「なぜこんな無難な作品を描いている。これはお前が手クセで描ける集大成じゃないか。」for 米津玄師

不器用と器用の化学反応は?

この曲を聴いて、思い出したのが、今回のタイトルの日本橋ヨヲコ作「G戦場ヘヴンズドア」のセリフ。

メロディを聴けば米津と分かるし、コード進行も非凡だし、サックス等の演奏も素晴らしいのだが、曲に熱量を感じず、フックがない。

要因は、編曲を担当している坂東祐大が器用過ぎること。米津玄師の良さは、G戦場ヘヴンズドアや少女ファイトなどの日本橋ヨヲコ作品の主人公のような不器用で愚直な感性を全面に押し出すトコロなので、坂東祐大の編曲のようにアレンジがまとまり過ぎてしまうと、その良さが消えてしまう。

他人が自分に無いものを持っていたとしても...

米津玄師と坂東祐大が初めて組んだのは「海の幽霊」から。

この曲の第一印象は、「James Blakeっぽい」だった。
(ちなみにJames Brakeは↓)

同じようなこと考えている人いるだろうな、と思ってネットで「米津玄師 James Blake」で調べてみたら、米津自身がTiwtterでJames Blakeに言及していた。

ここからは憶測に過ぎないが、「海の幽霊」は、米津が「James Blakeっぽいアレンジができるアレンジャーと曲作りたい」っとレコード会社なりに頼み込んで繋げてもらったのが坂東祐大なんだろう。で、上手く、それっぽく作ってくれたもんだから、米津自身が「この人と一緒に曲を作ったら、自分の世界観が広がるかもしれない」と考えて、これまで一緒に歩んできたんだろう。

人間の難しいところというか、面白いところというか、の部分ではあるが、他人が自分に無い才能を持っていて、互いにそれを認め合っていたとしても、共作が上手くいくとは限らない、ってことがある。「感電」は、その典型的な作品だろう。

実は本人もこのままではダメってことに気づいているのでは?

「感電」のPVでは、珍しく米津が笑っているが、心から笑っている、というより、"とってつけて見よう見まねで笑"っているように見える。

この状況が続けば"声も出ない"状況に陥ってしまうのが米津の論法だが、本人は、それでも別に構わない、と思っている気はする。現在中断中のツアー「hype」に、あえて「しとど晴天大迷惑」を選曲したことがそれを表している、と見るのは、さすがに考え過ぎか。

このまま二人が組み続ければ(二人が組み続けなくても一緒かもしれないが)、世間は、米津への評価の掌返しをするだろう。「どの曲聴いても一緒に聞こえる」という世間の「飽き」という「恐怖」は遅かれ早かれいつかは襲ってくる。紅白の演出も含め、「Lemon」が日本に与えた影響は、あまりにも大きく、その反動は想像もつかない。

自分が自暴自棄になっても良いと思っているし、例え、そうなっても、救いの手は出てくるだろう、と米津が考えて、「Wooden doll」も「hype」で選曲した、という想像も、やっぱり考え過ぎか。

最後は"ぱっぱらぱ!"を願う

米津に期待したいのは、坂東祐大のような、分かりやすく優秀なアーティストとのコラボではなく、才能はあるが、不器用で、分かりにくくて、評価されていない無名のアーティストとコラボ。

曲やアルバム出せば売れることが分かり切っている今の状況でレコード会社がそれを許してくれる訳もない。アーティストを消費する文化が、今のコロナ騒動で見直されると話は変わってくるが、そうもなりそうにない。

前述のコラボは、レコード会社に見放される位、世間から見向きもされない状況にならないと、訪れないかもしれない。ただ、その時期になったら、運命的な才能に出合えると信じて、アーティスト稼業を続けてもらいたい。

米津の才能は、尾崎豊やhideの才能に近いものを感じる。それだけに、今の世間の絶頂が、逆に嫌な予感をさせる...

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