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【起業秘話】過去いろんな時期の誕生日投稿をもとに「事業立ち上げの裏側」を赤裸々に語ってみた。前半

Facebook(以下FB)の過去投稿のうち誕生日に関する投稿を振り返りながら、起業と事業立ち上げの生々しいリアルを綴ったらおもしろいのではないか。
そう思い立ち、ペンをとった。
実際にペンをとったわけではないけど、とにかく、ペンをとった。

さて、11月7日は私の誕生日だった。
48年前の昨日私は生まれて、
8年前の昨日40歳になった。
ま、当たり前のことではあるのだけれど、そういう当たり前のことを丁寧に言語化していくのが好きだ。
そうしながらこれまでを振り返り、しっかりと受け止め、受け入れて、過去、自分、そして世界に対する捉え方を最適化することで、自分の現在地やリソースを確認し、今とこれからに生かして活かすことが私の好みであり特技だ。


誕生日メッセージをいただいた皆様ありがとうございます!
お一人ずつにお返事を返している途中です。
時間がかかっておりますが、何卒ご容赦くださいませ♪


これは2011年11月8日、私が誕生日について言及した、現存する最古のFB投稿だ。
実に9年前の投稿であり、化石を掘り出したような気分になる。
さらに、通常そんなことはあり得ないけど、その掘り出した化石が昔自分が使っていた物で、当時の私の生活を現代の人々に伝えてしまう、とするとこれはなかなかこっぱずかしい。笑
ですが、今日はそれをやります。

さて、5月に新会社日本キャリアセンターを設立し、賃貸契約を済ませて無事場所を借り、7月に「キャリぷら」をオープンさせたその年だ。
欲もなければ他意もない。
相手に対する配慮しかない。
何の飾り気もない美しい投稿だ。
自画自賛だ。

誕生日は7日なのに、これはその翌日の投稿。
7日の誕生日は、忙しすぎて投稿どころじゃなかったのかもしれない。妻と幸せな時間を過ごすため、下世話なSNSとの関わりを敢えて絶ったのかもしれない。そのあたり、今ではもう記憶はなく定かではない。

人間の記憶とは曖昧であやふや。そんなものだ。

そしてその翌年が先ほど書いた8年前、
2012年、いよいよをもって私は40歳になる。
そのときの投稿がこれ。


我が身にこんな日が訪れようとは。
不惑の40歳。
数えきれない数のメッセージを頂戴しています。
この数を返信するとスパムと見なされてしまうため、まとめてこちらでお礼申し上げます。
皆様、ありがとうございます!
学生のみんな、ありがとう!
ここから10年。
40代は我が人生の中で最高にガンガン攻めていきます。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!


欲どしいではないか。笑
ありがとう。ありがとう。と礼を言い、
引き続きよろしく、どうぞよろしくと願うなど、前年の必死さ無欲さ清々しさの前に霞んで見えるわバカモンが。と言いたくなる。

ボランティアで運営していた街ナカのキャリアセンター「キャリぷら」を維持するために、身を粉にして働いてた。それはもう働きまくった。
見栄も外聞もなく、いや正確には、人の目やうわさを考える余裕はちゃんとあったから見栄も外聞もあったといえるけど、そんなこと見てみないふり気づかないふりをして、ひたすら東奔西走、大学での講師業と学生相談業務に明け暮れていた。
すべては経験を積みながら、金を稼ぐために。
その金でボランティアのキャリぷらを運営するために。

「すべては学生と日本の未来のために」

ちなみにこの頃キャリぷらに来る学生の数は、1年目の4倍に膨れ上がり、1,000人近くになっていた。

そして7年前2013年。
キャリぷら開設から3年目になるこの年。
ここまでと同様、やはり誕生日当日の投稿はなく、メッセージやコメントをくださった方々へのパーミッションのため翌日公開した投稿が残るのみ。

黄金色の光に包まれる早朝の新幹線が好きだ…ってのは前にも書いたからもういっか。
たくさんの、本当にたくさんの方々から祝福のメッセージをいただいております。
この場をお借りして、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
コメント、メッセージとも順次お返ししております。
何卒いましばらくのご猶予を。
新大阪まで同乗した、出雲大社を目指してヒッチハイク中の学生たちの行方が気になりつつ、昨日で終わった摂南モギ就を振り返り、キャリぷら東京に思いを馳せる。
そんな、師走に向かう11月8日の朝、快晴。
4年生は卒業に向かって、3年生は就活に向かって、私はいよいよバカボンのパパと同じ41歳の春に向かって、この新幹線のような速いスピードで時間は飛ぶよに過ぎ去っていく。
それはもう信じられないような速さで。
それは、もう、
信じられないような速さで。

2回言っちゃってますよ、2回。
信じられないような速さで、って2回も。笑
これね、たぶんね、いや、予想ですけどね、速さのことを言いたかっただけじゃないんですよ。おそらく。いや、もちろん速さのことも言いたいんですけどもね、それだけじゃない。それだけじゃなくて、それに加えてさらに、巻き戻せない、やり直しが効かないんだよ、と、時の流れの不可逆性や、その絶対的法則に対する恨めしさなんかについても言いたかった。きっと言いたかった。書かなかったけどほんとはそう言いたかった。たぶん敢えて書かなかった。迷ったうえで書かなかった。悩んだ末に書かなかった。

なぜか?
それはですね、この年、実は、忘れられない衝撃的な出来事が起きています。この投稿から遡ること数ヶ月前の4月4日。妻との結婚記念日であり、離婚記念日。そう。10年目の結婚記念日に2人で届けを出しました。つまり愛する妻と離婚をしていました。哀しいですね。悲しかったですね。なぜこんなことになってしまったのか。こうするしかなかったのか。いや、しかし、現にどうすることもできなかった。今だって為すべきことは山のようにあって、前を向いて進んでいくしかない。ないよな。もう、戻れやしない。行くしかないんだ。うんぬんかんぬん。
と、そんな気持ちを書きたかった。でも書けなかった。そんなめめしいことしたくないってのと、あとは妻が気にするだろう、心配するだろうと、書くのをやめた。
これはそういう投稿でした。

当時持っていたもの全てを失い、身軽になった私は、8月にオープンしたキャリぷら東京の立ち上げに奔走していた。そんな年の、大阪から東京に向かう新幹線の車中で書いた誕生日投稿です。

さて、寂しい話なんで次へいきましょう。

6年前です。2014年。
なんと誕生日について触れた投稿がありません。
おそらくこのずっと後にあるんでしょう。
誕生日を過ぎたずっと先に。
書けなかったんです。たぶん。
それどころじゃなかったから。
代わりに、こんな投稿をしていました。


「誰も助けてなどくれない。
自分でなんとかするしかない。」
キャリぷらの根っこにはそんな思想がある。
すなわちキャリぷらは、学生がそのことを知り、この先の人生を自分の足で立ち、強く歩んでいくための礎を築く場であることを志向している。
世界は、社会は、人は、黙って突っ立っているだけの君を決して助けてはくれない。
しかし同時に、自ら考えること、判断すること、行動すること、そのすべての責を追うこと、そこから学ぶこと、歩みを前に進めることは自らを助け、その繰り返しにより誰もが未来を創っていくことができる。自らの手で。
学生自身が自らの体験を通じてそんなある種の真理に気づき、学び、体得していくそのプロセスを、ただじっと見守り続けるのがキャリぷらという場の在り方だ。
そして、キャリぷらスタッフの役割の真髄もそこにある。
だからキャリぷらは、安易に学生を助けない。
長い目で見れば、安易に助けることが助けることにならないと考えているからだ。
その代わりに手間と時間をかけて見守るから、自ずと非効率を追求したかのような関わり方になる。


翌日8日の投稿でした。
前述したように誕生日については何も触れられていません。
内容自体はキャリぷらが大切にしている考え方について書いたもの。キャリぷら運営や学生対応の根っこにある考え方、真髄ともいえる内容です。
ですが、ここにも秘話の匂いがします。笑
この投稿に込めた意味は、おそらくそれだけではないですね。
このタイミングで書かれていることが、実はひじょーに意味深です。
当時の私を取り巻く環境が、投稿の先に透けて見えます。このとき、私、とてつもなく行き詰まってました。もう、どん詰まりでした。

提携先とは意見が噛み合わない、社内のスタッフには指示が通らない、先行投資でリターンに至ってないから金がない、2年目のキャリぷら東京に詰めかける1日150人の学生の対応に毎日追われているから時間がない、飯が食えない、寝る時間もない、とそんな感じで、当時、半年ほど血便が止まりませんでした。笑

あれは、ひとつの地獄のカタチでしたね。
まさに八方塞がりの状況でした。
そんな状況ですから、誕生日どころではなかったわけです。
よって誕生日投稿もなし、と。

あ。
これはやばい。
次の年はヤバイです。
ヤバイ年ですよ。笑
2015年です。
ある意味で引導を渡されます。
とどめを刺されたとも言える年。
終幕、終焉、私の一時代が終わった年です。


たくさんのメッセージやコメント。
心からありがとうございます。
おかげさまで、
43歳の誕生日を迎えることができました。
なんとも複雑な歳になったもんです。笑
この先40代は、ここからまた少しずつ若返っていこうと画策しております。
今後とも、たなべあー並びに株式会社日本キャリアセンターとキャリぷら、そして弊社スタッフ一同を、どうぞ末長くよろしくお願い申し上げます。


はい、シンプル。笑
これしか書けないわけです。
弱ってるし、悩んでるし、困ってるし。笑
これが誕生日当日7日の投稿。

ここで、ひとつポイントを挙げるとすれば、起業以来はじめて誕生日当日に投稿してる点でしょう。
業務に追われているわけでもなく、
大切な誰かに祝ってもらうこともなく、
カラダが空いてたから投稿できた。
このとき、私は何もしていなかった。
そういうことです。

そして、翌日8日にも投稿してます。
こんなふうに。


毎年数千人は会っていた学生と、会うのをやめた今年。
東京、大阪、両キャリぷらには行かず、難波のオフィスにいる今年。
動きながら考えるのをやめて、立ち止まって考えている今年。
会社の仕組みを整え、人を育てることに力を割いている今年。
自己満足をやめてちゃんとビジネスモデルを作り直している今年。
壮年期に入ったことを実感し、前向きに受け入れた今年。
いろんな意味で今までとは明らかに違う今年も終盤を迎え、またひとつ歳を重ねることができました。
本当に有難いことで感謝してもしきれません。
いいね、コメント、メッセージなど、この誕生日にお寄せくださったお気持ちのすべてにお応えしていくためにも、いい会社をつくり、いいサービスをつくり、いい人材を育て、すべては学生と日本の未来のために、今後も力を尽くして参ります。
みなさま、
本当にありがとうございました。
今後とも、
どうぞよろしくお願いいたします。


気丈じゃあないですか。健気じゃあないですか。
わたしゃ泣けてきますよ。ええ。
身も心も、あんなにボロボロだったというのに。
何があったのか?ここではそれをお話しましょう。
このとき私、正真正銘ボロボロでした。
捨てられたボロ雑巾が踏まれて蹴られて犬のうんこの上に乗っかってまたその上から踏みつけられてしまってるくらいにはボロボロでした。もーまったく動くことができませんでした。

なぜか。
ここでもう一度前年まで話を巻き戻します。

提携先と意見が噛み合わない、社内のスタッフに指示が通らない、立ち上げ先行投資で金はない、2年目キャリぷら東京は1日150人の学生対応で時間がない、飯食えない、寝る時間ない、半年血便が止まらない、とまーそんなときにですね、何が私を支えていたのか?

ずばり!志だよ!キミ。
社会課題を解決しなきゃならないんだよ!
すべては学生と日本の未来のために。
俺はやらなきゃいけなかったんだよ!
と言いたいところです。
言いたいところですよ。そりゃ。
そりゃ言いたい。言いたいよ、そりゃ。
いや、そうなんです。実際そーなんですよ。
それはそれでそーなんですけど、それにしても限度があるわけですよあーた。笑
だから、実際はそれだけではなかった。
別の何か、私を支えていた存在がそこにはあった。

人間は弱くて脆い生き物です。
はい。やり方をまちがえれば簡単に潰れます。
でも、そんな人間でも、周りに誰も味方がいなくても、限度を超えた無理をし続けられることがあります。それは、心から信じられる人、助けてくれるわけじゃなくてもただ心の拠り所になる存在がそばにいるとき。愛です。愛。たった1人でいいんです。そんな人がいれば案外やれるもんです。
人はなかなかシンプルバカです。笑

当時私にもそんな人がいました。愛してました。
ご両親への挨拶も済ませ、翌年結婚することになってました。

あのときがんばれたのは、たぶん彼女がいたおかげでした。

しかし、前述のように限度を超えた環境下、ギリギリ辿り着いた年の暮れ、年末年始の休暇のため大阪の自宅に帰還した私を待っていたのは、そのたった1人の心の支えとの別れでした。

いや、悲しいやろ、悲しすぎるwww
やめよ。こんな話。笑
とにかくボロボロでしたよってのはそーゆーことでした。
幼い頃のトラウマを乗り越えてたどり着いた先での破局だっただけにそのダメージは大きかったとか、まー細かくは書いた以外にもいろいろあるわけですが、そこはそれ、キリがないので割愛します。
そんなこんなで動けなくなった私は、東京、大阪、どちらのキャリぷらにも行かなくなります。行かないというより、行けなかったんですけどね。だから、大阪のミナミ、難波に事務所を借りてそこに籠った2015年でした。

ちなみに、
こんな状況とは裏腹に、この間、キャリぷらの学生来場者数はうなぎ上りに増えに増え、年間1万人近い学生が利用する場に育っていました。スゴクナイデスカ?
やることやってたぶん、事業は概ね私の計画どおり推移していました。

しかしその裏では失うものを失い尽くして、生ける屍人(しかばね)、簡単に言えばゾンビですね、そのような状態で立っていたというのが実際のところでした。なんともおぞましいですね。笑

私は起業してから一度だけ、過去に一度だけ、
「キャリぷらも会社も全部潰してやめてしまおう」
と、本気の本心で考えたことがあります。
それがこのときです。
そこで一回リセットして、そこからまた全てがはじまりました。何もかも変えて、新しく。

何のためにこの事業に取り組むのか。
あのとき1年かけて、原点に立ち返ってぜんぶ考え直しました。学生のため、社会のため、それだけではもう不十分でした。自分ががんばる理由、どんなに苦しい状況でもがんばれる理由としては足りなくなった。
そして、考え抜いた末に出した答えは、

「社員のため」

でした。
共に働く仲間、私を信じてついて来てくれる仲間のため、そう考えたら「やらなあかん」と思えてきました。

そうか、そういうことかと思いましたね。
それまでうまく行かなかったこと、その理由のすべてが解決したような気がした瞬間でした。
社員が育たないことも、すぐに潰れてしまうことも、社外のパートナーとの連携がうまくいかないことも、愛する人がいなくなることも、すべて理由は同じなんだと気がつきました。

私の基準を当てはめるのをやめ、
その人ができることを見つけて、その人にできるやり方を考えて、その人ができるスピードでじっと見守るようになりました。

それがこの後の繁栄と「今」に繋がる変化の礎になります。

さて、年初にこんな大事件があった2015年。
大きな大きな変化の渦中にいた2015年の誕生日。
その当日の7日がシンプルな投稿にとどまった理由も、8日に書いたこの投稿の意味も、なんとなくご理解いただけたのではないでしょうか。
よろしければ最後に、
改めて、8日の投稿読んでみてください。


毎年数千人は会っていた学生と、会うのをやめた今年。
東京、大阪、両キャリぷらには行かず、難波のオフィスにいる今年。
動きながら考えるのをやめて、立ち止まって考えている今年。
会社の仕組みを整え、人を育てることに力を割いている今年。
自己満足をやめてちゃんとビジネスモデルを作り直している今年。
壮年期に入ったことを実感し、前向きに受け入れた今年。
いろんな意味で今までとは明らかに違う今年も終盤を迎え、またひとつ歳を重ねることができました。
本当に有難いことで感謝してもしきれません。
いいね、コメント、メッセージなど、この誕生日にお寄せくださったお気持ちのすべてにお応えしていくためにも、いい会社をつくり、いいサービスをつくり、いい人材を育て、すべては学生と日本の未来のために、今後も力を尽くして参ります。
みなさま、
本当にありがとうございました。
今後とも、
どうぞよろしくお願いいたします。


この少しあとから、

「すべては学生と(社員と)日本の未来のために」

と言うようになりました。
創業以来掲げてきた行動理念を微調整しましたね。

あのとき事業や会社を潰してしまわずに踏みとどまった理由は、信じてついてきてくれる社員がそこにいたからです。
だから当然のことですね。

そうしてここから、
私も会社もまた這い上がっていきます。
社員たちとともに。
それはまさに、スクラップアンドビルドしながらの激しい成長痛を伴う快進撃でした。

が、まずは今から5年前の2015年まで。
誕生日に絡めた私と会社のマル秘ストーリー(裏話)の前半をここに綴りました。

反響があれば後半も書くかもしれません。
お読みいただいた皆さま、ありがとうございました。


☆繋がってください☆
筒抜け、丸裸「たなべあーのすべて」がここに
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