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現世界グルメ『炒飯』


 何も、自分が日本人の代表であるなんて、更々思ってもいないが、日本人が日本食を語る上において、どうしても外せない食品は幾つかある。
 その代表格が「米」であろう。白米。日本人の食に欠かせない食材であり、紛う事なき主食である。これに異論を挟む人間は少ないだろう。
 近年はパン食が米食を上回ったなどと言うニュースもあるが、それでも主食を二分する人気である。そもそも、パン食が米食を上回ったのはあくまで社会情勢が強く影響した結果であり、少なくとも現時点の日本人の多くは「余裕を持って選べるという条件」なら、まだまだ多くの人が米食を選ぶのではないだろうか。
 また、いない訳ではないが、米が苦手だと言う日本人もかなり少ない。
 それほどに日本人と米は切っても切れない関係だと言える。
 流石に3000年もの歴史を持つ日本の米だ。狩猟から濃厚へと生活スタイルを変えさせた食品でもある。
 だからこそ、日本人の食はとにかく米が絡みやすい。わかりやすく言えば「白米を美味しく食べられるかどうか」が日本人の食にとって非常に大きな要因足り得たのである。
 カレー・ライス。日本のカレーライスのオリジンが何処にあるかは置いておいて、ナンやチャパティ、ロティではなく、白米。無論、バスマティライスやサフランライス、ガーリックライスという選択肢もあるが、基本はやはり白米であろう。
 ホワイトシチューを白米に掛ける、と言うと嫌悪感を示す者も多いが、そこにエビやホタテを載せ、チーズを掛けてオーブンで焼き上げれば日本の定番洋食ドリアになる。
 なお、ドリア自体は日本にしかないオリジナルの「洋食」の分類だ。
 オムライスもそう。オムレツでご飯をくるめばいいと言う発想が、完全に日本人的である。
 それほどに、日本食というものは米を食うための研鑽を重ねてきたと言っても過言ではない。
 日本食の御膳にしても、おかずを味わい、米を食う為の皿と茶碗である。
 中には、酒の肴があれば穀物は要らぬと言う酒豪タイプもいるが、歴史的に酒は米から作られている訳だから、白米の代役を白米が務めているに過ぎない。
 日本食の要である米。食事のことを「ご飯」とも言うし、米のことを「ご飯」とも言う程だ。英語でもフランス語でも食事のことをパンだとは言わない。同じ主食ではあっても、主食を主菜(メインディッシュ)と呼び換えれば、その違いに気付けるだろう。
 ティータイムやお茶の時間にコーヒーを飲むのに、だ。
 主食と主菜。これは西洋食にとって、パンを食べる為の主菜ではなく、主菜を食べる為のパンである事にも関係しているのではなかろうか。
 逆に多くの日本食は、米を食べる為のおかず(副菜)なのである。
 やはり日本人にとって、米が食の中心であると言い切ったところで、異論を挟む人間は少ないだろう。
 しかし、どんな米が好きかと言う話になると、突然戦争が始まる。
 戦争が始まってしまう辺りも主食たる風格のもたらす宿命なのかも知れないが、硬い方が好きな人、柔らかい方が好きな人、ふっくらが好きな人、もっちりが好きな人、しっとりが好きな人、パラっとしてる方が好きな人と色々いて、非常にデリケートな問題になってしまう。
 無難な事を言わせてもらうなら、そこはそれぞれ人の好みもあろうし、また、料理によっても求められる米の質が変わる。
 最も顕著なのが寿司であろう。寿司屋の米は、多く古米のササニシキを使用する。その方が口の中でのシャリのほどけ具合が良いからである。
 そもそもコシヒカリが市場のトップに立てたのは、何も味が優秀だったからではない。冷害や病気に強く生産性が高かったのは事実だ。無論、だからコシヒカリが悪いと言うつもりはない。
 コシヒカリは粘り気が強く、甘みがある。ササニシキはさっぱりして淡麗。求むる味や合わせる料理で、米の質も一定でなくてはならないなんて事はないと言う事だ。
 だが、そんな米の方向性も、不思議とある料理に関しては見解が一致しやすい。

 炒飯である。

 チャーハン。主に中華料理であり、日本版は焼き飯とも言う。仔細は問わぬが、要するにフライパンで米を炒めた料理の事だ。
 タイではカーオパット、インドネシアではナシゴレンなどとも言われる。
 念の為、先に宣言しておくが、話は焼き飯に絞らせてもらう。
 つまり、炊き込みご飯のフランス版であるピラフ、イタリア版のリゾットなどの「炊き込みご飯料理」は除外すると言う事だ。
 インドのプラオやビリヤニ、韓国のクッパやピビンパなども同様に除外する。
 理由は簡単で、炊き込みご飯も雑炊も混ぜご飯も、すべて焼き飯ではないからだ。
 確かに、日本の喫茶店ではチャーハンと同じくフライパンで炒めた米料理を何故かピラフだと名乗っていたりする例もあるが、これは単に設備や手間の問題と、洋食の喫茶店でチャーハンや焼き飯では格好が付かなかっただけであろう。これは詐称なだけで手法は炒飯である。
 この焼き飯や炒飯にも色々あるが、基本はすでに炊かれた白米を、フライパンで炒める料理だ。分類上はドライカレーもこちら側だと言えるだろう。
 そして、この手の焼飯料理にはかなりの割合で要求される共通事項がある。
 米が一粒一粒パラパラに仕上がっていること。
 米に求める要素は幾つかあり、それは米がコツンとした歯応えであるとか、もっちりした弾力があるとか、しっとり柔らかいとか、多岐に分かれる。しかし、多くの人が共通して求めるのは何故か、

 米がパラパラ。

 この部分である。確かに、ねっとりと匙で掬うような米であれば、リゾットなりドリアなりを食べればいい。
 焼き飯が焼き飯として求められるアイデンティティは、米の独立性にある事になる。
 それが焼き飯なのか炒飯なのか洋風なのかによって、胡麻油が使われるのか、バターなのか、ベースの味が塩胡椒になるか、醤油になるか。
 具材も色々だ。豚肉に始まり、牛ミンチ、鶏肉から魚肉ソーセージまで。
 野菜もネギ、ニラ、キャベツ、ピーマン、レタスと大きく変わる。
 味や方向性は幅広いが、最も共通する理想は、米がパラパラにほどけている事なのである。
 実際のところ、そのやり方はそんなに難しいものではない。
 それこそ、ネットの検索窓に「パラパラチャーハンの作り方」とでも入れれば答えはすぐ出てくるだろうから、ここに書くまでもないだろう。
 そう。秘伝でもなければ、技術がなくても簡単に作れる方法はある。
 最も簡単な方法を最も短い文章で表すとするならば、

 炊けた熱いご飯に卵の白身を落として均一になるまでかき混ぜる。

 これだけで、白身の成分が白米の表面をコーティングし、米と米が、米とフライパンがくっつかない。
 更に安全策を取るなら、炒め油の代わりにマヨネーズを使用するといいだろう。
 これも卵の成分のおかげで米同士が塊になってしまうのを防ぐ。
 他にも、コツは色々とあるし、方法は一つではない。また、卵に頼らずともパラパラに仕上げる方法は何通りもある。
 この素晴らしい炒飯、焼き飯であるが、困った事に中々食べる機会に恵まれない。
 まず、焼き飯を食べられる店が、ほぼ皆無なのである。
 要するに自分で作ってしまうしかない。家族が作ってくれる事もあるだろうが、つまり自家製だ。
 コレが炒飯となると大きく話は変わるだろう。
 美味しい中華料理屋は、探せば幾らでもあるからである。
 だが待って欲しい。本当にそうだろうか。
 炒飯を提供してくれる店といえば、確かに中華料理屋かラーメン屋になるだろう。
 しかし、その時に炒飯を注文するだろうか。否。その可能性は極めて低い。
 無論、好み問題もあるが、中華料理は基本的におかずなのである。
 中華丼的な丼などを除けば、基本的に米を食うのに適している。少なくとも本格中華コースだとか、酒のつまみにしない限り、白米が進む料理が多い。
 白米があれば、炒飯は不要なのである。
 無論、多人数で卓を囲み、分け合う炒飯という手もあるだろう。しかし、そうではない。
 日本人的には、カレーライスや丼のように、チャーハンと言う料理を単体で楽しみたいのである。しかし、中華料理と言う形態は、それを推進しないシステムなのだ。
 せっかくの中華料理屋に来たら、青椒肉絲も回鍋肉も小籠包も麻婆豆腐も楽しみたい。
 だが、それらを注文すれば合うのは白米の方である。炒飯だと味が喧嘩してしまう。
 かと言って炒飯を注文すると、今度は他の菜譜を楽しめない。これを人はチャーハンのジレンマと呼んだりはしていないが、その葛藤を感じた事はないだろうか。
 ならば、ラーメン屋はどうか?
 ラーメン屋にも単体で美味い炒飯を食わせてくれる店がある。ここでなら炒飯を心ゆくまで楽しめるか。否。やはり否なのである。
 近年のラーメン屋はラーメンに特化しすぎて、炒飯のみを注文すると異端の目で見られるのだ。おのれラーメン死すべし。
 そもそも、ラーメンにブチ込むには白米の方が美味い。
 ラーメンと炒飯を注文するとベースの出汁が似通っていて食傷気味になる。
 何たる事か。炒飯を。炒飯を食わせろ。美味い炒飯を。腹いっぱい食わせろ。そういう店はないのか。炒飯専門店は。
 いや、前述の昭和喫茶店のピラフと詐称している炒飯なら心置きなく炒飯を楽しめる。名前はピラフだけど。
 だが、問題はもはや昭和喫茶店が絶滅危惧種で、容易に足を運ぶことが困難になりつつある。
 もはや望みはいわゆる昭和の町中華だ。
 ラーメン単体、チャーハン単体、天津飯単体、何の遠慮もなく注文できる。
 唐揚げや餃子のサイドメニューがあるのもいい。炒飯だけで腹が満たない時、追加で注文出来てしまえる。最高の空間じゃないか町中華。
 だが、昭和喫茶店に比べれば健在とは言え、町中華も次第に減少の傾向にある。
 おそらくは主に従業員の高齢化だ。
 だから今こそ専門店、チャーハン専門店、いつでも気軽に安価でチャーハンを食べられるチェーン店を展開すべきではないかと思うのである。
 チャー専。

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 なお、この先にはワタクシの好みの炒飯の話しか書かれてません。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。