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愛は方舟


 皆さん、こんにちは。こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら、愛など、愛などいらぬ! 苦しくない悲しくない愛ならウエルカム。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 はい。大人たちは美味しいものを隠しておく狡い生き物なので、


 勇気と愛の重さについて


 (´・∀・)」 たまには本気で
 語ってみる事にしましょう。


 で。本気で語るので、今回は勇気の部分をカットして、愛について説明したいと思います。ええ。そもそも、


 (´・Д・)」 愛ってなんぞ?



 利己や物理を
 超えた思考の
 感情こそが愛!



 (´・Д・)」 ではありません。



 (´・Д・)」 逆です。


 (´°Д°)」 愛こそは利己。


 自己愛こそが原点であり、終着点です。
 「あの人から愛されたい!」は利己。これは簡単。わかりやすいですね。って言うと必ず、「あの人を愛してる! 見返りなんか求めてない! これこそ愛だ!」なんて寝言みたいな反論も予想されますが、


 (´・∀・)」 それこそ
 自己愛そのもの。


 悪いけど、恋愛してる自分に酔ってるだけだよね?
 違うとするなら、報われなくても献身してる自分に酔ってるだけとか。
 あるいは、マゾいのが好きで、報われない事にゾクゾクしてるだけ?
 愛なんてのはそんなに至高のものでも何でもない。ただの利己。

 違うってんなら、自分の財産を、ひたすら意中の相手に貢ぎ続ければいいじゃないの。
 なんでそうしないの? いつかはこの恋も終わりが来るからか?
 終わりが来るのに永遠で究極の愛だなんて笑わせる。
 アイドルやキャラクターに忠誠心を示す連中の方がよっぽど正直だね。

 いいですか。愛なんてのは利己。まずそれを認めないと、愛について語るとか鼻毛を燃料にして茶が沸きますわ。プップー。

 愛なんてのは所詮、自分さえ幸せならそれでいい。そのゲスい感情なのです。それが愛の正体なのです。愛は地球なんか救いません。救えるのはせいぜい自分ぐらい。よくて周りにいる人間までです。

 それじゃそろそろ、愛の正体についてお話していこうと思う。


 (´・Д・)」 愛とは何か。


 (´・Д・)」 答えは、遺伝子。


 愛とは99.99999%まで完璧に描かれた生命の設計図「遺伝子」です。
 0.000001%が不完全な所を含めて完璧なんですよね。

 この話を突き詰めると「生命とはなんぞや」って話になるので、その話は割愛(愛だけに)しますけれども、遺伝子はドーキンスの言う「利己的な遺伝子」なのである。
 そう。遺伝子とは、


 自分の分身を作る事を最優先する。


 要するに、遺伝子は自分の分身を作ると言う「目的」の為に存在しており、生命はその目的の為の器に過ぎない。要するに生命という方舟を、時間という大河に乗せ、未来に向けて流しているのだ。

 その目的の先に何があるのかは知らない。わからない。だが、明確なのは、その目的の為に、我々は生かされている。



 愛とやらが精神的で究極のものなら、

 我々の恋愛対象となる性別が主に固定されているのは何故だ?


 基本的に同性に親近感や友情を感じても、恋愛対象にならないのは何故だ? それは遺伝子がそう命令しているからだ。
 同性愛者もいる? いるから何? 同性愛者は同性が恋愛対象で固定なんでしょ? だったらそれは遺伝子の命令でしかない。
 ワタクシが言ってるのは愛が精神的なものなら、性別は関係ないだろ、って話だ。

 そこでバイセクシャルがいるだろ、とか、その命令が間違ってる、ってな反論が来る事も予想済みだが、反論どころか裏付けでしかない。

 そもそもバイセクシャルを名乗る奴がどんな性別であっても恋愛対象なのか、


 (´・Д・)」 ただの性豪なのか。


 どうやって判別してんの?
 キミら、オナホやバイブを愛してんの? ん? 性欲発散のためには、いちいち性別なんて気にしないって性豪かも知れんだろ。
 で。そりゃ男女関係なく愛せるって人もいるだろうが、同性愛者も含め、それさえ遺伝子の命令に過ぎないのだ。

 遺伝子は、進化のためにイレギュラーを紛れさせる。


 遺伝には適者生存や、弱肉強食の要素があり、同時に必ずイレギュラーを生み出す要素もあるのだ。
 イレギュラーが存在しないと、同じ病気や同じ天災、同じ敵相手に全滅する恐れがあるからである。
 つまり、99.999%が取るであろう行動から「別の可能性を模索している」に過ぎない。

 そもそも、遺伝子が100%完璧なら、オスとメスを掛け合わせて子を成す、というシステム自体が不完全なのである。
 遺伝子と遺伝子を掛け合わせ、より良い子孫を残す。つまり、未来を目指すための命令なのだ。
 100%同じなら、同じ病気で死滅してしまう。だから、多種多様な遺伝子から、より優秀な多種多様を生み出す。
 多種多様である理由は、病気や天災や気候変動で絶滅しないためである。寒さに弱い種ばかりでは、氷河期が来たら全滅だからね。

 はい。話が少し横に逸れてきましたので修正します。

 古代中国、楚漢戦争の時代の話である。項羽(楚)の本拠地を攻め落とした劉邦(漢)は、項羽の逆襲に遭い、敗走する事になる。
 この時、追手が迫っていたため、少しでも早く走って逃げるため、


 劉邦は、2人の我が子を
 馬車から投げ捨てた。


 ポイス (´・∀・)」⌒👶 ⌒👶



 これを見た部下の夏侯嬰は、


 (´°Д°)」 なにしてんスかアンタ!


 と子供を拾い上げる。劉邦、また捨てる。夏侯嬰、また拾う。劉邦、またまた捨てる。夏侯嬰、キレる。


 (´°皿°)」 なに子供捨ててんスか!?


 部下にキレられた劉邦は逆ギレ。

 o(`ω´ )o ガキなんざ
 また作れるわい!
 俺は俺しかおらんのじゃ!


 それを聞いた夏侯嬰もバチギレ。

 (´°皿°)」 あんた
 ソレでも王か!?
 臣民なんか死んでも
 また集めりゃいいって
 そんな王に国民が
 つくと思ってんのか!?


 って言われちゃった劉邦は改心。

 なんてする訳ではなく、夏侯嬰を叩っ斬ってやろうかと言うぐらいキレてたんだけど、夏侯嬰を斬っちゃったら馬の御者がいなくなるので、諦めて改心したフリをした。

 (´・Д・)」 ワタクシゃ、これでどっちが正しかったかを問うつもりはない。別に劉邦の考え方が100%間違いだとも思わないし、夏侯嬰の考えが100%正しいとも思わない。

 自分さえ生きてれば、子供はまた作れる、ってのは間違いではないし、自分が一番大事ってのは本人としちゃ正しい。
 難破した船から、一枚の小さな船板にしがみつく2人。自分が助かるために、もう1人を突き落としても、罪にはならないのである。これをカルネアデスの板と言う。

 カルネアデスの板に2人の人間。もう1人を助けるために、自分が板を手放す事も、また、間違いではないのである。

 (´・Д・)」 どちらも、
 遺伝子の命令なのだ。


 つまり、

 (´・Д・)」 それも愛。
 これもまた、愛なのだ。


 すなわち、自己とは「自分1人」を指し示すのか、あるいは「自分とその愛しい人」を指すのか、また「自分の家族や親しい人たち」を指すのか、それとも「自分の民族」 はたまた「人間」 広くは「生命そのもの」なのか。

 いずれにせよ、それは遺伝子に刻まれた目的の為の命令なのである。我々はその命令に従って生かされている器に過ぎないのだ。


 (´・Д・)」 だから愛とは

 まず自己愛である。


 という事を認めなければならない。
 自分が生きる為に、生き残る為に、生命をつなぐ為に、そして、自分が満たされることがまず、最初の愛なのだ。

 だから、キミたち、


 (´・Д・)」 幸せになれ。


 そして、他人もまた幸せであるように、自分の幸せを壊されないように、


 (´・Д・)」 他者の
 幸せを侵害するな。


 (´・Д・)」 ワタクシは
 それが愛だと思うのだ。


 ※ この記事はすべて無料で読めますが、ワタクシの幸せは皆様から投げ銭(¥100)という愛を受け取る事です。
 なお、この先には「その後の漢」についての話しかか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。