそこで語らう若者、老人、親子などをよく目にするのだがこの日は一人だけが広いベンチを独占しているようだ。
真紅はベンチに座るその人物の傍らに停められた自転車だった。
カゴ、ハンドル、サドルはもちろん、タイヤ、スポーク、ブレーキワイヤー、ライト、とにかく全てが赤く塗られている。
自転車にはシャア専用と書いてあり、恐らく自分で黒ペンキなどで書いたのであろう、字が歪だ。
それとなく真紅の自転車とその人物を観察しながら、ゆっくりと距離が縮まって行った時、話かけられた。何と言ってるのか聞き取れなかったので、思わず停車した。
正直、無視しようと思った。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだと言うではないか。

「お兄さん、これから仕事?」
「いや、終わって帰るんです。」
「じゃあ、時間あるでしょ、座りなよ」

座りなよって、まるで自分の家の様に皆んなのベンチを扱っている。これが斎藤幸平が言っていたコモンズかと思いながら、深淵から顔を覗かせた好奇心に足首を掴まれる。
その人物は見たところ私より年上の中年男性。
家族の為、食い扶持の為忙しく行き交う皆様からしたら、あれにはなりたくないなというツーショットの完成だ。

「仕事じゃないんですか?」
「休みだよ、もうすぐ一年位経つけど。笑っちゃうよね。一人もんだからさ、たまには会話をしたいなと思う事があるんだけど、通る人皆んな忙しそうだし、わざわざこんなに目立つ様にカスタマイズしたマシーンを誰も見ないんだよね。今日の朝だとお兄さんだけが俺のマシーンを見たからさ」

自転車の事をマシーンと呼んでいる。

「ガンダム好きなんすか?」
「えっ、お兄さんも好きなの?」
「いや、全く見た事ないです、知識としてシャアって名前位はわかる程度です。」
「そっか、残念。でも、俺もガンダムしかアニメ分からないけどね。エヴァとか最近の流行りの鬼滅とかあるじゃん?全然見た事ないし、わかんないだよね面白さが。男は黙ってガンダムだよ。最近のやつは女、子供が喜ぶ様なものばっかだよね。」

凄い偏見と、トキシック・マスキュリニティ。
色んな人が世の中いるもんだ。
そんな中、隣に座って間近にその顔を見てみると上唇の所に薄く髭が生えていて、綺麗に整えられている事に気がついた。
まるで、ジョン・ウォーターズみたいだ。


Moustacheと腋毛

私は、昔からMoustacheに憧れがある。
チャーリー・チャップリン、マディ・ウォーターズ、フランク・ザッパ、スパークスのロン・メイル、エディー・マーフィー、ハルク・ホーガン、ダリ、ガンジー、マンマンのホナス、サシャ・バロン・コーエン、チェ・ゲバラ、男はつらいよ 寅次郎と殿様の時の三木のり平、板垣退助(もはや、Moustacheどころじゃないが)、挙げればキリがない。

私は髭が薄い体質なせいか、憧れる様なMoustacheにはならない。個人的に憧れる髭の事をMoustacheと英語で区別している。だから、自分のは髭である。街中で見る事がある人達のもほとんど髭であり、Moustacheではない。
Moustacheがあると、求道者感というか異能な人感があるのにそれでいてコミカルに見えて、孤高の天才と偽れる気がして羨ましい。なにより単純にカッコいいと思ってしまう。これは私の偏見。

Moustacheにそんな思いを抱くなら、私にも少なからず"男はこうあるべきだ!"という考えが深層心理に眠っているのかもしれない。
これもトキシックマスキュリニティになるのだろうか?難しい。

高校生の頃パティ・スミスのイースターを、クラスメイトのK君が貸して欲しいと言うから貸した時、彼は
「この人腋毛生えてるじゃん」
と笑った事があった。
確かに私も買ってジャケットを初めて見た時、腋毛が生えてるなとは思ったが面白みも感じなかったし、人間だからそりゃ女性でも生えてる人もいるだろうな寧ろカッコいいなと思ったものだ。
パティ・スミスの腋毛は私にとってMoustacheなのだ。
そんなK君が貸してくれるCDはChumbawambaやSpice Girls、Aquaなどだ。
「大将(高校の時の私のあだ名)、古そうなのばっか聴いてるからこういうのあんま知らないだろ?」
「あぁ、ありがとう」
存在は知っていたが確かにアルバムは聴いた事なかった。当時、フジテレビの深夜に放送されていたBeat UKを毎回録画して見てたので、名前とそれぞれのチャートに登る様な曲なら聴いた事はあったが、いずれも私の心に引っ掛からなかった。
彼が貸してくれるCDは軒並みそんなミュージシャンばかりだった。
貸してくれたからには一度は聴かないと悪いなと、帰宅時の電車でCDウォークマンに入れるが車窓からの景色がどんどん鉛色になった。単純に私の好みの問題だから彼は何も悪くない。

パティの腋毛に私の憧れMoustacheを見出した様に、私にとってMoustacheは最早上唇の上を覆う様に生えている毛ではなくて、その人の拘り、クールの定義、概念なのではないのかなんて事を真紅自転車のおじさんが話す間考えながら、高校の頃の出来事を思い出していた。

赤自転車、それはZappaとSparks

「やっぱり、自分だけのマシーンにしたいから全部赤スプレーで塗りたくったんだよ。シャアも好きだし。」
私がパティ・スミスの事を考えて、適当に返事をしている間に、どうやら橋のシャア(この時点で心の中でそう呼ぶ事にした)は彼のマシーンに対しての考えを語りだしたようだった。
「誰でも何かに拘りってあるじゃない。拘りっていうか、俺はこれがカッコイイと思ってるんだという意思表示というか。昔はオーダーメイドの高い自転車乗ってたんだけどね。今はママチャリになっちゃったけど、赤は譲れないからね。お兄さんはない?拘り」
「あるかもしれないですね」

この時思った。最近見たフランク・ザッパのドキュメンタリー映画Zappaとスパークスのドキュメンタリー映画Sparks Brothersの様だと。橋のシャアも、この異能なミュージシャン達も自分の情熱を注ぐモノに固執している、obsession。良い意味で。
ザッパ、スパークス、両者共に音楽界で奇人、奇才、天才などと言われている人達を追った映画だ。橋のシャアも橋の上界隈では奇人だろう。
どちらの映画も、これまであまり深く掘られてこなかった人間性の部分を映そうとしてる様に私は思った。ミュージシャンを追ったドキュメンタリー、ロックミュージックでいう所のロキュメンタリーで、今まで私が見た事ある好みではない映画の常套手段、ツアーに望む為のリハーサルや曲作りを追って、やたらカッコよく仕上げて、ファンから見たら神格化する様な映し方。こうやってリハーサルで努力して、メンバー間の危機を乗り越えて華々しいステージを成功させたんですよって言われても、私にとっては「そんな事はどうでも良いわ!」としか思えないのだ。
これを書いている今、パッと頭に浮かんもので私の好みを言えば、
ザ ポーグスのシェインの映画、シェイン 世界が愛する厄介者のうた、原題Crock of Gold: A Few Rounds with Shane MacGowan
これは絶対原題の方がカッコ良いと個人的に思う。
GGアリンのジ・アリンズ / 愛すべき最高の家族GGアリン本人より、兄マールとお母さんのアリータの映画だが、人間臭爆発で私は良かった。
GGアリンは言う、ロックミュージックは復讐だと。
アンヴィル! 夢を諦めきれない男たちも良かったな。
悪魔とダニエル・ジョンストン、これはマスターピース。

まだ観れてない、見逃してるのも沢山あり過ぎて何とも言えない気持ちになる。
•ミニットメン/ウィ・ジャム・エコノ。
•デイヴィッド・ボウイ/CRACKED ACTOR、これはコカイン中毒の苦しみにもがくDiamond Dogsツアー中を追ったものらしく日本なら警察署の玄関で土下座しなきゃならないレベルの代物なのかもしれない。
•タウンズ・ヴァン・ザント/ビー・ヒア・トゥ・ラヴ・ミー
タウンズ・ヴァン・ザント大好きなのだが、近年だと映画 最後の追跡でDollar bill bluesがかかるシーンは血湧き肉躍る。
•モリコーネ 映画が恋した音楽家
などたくさん。

唐突に映画の雑感と私見と思い出

ザッパに私淑しているので、圧倒的にザッパの分量が多くなる。
専門的な音楽の事やレコーディング、プロデューサーなどに関して、音楽の歴史などは詳しい人のレビューを見た方が良いので私は何も言えない。
私のはただの雑感。
映画Zappaはアレックス・ウィンターが監督。この人はビルとテッドの大冒険シリーズのビル役で有名な人だ。ビルの時はあんなにバカなのに、監督では全くそんな事はなかった。
ちなみにビルとテッドを電話ボックス型タイムマシンで過去に戻すルーファス役のジョージ・カーリンが大好きだ。

George Carlin

言える場所がどこにもないのでここで言いたかっただけ。ネットで調べれば、すぐ彼のスタンダップコメディでのネタの中での言葉集みたいなのが出てくる時代に感謝。
Sparks Brothersの監督はみんな大好きエドガー・ライト。この人が監督するとドキュメンタリーもこんな楽しくなるんだと思える。
なによりアレックス・ウインターならザッパ、エドガー・ライトならスパークスが大好きなんだろうなと伝わってくるのが心地良い。

映画Zappaの中で言及されるが、フランク・ザッパはライブショー終わりにバンドメンバーと飲みに行く事もなく(ザッパはバンドメンバーを自分の音楽を表現する為の道具として扱った)、感情を表に出さず(アメリカ人なのに)、友達もいなかったという。(キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートは友達じゃなかったのか)
しかし、恩義に厚く自分が困ってる時に助けてくれた人などから助けてと言われるとすぐ駆けつけるような人だったらしい。友達はいない。そうでない人にはかなり冷酷な対応をとる。友達はいない。妻と子供4人にしか心を開かない様な人で、それなのに、グルーピーと浮気はする。友達はいない。そして、妻に性病を移して2人で治療する。ドラッグはやらない。友達はいない。Freak out!というタイトルのアルバムを出したばっかりに、その時代性もあってドラッグネタに散々付き合わされてうんざりしてた。ジョン・ベルーシが出てた頃のSNLのコントに出た時もドラッグネタに付き合わされて文句を言ってた。ファンとしてはジョン・ベルーシとダン・エイクロイドと並ぶザッパの映像は貴重で眼福だ。

シンクラヴィアを手に入れたザッパが家でずっと夢中で作業してる様子と、次男のアーメットが夢中でコンピューターゲームをしている様子のカットバックに私は1人でニヤニヤしてしまった。

その他にも、ジョン・レノンとオノ・ヨーコとのニューヨークでのライブ映像も見られる。
映画内でジョン・レノンについて、確かマイク・ケネリーだと思うのだが「ジョン・レノンはとても不思議な人で、いわば音楽ビジネスの最前線トップランナーの位置の人なのに無垢で、純粋に音楽をやりたい人だ」みたいな事を言っていた。
映像でも中指立てながらギターを弾き歌うジョン・レノンが見られる。


雑感と私見と思い出 ~クールな立ち姿にBlew My Mind~

生前最後のコンサートでの姿となったアンサンブルモデルンとのイエローシャークのライブで最後、スタンディングオベーションに応える為指揮台からオーケストラに向けて、手をCの形にしてCのアンサンブルで音を出す指揮をした所であまりのカッコ良さに泣いた。
ザッパのステージでの立ち姿で一番クールだと私が思っているのは、長く複雑なのに心ワクワクさせるギターソロを弾きながら熱狂する観客に応えてる姿でもなく、バンドメンバーが繰り広げるナンセンスなスキットをギターを抱きながらニヤリとして眺める姿でもなく、鼓膜をねぶりあげるようなバリトンヴァイスで歌う姿でもなく、観客に背を向けてバンド又はオーケストラに指示、指揮している姿である。
「その音を伸ばせ、もっと短く、もっと大きくグチャグチャに」の様な指示を出す時のジェスチャーと指揮棒みたいに見えてくる手にしたタバコ。
野球の大谷選手が「憧れるのはやめましょう」とチームメイトを鼓舞して、その言葉が流行ってるというニュースを見た。私には無理だ。指揮する姿に憧れしかない。
マイク・パットンもオーケストラと共演ライブをした時に指揮をしながら歌っていた。彼がザッパを尊敬している事は有名だ。憧れを実現するチャンスがその時巡ってきたんだろう。
当然、ザッパの考え方、生き方などにも影響受けて憧れるのでマイク・パットンのチリ・ペッパーズへの口撃も私は理解できる。フェイス・ノー・モア時代からアンソニーを口撃して、チリ・ペッパーズがカリフォルニケイションと冠したアルバムを出した時、それに対してミスター・バングルでその名もカリフォルニアという名のアルバムを出す。カリフォルニケイションが1999年6月8日リリースでカリフォルニアが同じ年の7月13日。バチバチだ。今は和解してるらしい。マイク・パットンはチリ・ペッパーズ自身には本当は何の負の感情もなくビッグヒットで売れていて話題だからと盲目的に賞賛する音楽ファンと大衆と戦おうとしたのではないか。ザッパの「売れたものが優れているという考えは、くだらない」という言葉を胸に。そうだったらいいなという私の願望もあるが。
高校生の時、普段あまり日本人以外の音楽を聴かないクラスメイトの人達の中にもカリフォルニケイションを買った人を見つけられる位、当時売れていた肌感覚がある。私は自分で買うより先にそうしたクラスメイトが借してくれた記憶がある。カッコいいなと聴いていた。そのちょっと後にミスター・バングルを知り、彼等のカリフォルニアを聴いてblew my mind,今でもこちらは愛聴する。
我々The Depaysementのボスであるジョニー・ハブというアメリカの友人もマイク・パットンが好きで「いつか、俺もオーケストラを指揮して自分の音楽をやってみたい」と言っていた事がある。その時、私のない英会話力の中の手薄な弾薬の一つ、「ミートゥー!」だけで彼と通じ合えたと思っている。
ジョニーと一台に同乗してアメリカツアーをした時、次の街までの長い移動中、カーステレオからザッパのBobby brown goes downが流れてきた事がある。私が運転、ジョニーは助手席、他の皆は後部座席で寝ていた。
2人で”oh god,I am the American dream,I do not think I’m too extreme.And I’m a handsome son of a bitch”の所を歌った時、アメリカ映画の青春のシーンみたいだと今思い返すと感じる。一見お下品でコミカルなバカみたいな曲だがその実、歯止めの効かなくなった快楽第一主義のアメリカの性事情、伝統的なバカみたいなマッチョイズム、行き過ぎた資本主義の上昇志向、陳腐な言葉になったアメリカンドリームという常套句、それらを皮肉る歌詞の曲をアメリカ人でしかも海軍関係者の友人と口遊むなんて、これ以上の青春はない。
こんな事を思い出させてくれる、クールな後ろ姿にblew my mind.

雑感と私見と思い出 ~ストップ!自由泥棒とマリファナの強要~


PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)との戦いのパートは感動する。
当初、ザッパはPMRCから指摘されたミュージシャンのリストに入っていなかったという。ご存知、キリスト教批判や卑猥な歌詞いっぱい書いてるのに。
アメリカでも”マス”では全く知られてない人だったという事か。
そんなマジョリティからしたら、「おいおい、誰だか知らないけど、変なヒゲのおじさんしゃしゃり出てきちゃったよ」状態だったのかもしれない。私がザッパなら、植木等ばりに「お呼びでない、こりゃまた失礼しました」と引っ込む、四の五の言わずに逃げる。ゴア夫婦怖いから。
しかしザッパは、立ち向かう。ロングヘアーも切って短く整え、スーツを着て、規制に反対側の証人の1人として先陣を切って証言をするべく公聴会の証言席に座す。
PMRCの標的、最も不愉快な15曲のリストに挙げられたミュージシャン、レコード会社より誰よりも早く反対の声をあげたのがザッパだった。
PMRCにとってのPublic enemy no1、リスト1位のプリンスは当初ダンマリ。
ちなみに、PMRC問題に関しての私の思い出は、数年の後追いで知ったがリアルタイムの感覚に近い記憶では、PMRC反対抗議活動をしたバンドはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだ。RATMを知りファンになった頃、本屋で立ち読みした音楽雑誌で、4人が全裸でPMRCを一字ずつそれぞれの胸に書き口をガムテープで塞いでる写真を見た。記事にはロラパルーザのステージで15分仁王立ちし、演奏せず帰ったと書いてあった。少年が感化されるには他に何も要らなかった。
個人的に憤りを感じ、検閲から自由を守る為に誰に頼まれるでもなく活動するザッパの姿にミュージシャンという枠を超えた魅力を感じた。

次にドラッグに関してだが、ザッパがドラッグ否定派な事は音楽を齧った人、ことアメリカ人のミュージシャンには有名だそうで私達レベルでもそれを知る事ができた実体験がある。
アメリカツアーした際に、
「ライブ最高だったよ、これ上物なハッパ(マリファナ)で普段タダであげたりしないけど、お前等最高だったからやるよ!」
と言われた際に、
「フランク・ザッパを尊敬してるから俺もノードラッグだ」
で難なく納得してもらえた事がある。
普通ならツアーロックバンドなのにノリが悪いなとしつこくされるところだ。実際、普通にいらないと言ったらかなりしつこかった事もある。

雑感と私見と思い出 ~vehicleとCar~

少年期にザッパ少年が夢中になったものは、音楽ではなく科学で、特に爆弾の作り方を独学で学んだそうだ。作った爆弾で自分の学校を爆破しようと思っていたと本人が話してるシーンで大笑いした。ラモーンズのロックンロールハイスクールでも、最後学校を爆破するが学校は爆破するもの、監獄は脱獄するものなのだ。

その後の彼の関心は、父が持っていた8mmカメラで自分の家族を写したりしたフィルムの編集。夢中になった。撮影して作品を作るという事より編集に夢中になるという所の変態性。この変態性が後々アルバム作りに結びつき、生かされたのかと思うと子供が興味を示したものは、大人はなるべくやらせてやって、邪魔しない方が良いのかもなと子供がいないのに思う。

スパークスの兄、ロン・メイルも友達はほとんどいなくて、社会生活でコミュニケーションを取るのが苦手な人らしい。ロンもザッパ同様ライブショー終わりにバンドメンバーと打ち上げる事なく曲を作っていたらしい。
映画の中でロンが運転する自身の車がカッコいい。やたらとカッコいい。きっと彼の拘り。車種名は分からなかったが、とにかくクラシック、街中ですれ違う車が現代的なデザインの乗り物(vehicle)だとしたら、彼のは正しく車(car)なのだ。
ここで述べているvehicleとcarの違いは、一般的に正しい意味の解釈ではない。私個人の偏見と主張だ。
アイオワ州のMumford’sというバンドとツアーした時、バンドのリーダーのネイトがツアーバンの事をvehicleと言っていた。その事が気になっていたので後々自分で調べてみると、大きいサイズの乗り物はcarと言わず、vehicleと言うのが英語として正しい使い方らしくネイトも母国語が英語の人として正しい使い方をしたに過ぎない。しかし、そんな事を知らなかった私はネイトの言葉選びをクールだと思った。人を乗せ移動する為に使うだけの、無駄を排除した乗り物だからvehicleとしてるのだと勝手に思ったのだ。
私のcarのもつ意味は、端的に言えば無駄があるものだ。他人からしたら無駄だが、当人には拘り、obsession。
Mousetacheと一緒で無くても生きるのに支障はないのに、あると心が躍り出す。

雑感と私見と思い出 ~あの頃パメラと~

その他で面白いと思ったのが、証言者としてインタビューに元The GTOsのパメラ・デ・バレスが両作に出てくる。
この人のwikiの職業欄は、ロックンロールグルーピー、そして作家。あの頃ペニーレインとの世界。
今でもグルーピーという存在がいるのかどうかと言う事より、存在するとして職業として成り立たせている人はいるのか気になる。大変な仕事だろうなと私は思う。自分はステージに立つわけじゃないのに、ツアーについて行くなんて自分だったら絶対したくない。特にThe Depaysementというバンドのグルーピーはお断りしたい。
我々のツアーを思い返すと、自分がThe Depaysementのグルーピーだったら地獄を味わう事になるだろうなという事しか思い当たらない。ライブ後の深夜にインスタントのchow meinと冷凍Banquetなんか食べて何が楽しいのか。じゃんけんで負けてモーテルの床に寝て、人間の睡眠と言えるのか。などとバンドに文句しかなくなりグルーピー卒業であろう。
このThe GTOsは元々ザッパのバンドのグルーピーで、そのグルーピーで結成されたガールズグループで、ザッパがバンドを組むように仕向けたらしい。しかし、ただのグルーピーだから誰も楽器は出来ない。それでも、面白いからザッパは自分のレーベルからデビューさせるのだ。
パメラ・デ・バレスはザッパと、そしてスパークスの弟ラッセルとも関係があったらしい。さすが伝説のグルーピー。
しかし、この2組と関係があるとはこの人の音楽センスはとんでもないと思った。当時、スパークスは母国アメリカで見向きもされておらず、ザッパも奇人扱いなのに。
ザッパもスパークスもパメラ・デ・バレスも気骨のある人達だと思った。


雑感と私見と思い出  ~私の心の師匠~

私はフランク・ザッパに私淑している。
彼の様に完璧主義者にもなれないし、演奏技術も遠く及ばないが、心の師匠だ。音楽に関しては当然そうなのだが、ミュージシャンというより人として尊敬している。
色々と矛盾したものがある所も人間臭くて良いのだ。
日本風の師弟関係に置き換えて、どの位の愛が心の師匠に対してあるかを言うならば、師匠が「おい!行くぞ」と言ったら、一緒に講談社に殴り込みに行くレベル。

Zappa映画の最後、バンドメンバーだったルース・アンダーウッドがザッパとの最後の思い出を涙ながらに語る。ザッパが闘病していた事を知っていた彼女はもう会えるのは最後かもしれないと思い、イエローシャークライブの時にこれまでの感謝などの想いを綴った手紙を渡したそうだ。一緒にツアーしてた頃もその後も手紙を渡すなんてした事なかったらしい。まぁザッパは上記の様な人だから、当然だと思う。
後で開けてと言ったのに、その場で開けて読むザッパ。そこがまた彼らしいとルース。読んだザッパは「良い手紙だね」とハグをしたという。

なんだ師匠、ちゃんと友達いたんじゃないか。

友達は1人いれば充分。100人で山登っておにぎり食べるなんて必要ないのだ。

エンディング、watermelon in Easter hayが流れる。個人的には世界で最も美しい曲だと思っている。この曲が入ってるJoe's Garageの3枚は、もし無人島に行く事になったら持っていくアルバムベスト3は?という使い古された質問で、3枚組でもそれは1枚ずつカウントしますと言われても、これで3枚にしてしまって構わない位好きだ。他のミュージシャンのアルバムで、2枚組だけど2枚目は要らないなとか、4枚組セットで3枚目だけでいいやなんて事は多々ある。
問題は、ザッパの他のディスコグラフィーをどう隠して密輸入して、無人島の税関を突破するかだ。

雑感 ~ Sparksと映画~

スパークスの2人は大変な映画好き。70年代にはフランスの映画監督ジャック・タチと組んでの映画プロジェクトがあったと映画で言っていた。
ジャック・タチはぼくの伯父さんが代表作の映画監督。
あの北野武も影響を受けているといわれている。武さんは絶対に「観てない」って言うだろうけど。
確かに菊次郎と夏は主人公と子供の関係性など、設定は伯父と甥ではないが、ぼくの伯父さんに似ている気がする。
男はつらいよもそうだが、昔から主人公の子供とそのおじさんという関係性はよくドラマになる気がする。
個人的好みでは、叔父より伯父の方が設定としては尚良い。
親でもなく、友達でもなく、普段一緒に生活もしないし数年に一回会う位だが、血は繋がっていて完全な他人ではないおじさんという関係性が良いのか。
ちなみに私は自分の叔父とは現在絶縁状態である。それはつまり、従兄弟とも絶縁状態だという事だ。
叔父は私が子供の頃はどっか連れて行ってくれたり、漫画くれたり、自分では懐いていた気がするのだが。
私が生まれ育った今は無き実家には、
叔父が家を出る際に置いていった学生時代に弾いていたエレキギターがあった。
叔父が出て行った頃はまだ私はギターを弾いていなかったので興味を持たず、そのままになっていた。
今思えばあれはTeiscoのギターだった気がする。ハウンドドッグ・テイラーが弾いていたのと同じメーカーだ。しかも叔父の少年期だから、おそらく60年代後半から70年代製。
そのギターを、ロックミュージックを聴く様になり、ギターを好きになっていった中学生か高校生だった私は、庭で地面に叩きつけボディを真っ二つに割り、ピート・タウンゼントごっこをして一人で悦に入るという愚行を犯した。
物の価値が分からないとは恐ろしい。タイムマシーンがあれば当時の自分を諭す。メンテナンスして今も良い音を出していたかもしれない。
愚行のきっかけ、The Whoのピートは正しい。Baba O’rileyでteenage wastelandと言ってるのだから。
とにかく、ジャック・タチのぼくの伯父さん面白いから鑑賞をお薦めする。
タチのコメディーの感じとスパークスは確かに合う様な気がする。実現してたら面白かったろうな。

その後も、また映画にちなむ仕事が失敗してからの2021年アネット。
私はアネットがとても好きだ。監督のレオス・カラックスの過去作にそこまでハマらなかったから、何も期待せずに「スパークス原案、脚本の映画か、音楽も作ってるのか、観てみるか」位の気持ちだった。ところがどっこいだ。
オープニングから良い。断然良い。曲も良い。
Blu-rayプレーヤーを、諸事情で売ってしまって観る術がないのにBlu-rayを買いそうになる良さだ。
純粋に音楽を奏でる者とそれを利用して金儲けと自己の欲求を満たす者、しかもそれが親子という切なさが描かれてたなと思う。

閑話休題 ~赤い彗星出撃、呆気ない別れ~

大人になると"生活"がシガニー・ウィーバーに迫るエイリアンの様に自分に迫ってくる。
私はエイリアンをうまくいなしながら、好きなものに拘り、心のMoustacheを生やしたい。
橋のシャアが、何かの事情で陥った一年位の休みという名の失業、そんなエイリアンに迫られながらも、自らのマシーンを真紅に染め上げたように。

そして、それを伝える為にカート・ヴォネガットの小説に出てくるボコノン教の様に、私はマスターシュ(Moustache)教を組織したい。まず、経典を書かなければ。日本ではテロ行為さえしなければカルトも認められる様だから、私がマスターシュ教の教祖になっても許してくれるだろう。
まず全員、付け髭をつける。付け髭は教団オフィシャル品しか認めないので、それを買う事になる。一つ10万円。 
移動は全て赤く塗った自転車。一台30万円から。
オプションでカゴなど付けられる。もちろん有料。
教祖が作ったアルバムをコンプリートした者から幹部昇格。ゆくゆくは政治家を抱き込んで、銀座の一等地を破格の安値で購入し、そこでベコを飼う。

引用 マスターシュ教 教祖説法より
"人間、外側を剥げば皆同じターヘル・アナトミアだ。故に中身が重要だ。心にMoustacheを!"

私がこんな悪巧みを夢想していると、橋のシャアは相棒のマシーンに跨った。
「じゃあ、用事があるから。また、どっかで顔見かけたら声かけてよ。」
「ありがとうございました。」
なぜか私はお礼の言葉を口にしていた。

主人の帰還に歓喜の雄叫びをあげるサドル。
普通の人には橋にしか見えない空母から出撃して行った。
偶然の出会いで、その時観た好きなミュージシャンの映画について愚にもつかない思考をさせてもらえた。
橋のシャアの走り去る後ろ姿に、ザッパのオーケストラに対峙する時の後ろ姿を見出しながら私は思った。
私も彼と同じなのだろう。
なぜなら、私も自分の自転車をカスタマイズしたり色を塗ったりはしていないながらも、出勤時
「今日も行くぞ!グラントリノ」
と心の中で名付けた名前を呼びかけ、明日もまた跨っているであろう事を確信しているからだ。





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