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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(9)南アジア紀行(①バナーラス編)

[画像]ダシャーシュバメード・ガート付近をゆく小舟からのガートの様子。街の喧騒をよそに静かなガンジス川に漕ぎ出すと、ガートが別世界との境目のように感じられる。(2020.02.13 道しるべサポーター撮影)

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。

 映画の舞台であるインド・バングラデシュのある南アジアは北はヒマラヤ山脈、南はインド洋に抱かれた広大な土地に、インド音楽の連載でもご紹介している通り特色豊かな文化が混在する地域です。「南アジア紀行」ではベンガル地方を揺籃(ようらん)する南アジアの各スポットに、道しるべスタッフ、サポーターから寄せられた現地の画像とともに迫ってまいります。

 連載のスタートは、やがてはバングラデシュでベンガル湾へとたどりつくインド・バングラデシュにとって母なる大河であるガンジス河流域の都市・バナーラスです。インドの原風景ともいえる都市の風景を、ヘルマン・ヘッセの名作『シッダールタ』の文章とともに巡ってまいりましょう。

2000年以上の歴史を誇る宗教と学問の都市バナーラス

川は無数の目で、緑色の目で、白い目で、透明な目で、空色の目で彼を見た。
この水とその秘密を理解するものは、多くのほかのことをも、多くの秘密を、いっさいの秘密をも理解するだろう、と思われた。
[出典]竹田武史 構成:写真 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタの旅』新潮社P.130

 仏陀の名で知られるゴータマ・シッダールタと別人でありながら、シッダールタの名を持つ青年が自ら悟りを開こうとするヘッセの小説『シッダールタ』では、ガンジス川がシッダールタに悟りへの道に誘います。やがて川の渡し守となるシッダールタもこうしてガンジス川を渡ったのではないか、そんなことを思い起こさせるのがこのバナーラスの街かもしれません。

 バナーラスはガンジス川が育んだ、歴史ある宗教都市です。インド文化の土台を築いたアーリヤ人たちの政治・文化の中心地であったとともに、仏陀が北郊のサールナート(鹿野苑/ろくやおん)で説法を説いたり、中世以降長きにわたるイスラーム王朝の支配下で最高級のサリーが生まれるなど、複数の宗教が文化を発達させた都市です。2500年あまりにわたる歴史を通じて、信仰とともに発展してきました。

 街の表記名がいくつもあるのも、その歴史の長さの証です。日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、「カーシー」といった呼び方もあります。

【バナーラスの名称の由来】
「ワーラーナースィー」
ガンジス川の中流域にカーシー族が国を築いた際の都の名前。
インド独立後、「カルカッタ」が「コルカタ」となったのと同様、この街も最も歴史の古い名で呼ばれるようになり、駅名など公式な名称として使用されている。

「カーシー」
「光の都」の意味で、元は古代にワーラーナースィーを都とした国の名前。別の国に併合された際に国の名前が都に引き継がれ、一つの都市でありながら2つの名前を持つことになった。
今は「カーシー詣」など宗教・学術関連で呼ばれる名前。

「バナーラス」
ワーラーナースィーが歴史的に発展した、日常生活での呼び名。現地の名産品である民族衣装サリーは「バナールスィー(バナーラスの)・サーリー」と呼ばれる。
[出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.277-278参照

 街はイスラーム王朝の影響を色濃く受けつつも、歴史を通じてヒンドゥー文化が発達を遂げました。ヒンドゥー教はもちろんのこと、インド文学でも名を馳せる偉人たちがその才を開花させたのがこの宗教都市バナーラスでした。

 神への愛を重要視するバクティ信仰運動の指導者チャイタニヤ、信仰する神が違っても本来神は一つであると説いたサリー職人のカビール、華麗な文学作品でヒンドゥー社会に多大な影響を与えたトゥルシーダース。バナーラスで有名になった偉人は中世だけをとってもこれだけの人物がいます。インドで六大国立大学に数えられるバナーラス・ヒンドゥー大学が今も居を構えるように、バナーラスは学問都市でもあります。

 そんな都市の文化の源泉が、この街を育んできたガンジス川でした。

ガートが隔てる別世界

 ガンジス川と聞くと、長澤まさみ主演のドラマ『ガンジス河でバタフライ』をイメージされる方も多いかもしれません。このバナーラスこそが彼女、ドラマ原作者たかのてるこがガンジス川を泳いだ地です。訪れた人がそうした作品や、世界史の教科書などで見たそのままの景色に感動を覚える場所です。

川は何か特別なことを、彼のまだ知らない何かを、まだ彼を待っている何かを、彼に語っているように思われた。
【出典】竹田武史 構成:写真 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタの旅』新潮社P.124

ヴァラナスィ 河を行く小船

【画像】バナーラスでの、ガンジス川を行き交う小舟の様子。
(2020.02.13 道しるべサポーター撮影)

 インドの文明、特にヒンドゥー教の文化はまさにこのガンジス川の賜物です。
 
 ヒンドゥー教の聖典の祖となった宗教文献であるヴェーダは、この川が育んだ農耕社会を背景として誕生します。複雑な祭祀が発達した中流域に比べ、川の下流ではより自由な思想が生まれやすくなり、仏教ジャイナ教など新たな宗教の土壌となります。シッダールタの悟りへの旅立ちも、川に縁があると言えるかもしれません。

 ガンジス川はインドでは「ガンガー」と呼ばれ、川の由来とされる女神とともに崇拝され、生活の一部となっています。この川の岸辺に複数の聖地があり、その中でもとりわけ重要度が高い聖地のひとつがバナーラスです。

 聖地にはガートという沐浴場が設けられており、聖なる川の水を浴びることによって罪の汚れを洗い落とせると信じられています。バナーラスでは、王侯貴族や富者による寄進により作られた階段状のガートが西岸約5kmにわたって設けられています。写真(トップ)の撮影場所でもあるダシャーシュバメーダ・ガートは特に有名なガートの一つです。

 大小1500近いヒンドゥー寺院があるこの街に参拝に訪れた人々は、ガートで沐浴を済ませて寺院へ赴きます。ガートへ続く道ではストリートチルドレンが物乞いをしていたり、必ずと言っていいほど屋台ではチャイという呼び名でおなじみの甘いミルクティーが売られていたり、インドでお馴染みの光景に遭遇することでしょう。

 ガートに出ると、観光客目当ての花売りや川を案内するボートの漕ぎ手、さらには聖なる川を修行に訪れた修行僧たちの姿が目に入ってきます。多くの修行僧や信仰あるものが、この川の神聖さに身を寄せています。

ヴァラナスィ 瞑想する修行僧

【画像】瞑想にふける修行僧。オレンジ色の袈裟が朝焼けに溶け込む。
(2020.02.13 道しるべサポーター撮影)

真理を語り掛ける川

 ガンジス川の川辺を歩くと、火葬の現場に遭遇するかもしれません。
 
 ヒンドゥー教徒は、ガンジス川の岸辺で亡くなり、火葬されて自らの遺骨や灰がガンジス川に流されるなら無上の喜びとされています。聖地バナーラスでは、時期によってはほかのガンジス川沿岸の都市よりも目に入るかもしれません。

ヴァラナスィ 火葬の様子

【画像】小舟から眺める、バナーラスの火葬場の様子。現地ガイドによれば、乳幼児や子供は火葬せずに川に流し水葬することもあるのだとか。
(2020.02.13 道しるべサポーター撮影)

 シッダールタは厳しい修行が本当に悟りをもたらすのか疑問を投げかけ、軽蔑していた市井の世界と交わるようになります。しかし博打や遊女との戯れに溺れ、ある日己の浅ましさに絶望し川に身を沈めます。その時彼の耳によみがえったのは、かつて自分を導いたバラモンの祈りの句である「オーム」という響きでした。

「オーム」というひびきが、シッダールタの耳に触れた瞬間、眠り込んでいた彼の精神が突然めざめ、自分の行為の愚かさを悟った。

「オーム!」と彼はつぶやいた。「オーム!」そして梵を知った。生命の破壊しがたいことを、忘れていたいっさいの神々しいものをふたたび知った。
【出典】竹田武史 構成:写真 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタの旅』新潮社P.117

 彼は岸辺へ戻り、かつての禁欲で押さえていた本能を解放しなくてはならなかったこと、そしてすでに俗世に入り浸り今までの自分は一度"死んだ"のだと悟りました。

 自らの人生を変えたガンジス川にさらなる気づきを予感した彼は俗世を捨て、かつて友情を交わした川の渡し守のもとで暮らすことにします。

傾聴することを川が私に教えてくれた。おん身もそれを川から学ぶだろう。川はなんでも知っている。人は川からなんでも学ぶことができる。

【出典】竹田武史 構成:写真 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタの旅』新潮社P.134 ※太字は道しるべスタッフによる)

ヴァラナスィ 河を行き交う船

[画像]ヴァラナシのガートの朝。昇りゆく朝日と静謐なガンジス川のコントラストに圧倒される。(2020.02.13 道しるべサポーター撮影)


 インドに行くと人生観が変わる、とはすでに使い古された言葉かもしれません。しかし、この川と聖地は、今もカルチャーショック以上の人生を変える何かを語り掛けてくれるのかもしれません。皆さまも川の声に耳を傾けに、バナーラスをぜひ一度訪れてみてください!

 南アジア紀行では、ベンガル地方とともに特色豊かなインドの各都市、さらにはパキスタン・スリランカなど南アジアの他の国々も取り上げてまいります(画像やエピソード寄稿が記事のタイミングとなります)。記事を通じて、ベンガル地方と南アジアの各地の異なった魅力を比べながらお楽しみいただければ幸いです。

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