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宿題やる気ペン〜!


 皆さん、こんにちは。宿題はやらない派。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 さあ、本日の話題は、みんな大好き! な訳がない「宿題」である。

 実は、ワタクシも先日知ったばかりなのですが、皆さんは面白いアイデア商品がある事をご存知でしょうか? その名も、

 (^ω^)⊃ 宿題やる気ペン〜!

 ベカベカベカ〜ッ♪


 はい。大山のぶ代の声で再生された人も多いかと思いますが、え? 水田わさび? そっか、時代だな、、、。
 おっと、いかんいかん。感傷に浸っている場合ではない。話を宿題に戻そう。

 どうやらこの商品、鉛筆に装着し、それで勉強をすると、

 (´°Д°)」 パワー!


 が貯まり、連携するアプリに、

 (´°Д°)」 パワー!


 を注ぐ事によってキャラクタが成長して、すごろくゲーム的なモノが進行するのだとか。それが面白いので、子供たちはガンガン宿題をやるようになるとかならないとか。

 レビューを見ると概ね好評。まるで宿題をしなかった子供が、宿題に取り組むようになったり、宿題をダラダラやってた子供が短時間で宿題を終えるようになったとか。

 一方で、すぐに飽きて放り投げたとか、仕組みを理解して宿題もやらずに、

 (´°Д°)」 パワー!


 だけを貯めているとか。他にも対応がiosのみだとか、小学校低学年向けなので漢字が使われておらず読みづらいとか、色んな不満は挙げられてる。
 まあ、Ciaoちゅ〜るに見向きもしない猫もいるらしいから、そりゃ万人が満足する結果は得られないだろう。それは仕方ない。
 結論だけ言えば、過半数が成果として宿題をやると言う習慣さえ身につけば、商品価値は充分であろう。

 しかし、しかしである。


 こーゆー商品が出ると、必ず外野が文句を言い出すんだよな。

 (´°皿°)」 勉強は遊びじゃない!



 ってな事を得意げに、高圧的に言う。

 これは15年以上前の話だが、塾が似たような試みをしてて、本の構成がゲーム仕立てになっている、という教科書が話題になっていたのだ。
 要するに、「16×3の答えのページへ進め!」というゲームブック形式になっている。って未だにゲームブックってあるのか? あったとして、今の子供は遊んでるのか? 何ソレ知らないって言われたら大山のぶ代以上のショックを受ける、、、
 おっと、いかん。話を戻そう。

 この時も、勉強を遊びにするなんて! という面倒臭い系の大人が絡んできていた。
 
 そういや先日も、小学生が開発した重いランドセルを楽に運べる道具が大人に文句を付けられていた。
 更にその数々の文句が、当の小学生に、

 「大人も毎日、一斗缶を背負って通勤するなら許してあげますよ。」


 と、バッサリ斬られてて、

 (´・Д・)」 こんな大人が作ってる世の中じゃ、そりゃ救われねえな。


 と思ったばかりである。
 結局のところ、子供は愚かだと決めつけている愚かな大人が多いのだ。wiiフィットだっけ?に夢中になってた癖に。

 (´・∀・)」 自分が馬鹿な子供だったから。



 (´・Д・)」 あ、ごめん。

 (´・∀・)」 今も馬鹿なままの大人だね。



 そして、自分がした苦労を後進がしなくていいと知ると、牙を剥く。
 あんたは携帯電話はおろか、スマホもインターネットもない時代に戻って暮らしたいのか?
 「現在の生活」ってのは、先達が築き上げてくれた礎の上に成り立ってるんだぞ?

 なので、自分ではない誰かが得をしていると知ると、ギョウ虫みたいな自尊心を傷付けられるのか、嫉妬に狂ってわざわざ不平を撒き散らしに行く。愚かしいにも程がある。自分が背負った苦労を味わせる真似をするのだ。

 だが、ワタクシは少し違った視点から見て、「勉強を遊びにする」事には些か懐疑的な部分を持っている事は否めない。

 ワタクシは小賢しいガキだったので、ゲームブック型の教科書だったら、確実に正解のページを地道に探すのである。
 もし、この宿題やる気ペンを与えられたら、

 (´°Д°)」 全力で
 落書きするタイプ。


 だから、イマイチ信用できない。それが本音だ。

 それだけではない。ワタクシは一時期、自分がやってて楽しいので、山登りをしていた。
 それこそ、無職の期間を利用して、ほぼ毎日山登りしていた。
 しかし、せっかく登るのだから記録をつけた方がいいかと思い、ついでなら、とアチーブメントでトロフィーがもらえる万歩計アプリを導入してみたのだ。

 その結果、急速に山登りがつまらなくなってしまったのである。


 どうやらコレをアンダーマイニング効果と呼ぶらしい。
 自発的に楽しくやっていた事に報酬を付けると、目的が報酬に変わり、報酬に不満を覚えると、自発的な楽しさが損なわれてしまうのである。

 雨の日は危険だから登らない、と決めていたはずなのに、万歩計の連続達成の記録が途切れたり、アプリが常駐されておらず、記録されてない日があったり、他にも幾つかの理由も重なって、山に登らなくなってしまった。

 つまり、勉強がもともと楽しいとか、宿題は普通にやる子だったら、このアイテムはむしろ弊害になる可能性もあるのだ。
 そして、勉強そのものを面白いと思えていない限り、ペンというオモチャに飽きたら、その習慣は損なわれてしまう。

 結局は、親が子供のタイプの見極めをきちんと出来ている事が大事、という事になるのではないだろうか。
 勘違いして欲しくないが、とにかく親が管理しろって意味じゃない。親がべったりと子供の面倒を見なきゃならないって意味でもない。
 所詮、道具は道具。子供の教育にかかる親の負担を軽減はしてくれるが、丸投げにしていいって意味ではない。そもそも、その道具が自分の子の教育に適しているか、また、親の自分に適した道具であるかを見極めて欲しいと願うだけである。

 そして、知人の塾講師と話していた時に、色々勉強になったのだが、

 勉強はただ勉強をする、知識をつけるためだけのものではない。という点が挙げられる。


 何かと言うと、「やらされる」ことに対する耐性をつける効果だ。
 例えば、円周率3.14は、単純に円周率を覚えさせるだけでなく、小数点以下二位の掛け算を反復する効果がある。と言えばご理解いただけるだろうか。
 副次的な利点は幾らでもあるのだ。そして、

 
 現実世界には「やりたくないこと」なんて山ほど湧いて出てくる。



 前述したように、少なくとも、わざわざ無意味な事をやらせようとする大人が多い事は間違いない。
 そりゃ、何でも楽に楽しく出来るに越したことはないだろう。
 だが、何にでも「楽しくない事はしない」ではダメなのかも知れない。

 嫌なことをどうにかしてこなす力を養う。
 他にも、集中力や習慣づけが必要だったりする。逆に言えば、幼少期から、机に向かってじっとしていられない多動の傾向があるとするなら、くだんのペンはそれを養う効果もある。

 副次的効果は、いずれにせよ賛否両方にあるのだろう。
 そう考えると、楽しくない事はしない、以外はプラス面が多い。買い与える事がプラスになるかマイナスになるかは、子供や親の性質によるところが大きいだろう。

 確かにワタクシなら、先ほども言ったように、ゲームブック型の教科書を与えられたら、正解のページを地道に探すし、宿題やる気ペンを与えられたら落書きをする。
 そーゆーガキだった。

 それがなくたって、小狡い手を使って先に進む方法を見つけるのは得意だったし。
 落書きする事で絵を描くのも好きになった。うん。

 結局はペンは道具でしかなく、それがあろうがなかろうが、同じように育つ気がしないでもない。

 最終的に、許されるかどうかは別して、ズルすることもアリで、どうクリアしていくかも含め、宿題ってのは案外と大事なのかも知れない。ワタクシは大嫌いでしたが。

 時代的に、やってこなかったら、ブン殴られるペナルティがあったしね。

 お陰で、それを逆算し、

 ブン殴られるだけで
 やらなくていいって
 性格に育ったのは
 宿題の所為だと思ってる。


 (´・Д・)」 割と真剣に。

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 なお、この先にはちょっとした本音が書かれている。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。