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日本におけるサイドバックの“立ち位置”が変わった日。菅原由勢はシン・サイドバック像をつくれるか。

ビルドアップのキーマン

現代サッカーはサイドバックで決まる――。

そんなふうに言われ始めたのは、いつからだったか。

かつて、サイドバックといえばピッチの中で格が高いポジションではなかった。センターバックを任せられるような守備力やサイズがない。サイドアタッカーとしては1人で打開できる力ない。FWで起用するには決定力が物足りない。

誤解を恐れずに言うと、際立った特徴を持たない選手が流れ流れて行き着く場所、それがサイドバックだった。タッチライン側を何度も上下動できるスタミナと、1対1で止められる守備力、精度の高いクロスが上げられれば文句なしだった。

ただ、時代は変わった。

第2次森保ジャパンの初陣となったウルグアイ戰とコロンビア戦で戦術的なキーマンとなったのは、サイドバックだった。

ペップとアラバ・ロール


カタールW杯までファーストチョイスだった酒井宏樹と長友佑都が招集外となった中で、新たな人材の登場は必要不可欠だ。

その中で、右サイドバックの一番手として強烈なアピールをしたのが2試合連続で先発出場した菅原由勢だった。

わずかな準備期間しかない中でも、日本代表は新たにコーチングスタッフに加わった名波浩コーチを中心に、戦術的なチャレンジを行った。それが「偽サイドバック」だった。

サッカーの進化に伴い、サイドバックに求められる役割もまた多様化している。

大きく概念を変えたのは、世界的戦術家の“ペップ”・グアルディオラだ。2013年、バイエルン・ミュンヘンを率いると、サイドバックが攻撃時に中に入ってボランチになるという変則的なシステムを導入して、サッカー界に衝撃を与えた。

主に中に入ってプレーするのは左サイドバックのダビド・アラバだった。オーストリア代表では10番をつけるアラバは、中盤の真ん中でプレーする適任者だった。アラバが中に動くことで、他のポジションも同時に立ち位置を変化させる仕組みは“アラバ・ロール”と呼ばれた。

偽サイドバックの最大の狙いは、ウイングの活用にある。例えば、当時のバイエルにはフランク・リベリーとアリエン・ロッベンという強烈なウイングがいた。サイドバックが外に開いてボールを持っても、縦関係のウイングにパスは出しにくい。サイドバックが中に移動し、対面の相手を移動させることで、ウイングへのパスコースが作り出される。

「サイドに強みになる選手がいるので、そこをトライしていこうと」と森保監督が言うように、今の日本代表には三笘薫、伊東純也といった1対1ではがせる特別なタレントがいる。優位性を出せる武器があるのであれば、それを活かさない手はない。

菅原がもたらす新たな武器


海外組がほとんどになった日本代表では、クラブのように長期間の活動を通じて高度な戦術を仕込む時間はない。それゆえに素早い理解力、順応力が求められる。

ウルグアイ戦、コロンビア戦、森保監督が強調した「サイドバックの攻撃への関わり」に、オランダでプレーする22歳の菅原は目に見える形で応えてみせた。

質の高いパスで攻撃のリズムを上げるとともに、積極的にドリブルで運んで相手のプレスをかわす。ウルグアイ戦の22分に浅野拓磨へのワンタッチパスでチャンスをつくると、75分には伊東へのスルーパスから西村拓真の同点ゴールを呼び込んだ。

「DFの走り方、純也くんへの対応の仕方を見て、どういうボールの質を蹴ろうかというところで、意図したところにボールが送れた」

スピードのある前線の選手が、スペースに走り込んだタイミングを見逃さず、質の高いパスを送り届ける。まるでボランチのようなパスを出したのがサイドバックだったことは、大きな意味を持つ。

ビルドアップで中心的に関わり、決定的なパスで試合を動かす――。菅原由勢は、日本に新たなサイドバック像を作り出すかもしれない。

文:北健一郎(WHITE BOARD SPORTS代表)
写真:浦正弘

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