見出し画像

The Way Homeが活動しているウクライナのオデッサという街

私がウクライナのオデッサに住んでいたのは20年近くも前で、最後にウクライナを訪問したのも15年以上前です。かなり前のことですが、その半年間のことは今でも強く印象に残っています。

オデッサは人口100万人のウクライナ第3の都市です。黒海に面した港町で、陽気で開放的な気質の人が多い印象です。ロシア語が第一言語として話す人が多いですが、特に若い世代は学校教育の影響もありウクライナ語も話します。

知り合った人の中には、ロシア極東や中央アジア出身者もいて、ロシア国籍の家族もいたのではないかと思います。出身地にかかわらず、オデッサへの愛着が強く、街を誇りに思っている人が多かったです。

ウクライナ生活をサポートしてくれたアイセックメンバーの大学生はかけがえのない友人たちで、たくさんの刺激をもらいました。友人のなかには、シングルマザーとのふたり暮らしの子もいれば、新築のマンションに住んでいて家計に余裕のある子や、両親ともにロシア出身の子もいました。

当時大学生だった友人たちは、ソビエト時代に生まれ、小学生の頃にウクライナが独立した年代です。親世代と違い、国外にも様々な機会があることに期待を膨らませていました。ただ、当時は中西欧を訪れるにはビザ取得や物価の差などの壁があり、隣国であるロシアやポーランド以外の国を訪れたことのある学生は稀でした。

オデッサには太い柱に支えられたソビエト連邦らしい重厚な雰囲気の建物もありましたが、街の中心部にはイタリアやフランスに影響を受けた19世紀のクラシック建築の建物も多く残っています。有名なポチョムキンの階段の周りは、いつも人で賑わっていました。歩行者天国のデリバスィフスカ通りにあるパッサージュはとても美しく、特別な雰囲気のある場所でした。

オデッサ駅はターミナル駅で、「オデッサにようこそ!」というメッセージが駅舎の上に掲げられていました。ここからウクライナ各地や当時はモスクワへの列車も発着していました。そこから路面電車やトロリーバスに乗ってビーチや街の中心部に向かうことができました。駅の側には大きなマーケットもあり、活気にあふれていました。

20年近く経ち、新しいお店ができたり、様子が変わった地域もあるかもしれません。けれどニュース映像に映る街並みは見覚えのある場所も多く、以前と同じ雰囲気を残していました。この街並みとそこに住む人たちの生活が守られることを祈るしかありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?