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現世界グルメ『カップ焼きそば』


 私は美食家を自称するが、インスタント食品も愛している。そう。インスタント食品だ。「美食家がインスタント食品とは笑わせる」という意見もあるだろうし、一部は賛同もする。
 「そこで手を抜くな」という点に於いては、反インスタント食品派と握手しよう。
 だが、「そこ」とは何処なのか、である。
 私は料理する側なら、「料理と真剣に向き合おう」という気持ちがある時は絶対に手を抜いてはならない、と思う。
 一方で、料理より優先すべき事項があるなら、その時はファストフード済ませようと、インスタントで済ませようと何ら問題はないと考える。
 だが、食べる側としては別だ。食べる側はいつでも真剣なのだ。だからこそ、インスタントであろうが、ファストフードであろうが、真摯に向き合って食わねばならない。
 そもそも、腕によりを掛け、最高の食材を揃え、最高のシチュエーションで食べようとも、まずいものはまずいのである。電子レンジに放り込んだだけでも、美味いものは美味い。それだけの事だ。
 みかんやバナナなんて、皮を剥くだけでうまい。いちごや、皮ごと食べられる種無しブドウなんて皮を剥く必要もないが、これらを軽視する人を見た事はない。つまりはインスタントだから悪い訳ではないのだ。
 それに「インスタントが手抜きだ」と言うなら、調理の際の「電子レンジ」はおろか「ガスコンロ」も「包丁」も全部手抜きになる。
 グルメの中には未だに電子レンジ調理を嫌う者もいるが、それこそ無知な偏見だ。電子レンジが駄目なら、グルメが喜ぶ真空調理も駄目になるが、何の差があるのか。
 電子レンジを使った方が美味くて効率が良いなら、我々はそれを礼賛すべきなのである。
 我々は美食家であり、美味ければそれを歓迎すべきなのではないか。
 単なる無駄な労力を、丹精込めたと勘違いしているだけではないのか、と問いたい。
 それに、言い方は悪いが、美味いものばかりを食っている訳にはいかないのだ。無論、現実的には財布や健康の問題もあるが、本道として、より美味いものを愉しみ続けるためには、定期的に美味くない物を摂取する必要がある。
 心配しなくても、厳選した結果でさえ不味いものに出くわすから、わざわざ不味いものを食う必要はない、と言う輩もいよう。だが、私はそうは思わない。
 味の方向性が違うベクトルを向いているものは、別のパラメータなのである。
 好き・嫌い、美味い・不味い、上手・下手とは少し違うパラメータを持つ料理を間隔的に摂取する事は、むしろ、より食事を愉しむスパイスだと思うのだ。
 それに、インスタント食品を馬鹿にするものではない。フリーズドライの味噌汁なんて、下手な料亭より美味い。
 これらの理由から、私はインスタントを愛しているのだ。
 例えば、そう。私はインスタントラーメンが好きだ。これを言うとラーメンマニアとは口論になるが、そこいらのラーメン屋より美味いと思っている。
 手軽で待ち時間も3分で済み、安定のクォリティ。しかも安価。流行りの味に惑わされたり、誰が作り手かで安定しないラーメン屋よりも信用できる。
 麺をすすり終えると、そこに白米をぶち込む。最高の瞬間だ。これはラーメン屋でやっても最高だが、いささか気が引ける。家庭でカップラーメンを愉しむなら、気兼ねしなくて済む。その点においてもカップラーメンは素晴らしい。
 だが、カップ焼きそばには、いささか懐疑的な立場である。
 カップ焼きそばのアイデンティティが確立できないのだ。そもそも蕎麦粉は一切入っていない。蕎麦ではない。まあ、これは言葉のアヤで、そもそもは「支那そば」から来ている。
 しかし、鉄の上でカリッとした焦げ目が付くまで焼くのが焼きそばなのだ。
 いや、「焼きそばソース味」を食いたいのだから、それでいいのかも知れないが、「カップ焼きそばカレー味」ともなると、何を食っているのか、さっぱりわからない。
 それに、カップラーメンと違ってスープがないから、白飯をぶち込む背徳感も味わえない。だから、私はあまりカップ焼きそばを好まないのである。
 だがしかし、我々はブランドや情報を食べているのではない。美味いものを、食べたいものを、知らない味を追い求めたいだけなのだ。
 そして同時に、グルメとしては食にまつわる知識も楽しむべきなほではないか。
 カップ焼きそばに付属するソースは、根源的な食欲を刺激するほど香ばしい。たったあれだけの量で、あんなに香ばしいのは何故か。市販のソースを大量に掛けてもあんなに際立つ香りはしない。
 その正体はシクロデキストリンというグルコースの連環体だ。この輪の中に匂い分子を閉じ込める性質を利用している。熱でその輪が解け、閉じ込められていた香りが一気に広がるのだ。
 また、シクロデキストリンは練りワサビなどにも使用されている。ワサビや辛味ダイコンの刺激が揮発してしまわないように閉じ込めておく作用もあるのだ。
 なお、このデキストリンはまさに消臭剤として利用もされている。
 こう言うと厭な顔をする美食家もいるが、火で肉が焼けるのも、熱で餅が膨らむのも、糖分がアルコールになるのも、酢と油と卵でマヨネーズが出来上がるのも、すべて科学現象なのだ。
 くだらない個人的見解のみで食に偏見を持つべきではない。
 そこで私は、カップ焼きそばを研究してみた。
 そして、見つけたのだ。究極に美味しい食べ方を。
 いや、正直に言おう。人からカップ焼きそばをケースで貰うことがあったので、折角ならより美味しい食べ方を模索しただけなのだが。
 だがそれを恥じる事はない。ポピュラーなスナックの代表とも言えるポテトチップスは、客の要求に対し、ヤケクソで対応したことが原因で生まれた。始まりは何でもいい。
 だからとにかく、私がたどり着いたカップ焼きそばの究極に美味しい食べ方を伝授しようと思う。
 
 

 まず用意するのはお好みのカップ焼きそば。他は要らない。当たり前だ。あれやこれやを足して美味しくするのはインスタント食品の流儀に反する。
 用意する道具は、湯沸し用のヤカンか鍋。そして計量スプーンのみ。無論、電気ポットでもいいし、その方が楽だがあくまでポピュラーな鍋を選んだだけである。
 簡単かつ何の準備も要らないことがインスタント食品のあるべき姿なのだ。
 続いて、湯を沸かす。
 沸かす湯は、カップ焼きそばが指定するお湯の量の2.2倍である。
 湯は、完全に沸き立ち、荒い気泡が水面を激しく波打たせるまで沸騰させること。これが大事なポイントだ。
 傍だったら、カップ麺のフタを開け、加薬などをすべて取り出す。そして、まずは何も加えない状態で麺だけにして、熱湯を注ぐ。規定の線まで、たっぷり注ぐ。
 そうしたらフタを閉め、軽く容器をゆすり、2秒だけ待ち、湯をすべて捨てるのだ。
 捨てる時は湯切り口ではなく、注ぎ口から捨てていい。まだ麺がほぐれていないから、湯以外は出てこない。
 手早く、そして、しっかりを湯を切ることが大事だ。これまでの作業でいちいち「火傷に注意」なんて当然のことは書いていないが、火傷には充分に気を付けて欲しい。馬鹿馬鹿しい話だが、書かねばわからない輩もいるようなので、念のために書いておく。以降はもう言わないが、火傷にはくれぐれも気を付けて欲しい。
 特に、注ぎ口から湯を捨てる時はフタを抑える指が危険である。手早く切る必要もあるため、慎重に行われたし。
 そして、湯をすべてしっかりと切ったら、すぐにフタを開けて加薬などを入れ、もう一度、湯を入れる。
 まごついている暇はない。迅速に行動しろ。
 これによって、麺の余計な油が抜ける。これだけで、カップ焼きそばは劇的に変化するのだ。
 理由は簡単。インスタントフライ麺に使用される揚げ油が、基本的に低品質だからである。
 これを綺麗に洗い流すことによって、味が一気にクリアになるのだ。だからこそ熱湯で2秒待ち、油を洗い流す必要がある。
 油が足りなくなる!という人は、後から好みで胡麻油なり何なりを足せばいいだけだ。
 あの低品質な油がいいんだよ!という人は、ここまで読んでもらってすまないが、帰ってくれ。
 それに、油の話だけではない。お湯の温度だ。火にかけるタイプとは違い、湯の温度は注いだ時点で一気に低下する。したがって、湯通しする事により、麺の温度が上昇し、より高温で均一かつ弾力のある麺になるのだ。
 湯を大量に沸かしたのはその為だ。確かに、即席麺というには2倍の湯を沸かす時間が面倒に感じるかも知れない。しかし、その分だけの美味しさはあるし、また、湯通しによってわずかながら待ち時間を短くできる。
 待つ時間は、規定が3分なら、この方法で20秒ほどは短縮されるだろう。
 カップ麺に湯を注いで何分待つかは人次第なので、ここは厳密には言うまい。

 個人的見解だが、硬めの麺が好みな私でも、カップ焼きそばは規定時間きっかりまで待つ。
 カップラーメンなら1分と待たずに食べ始める事のあるせっかちな私だが、それでも規定時間まで待つ。待てない時は、湯切りをかなり甘くする。
 カップラーメンならスープがボソボソ感を防いでくれるが、カップ焼きそばだとそうはいかない。だからこそしっかり待つか、あるいは湯切りを甘くするのである。

 さて。無駄話をしているうちに、待ち時間が訪れた事だろう。
 いよいよ湯切りだ。
 湯切りは手早く、そして徹底的にやる。
 湯通しという工程を経ただけで、麺は劇的に美味しく、そして水々しくなっている事だろう。遠慮はいらない。しっかり湯を切れ。
 む? あまり湯切りを徹底しない方が好きだ? 待て待て。話は最後までしっかり聞け。わかっている。わかっているさ、そんな事は。
 何のために、湯を2.2倍用意したか。計量スプーンもまだ使っていないだろう?
 麺を戻すために使用した湯は2回分。残りは0.2回分もある。こいつを使うんだ。
 いいか。湯切りが終わったら、計量スプーンで残り0.2回分の湯から、好きなだけ湯を足して、好みの水分にする。例の油混じりの湯を、ここでも捨てて、新たに湯を入れるのだ。これによって、湯切りの度合いも足す水分も一定になる。これ以上ない再現性だ。
 なに? だとしても、2.2倍の湯は多過ぎるのでは? おやおや。これはまた異な事を。私が2.2倍もの湯を沸かさせたのにはちゃんと理由がある。
 残り少ない湯は、あっという間に冷めるのだ。3分の間に温度が下がる。それを避けるために多めに沸かしたのだ。
 無論、猫舌で熱いのが苦手なら、少な目に沸かして冷ました湯でもいい。電気ポットなら使う分だけで良い。あくまで鍋を想定しただけだ。
 さあ、好みの量だけ湯を沸かしたら、ソースを掛ける。満遍なく全体に行き渡るように、だ。もたもたするな。大事な事だ。
 麺の色が均一になる様に、素早く、そして大胆にかき混ぜろ。
 それが終わったら、青海苔だのスパイスなどを振り掛ける。特に青海苔は湯気で上がってくる香りがたまらないからな。
 トロトロしていたら湯気が消えちまう。なに、慌てる事はない。慌てるのとキビキビ動くのは別の話だ。焦らず、確実に、迅速にだ。
 さあ、これで美味いカップ焼きそばの出来上がりだ。
 最初は戻し時間や湯の量がいつもと違うから上手くいかないかも知れないが、麺が劇的にクリアになっているはずだ。それに、2~3回試せばコツも掴める。
 究極のカップ焼きそばを堪能してもらいたい。
 面倒なら「湯通し」だけでいいので試してもらいたい。

 なお、今回の料理に使用した銘柄は「P」である。私は関西なので「U」の方が馴染みがあるのだが、送られてきたカップ焼きそばが「P」だったので、それを使用した。

 ここでどちらの銘柄の方が優れているかなんて、話をするつもりはない。
 そんな、きのこだのたけのこだのと言った愚かな宗教戦争は他所でやって頂きたい。何なら、異世界の話である。いや、異世界でやれ。

 なお、私は、たけのこ派である。よし。異世界に行こう。


 ※ この短編小説はすべて無料で読めますが、お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には「試してみたぜ! 電子レンジでカップ焼きそば!!」が書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。