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ピッチャーで投げた瞬間、骨折した話

小学生〜高校卒業までの12年間、野球をやっていた。

著書「やりがいの正体 〜何がしたいかわからない人へ〜」

で詳しく言及しているが、本当に辛かった。

小学生なのに毎日練習で土日は試合。

親に無理やりやらされた形で別に野球が好きだから入ったわけでもなかったし、下手にキャプテンに任命されてしまってからは、野球に関わる人間関係にも疲れてしまった。

チームは全国大会に出場できたが、野球にやりがいを感じたことはないし、親が厳しくて自分が泣くまで怒ってくるので、試合前もワクワクなんて感情とは程遠く、不安で心配な緊張感に押しつぶされそうになりながらなんとか乗り越えていた。

大げさだと思うかもしれないが、子どもにとってはそこから抜け出す術もなく、これで人生が続くと思ったら絶望だった。

逃げたら良かったのだが、いじめにあっている生徒と同じく、その時はその世界が全てだと思い込んでしまっていたのだ。

一度泣きながら「やめたい」と言ったこともあるが、逆に「恥ずかしいよ」と言われたことは今でも鮮明に思えている。

小学5年生の時の話。

5年生の大会に出ていて、チームはその日準決勝を戦い、勝てば決勝という日だった。

準決勝は買って決勝に行くことになったのだが、私は肩に違和感を感じていた。

1日に2試合を戦うダブルヘッダーでピッチャーもそんなにいなかったので、私は監督に「決勝ピッチャーでいくぞ」と言われた。

私は少しためらいながら「肩が痛いです」と申し出たが、監督の回答は「そうか」の一言だった。

私は監督に絶大な信頼を置いていたので、自分の心を律して投げる決心をした。

投げる度にどんどん肩が痛くなっていった。

1回の投球は何とか抑えた。

球速自体は正常時の3分の1程度だったと思う。それでも野球というのは打たせてとる、ということが成り立つ。

しかし2回の投球時にそれは起こった。


痛みに耐え、投げた瞬間。

後ろから誰かに肩をバチン!と殴られた気がした。

外野の遥か向こうでやっていたサッカーのボールが飛んできたと錯覚し、心の中で「おいっ!」と叫んだほどだ。あれは本当に叫んでいた。

気がつくと、右腕が「ふにゃ」っと身体のそばに横たわっていた。

そして激痛が走り

「痛いいたい!……」

口に出た。

ボールは明後日の方向に飛んでいた。

右腕に力が入らず膝から崩れ落ちた。

ベンチに運ばれ支えながら座っていたが正直、どうやってベンチに戻ったかは覚えていない。

そのうち「吐き気」がしてきて、誰かがバケツを用意してくれたが吐かなかった。

サイレンとともに救急車が到着し、私は親と一緒に運ばれた。

病院に着くと救急搬送の入口と思われる所から搬入された。

看護師さんが私の腕を動かした瞬間

「いっーーたい!!」

と私は叫んだ。

「あー折れてるねこれ」

医者の言葉はどこか事務的な雰囲気を帯びていた。

診断を受け、そのまま入院となった。

「右上腕骨骨折」

キレイに折れていた。

疲労骨折ということで単純に使いすぎだったらしい。

練習もそうだが、その少し前に小学校の体力テストでボール投げがあった。

あまり準備運動せずに思いっきり投げてしまったからそれも原因のひとつだったんだと思う。

治療法を2種類提案され、ひとつは通常の療法で、ギブスで固めてそのまま放置。骨がくっつくまで待つという方法。

もうひとつは右腕にボルトというか細長い鉄の棒を入れる方法。

骨がくっつくのが早くなる。早く復帰したいのであればその方法が良いということだった。

どうやって決めたか、意思決定の詳細は覚えていないが、私はボルトを入れることにした。

人造人間だ笑

右肘の上腕側から穴を開け、そこからボルトを入れる、というものだった。

ボルトを入れた後は1週間くらい入院し、その後自分でリハビリをしながら復帰していった。

ボルトが腕に入ったままでも野球自体はできるので1ヶ月くらい経って練習には戻っていたと思う。

そして半年後くらいには再度、腕からボルトを抜く手術を行い、経過観察後、完治したという流れだったとうろ覚えだが、記憶している。

入院して最悪だったことは、点滴針を何度も刺されたことだった。

腕を骨折したので、もちろん右腕には点滴ができず、その代わりに左手も使うので左手にも点滴ができないということで、足の甲に点滴針を刺すことになった。

まさかだったが、その点滴を刺す看護師が新米だったのか知らないが、うまく血管に刺さらないとかで私の足の甲に点滴針を刺しては抜き、刺しては抜き、を繰り返したことである。

大げさに見積もらなくとも10回は抜き差しが行われた。

最初の2、3回のうちは私も耐えることができたが、さすがに5回6回ともなると痛さが増してきて大泣きした。小学生には辛すぎる所業であった(そのせいで今でも注射は苦手だ)。

その看護師もいささか半泣きで、そのうちどこからともなくベテラン看護師が現れ一発で点滴針を刺し終わったことは今でも覚えている。

リミッター

ムリをしすぎた結果何が起きたかというと、自分の「痛み」や「ムリする」ことに対するリミッターの制御がかなり厳しくなった。

腕を骨折した私は、医者に

「しばらくの間、というか今後だけど腕相撲みたいに腕に思いっきり力を入れて負荷をかけることはやめてね」

と言われた。

こんな言葉を聞いたら少し力を入れるだけで怖くなるし、実際20年近く経った現在でも私は思いっきり右腕に力を入れているつもりでもあまり力が入っていないと自分でもわかる。

むしろ利き腕ではない左腕の方が力が入るのではないかとすら思うほどだ。

これはおそらく、私が私の右腕に対する「力を入れろ」というリミッターの限界が、骨折したことにより制御され力があまり入らなくなってしまったんだと思う。

さらに薬は毒と言われている通り、治療の際にもちろん薬を活用されたし、注射もやたらと打たれたから大学時代の身体の不調の原因にも少しかんでるとすら思っている。

何かをがんばろうと思っている人は、ギリギリまで自分を追い込もうとするのはわかるが一度その限界を超えてしまうと身体とメンタル両方にリミッターがかかり、完全に、限界を超える前の状態に戻ることは難しい。

その限界わ超えないギリギリのラインで調節することはコーチなどをつけて管理しないかぎり至難の技だ。

わかったこと

自分の限界を超えてわかったことは

「ムリをするようなことはしても意味がない」

ということだ。

自分がやりがいを感じていて、日々の筋トレだったり、何か趣味に没頭することは人生にとって良いことだ。

しかしそれ以外、自分がやりがいを感じていないのに、ムリに何かをやらされたり、厳しくされるのは全く意味がない。

人から評価されるための承認欲求ではなく、自分がやりがいを感じることをやらないと人生を豊かにすることはできない。

「他人の正解」を追い求めたり、それに付き合ったりすることは意味をなさない。

だから「自分の正解」、自分がやりがいを感じることをやろう。

そのためには「常に自分の意思で理由を持って選択する」ことをする必要がある。

そうすれば他人に左右されない。

P.S

骨折して入院した当時、親父が私に持ってきたものは「野球の雑誌」だった。

野球好きじゃないから!やりたいなんて一言も言ってないから!

楽しいと思ったこと一回もないから!

いい加減にしろ!


(※写真はイメージです)




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