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AIからAnI(人工-非知能)へ(5)初期人類が聴いた「声」とは

ホモ・サピエンスの「出アフリカ」

 30万年前から3万年前に至る時期は中期旧石器時代と呼ばれる。

 この時期は現生人類ホモ・サピエンスがアフリカを出て、ユーラシア大陸へと広がった時期である。それと同時に、ネアンデルタール人のような他のホモ属が滅び、ホモ・サピエンスだけが生き残った時期でもある。

 例えば、約30万年前 - 約3万年前のものとされるムスティエ文化には、現生人類とネアンデルタール人が関与したと考えられている。ネアンデルタール人は3万年ほどまえに絶滅したが、その遺伝子の一部は今日の我々にも伝えられているとの説もある。

分子人類学

 30万年前からの人類の移住の軌跡は、現在を生きる私達の遺伝子の中にもその痕跡が残されている。近年の分子人類学の研究では、私達の遺伝子に突然変異が生じる速度から、遺伝情報のパターンがいつ頃分化したものであるかを推計することができる。その成果を垣間見てみよう。

 父親の父親の父親の父親の…という具合に辿っていったとき、今日の私たち「すべて」の共通の祖先であるひとりの男性を想定することができる。「Y染色体アダム」と呼ばれるその男性は推定27万年前のアフリカに生きていたと考えられる。

 このY染色体アダムに連なる人々の子孫のあいだに、さまざまな特長をもった遺伝子のパターンが分化していった。なかには一代限りか数世代で失われ、今にまったく伝わらなかったものもある。むしろ、伝わらなかったパターンの方が多い。

 およそ80,000年前から70,000年前にY染色体ハプログループ「BT」と呼ばれるグループが分化したと考えられる。このBTから60,000-65,000年前にはY染色体ハプログループBと呼ばれるグループが分化した。このグループも現在にまでその系統が伝わっており、ピグミーと呼ばれる人々が含まれる。

 そして79,000-60,000年前のエチオピアからスーダンのあたりでY染色体ハプログループBTから、Y染色体ハプログループCTが分化した。このグループの最初の男性は「ユーラシア・アダム」と呼ばれる。この男性の系統から、後にアフリカを出てユーラシアに渡った人々が生まれた。今日のアジア人も、ヨーロッパ人も、この男性の子孫である。CTからはまず65,000年前に東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近でDEグループが、60,000年前にCFグループが分化した。

 このうちDEから分かれたDグループの人々はアラビア半島からおそらく海岸伝いにインド、スンダランド、東アジアへと東遷していった。現在でも、アンダマン諸島とチベット、そして日本列島に、このD系統から更に分化した子孫が多数確認される。特にアンダマン諸島の一角により起源に近い特長を残したグループが居る。一方、D系統と同じ祖先を持つE系統はコンゴイドと呼ばれる人々であり現在でもアフリカに伝わる。

 CFグループも次々と分化しユーラシア全土のみならず、南北アメリカ大陸でも繁栄を極めている。まずC系統は60,000年前にCFから分化したと考えられ、今日のニューギニアの先住民、モンゴル高原から日本列島にかけて伝わっている。日本列島にはこの系統から分岐した固有のグループC1a1も確認されている。このグループは51,800年前の日本列島で生じたと考えられる。またCの末裔でC2a系統も日本列島に固有で存在する。

 F系統は45,000-55,700年前にCFから分化したと考えられ、その子孫はドラヴィダ系の人々(F、H)、コーカサス系の人々(G)、バルカンからアラビア半島の人々(I、J)、ニューギニアの人々(K、MS)、インド・パキスタンの人々(T、L)、スカンジナビアの人々(N)、オーストロネシア語族・シナ・チベット語族の人々(O)、そして新大陸の人々(Q)など、広くヨーロッパの端から、オセアニアの先住民、東アジア、新大陸の住民のすべてがこの系統から分化した。

認知革命と急速な移住

 分子人類学の成果から人類の多様性と普遍性を同時に知ることができる。我々はみな一人の人物の子孫であり、またそれぞれ異なる場所、時間を旅をしてきた無数の異なる人々の跡を継いだものでもある。

 声や文字といった「メディア」の観点からしても、このホモ・サピエンスの遺伝的分化と、地球全体への広がりは興味深いものがある。旧石器時代の祖先から連綿と同じようなことをしていたはずの我々の祖先は、70,000年ほど前になって突然、高速で「移動」を開始したように見える。そして何があったかは分からないが、この移動の過程で各地の他のホモ属は軒並み絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残ることとなった。

 70,000年前の祖先は、なぜ「突然」、数万年も慣れ親しんだ環境から移動を開始したのだろうか?

 その「理由」については、気候変動や地殻変動等による環境の変化により、いわば追われて、やむを得ず、逃げ出したことがきっかけとも論じられる。しかし環境の変化についていけずに絶滅する種も多い中で、なぜかホモ・サピエンスだけはまだ見ぬ未知の環境に飛び出そうと決めることが出来たのだろうか。あるいは別の説によれば、意図的に移住をしたというよりも、小さな移動を繰り返しているうちに、知らないうちにアフリカ大陸からユーラシアへ出てしまったとも考えられる。つまり外的な要因に関わらず、私達現生人類にとっては、住み慣れた所から旅立ち、未知の環境へと「移動」してゆくことが常態であったという考え方である。

 いずれにしても、人類は「未知」の環境を「既知」の知識に置き換えて理解し、新しい環境をうまく利用することに長けていたのである。

「いまここ」からの離脱

 目に見え、いつも通える範囲の縄張りに固執せず、「いまここ」ではないどこかへ集団で歩いて行けてしまうということ。あるいはわざわざ船をつくり漕ぎ出してしまえるということ。そうした才能の背景には何があるのか。

 おそらく「いまここ」ではない場所のことを個々の個体が空想し、その空想の世界を仲間で共有できること。その能力がある方向へ皆で歩き出そうと集団で意思を共有し一歩を踏み出したり、見えないゴールに向けてわざわざ力をあわせて船を作り、周到に準備を整え、漕ぎ出してしまうことの背景にあるのではないだろうか。

 この空想し、空想を共有する能力こそ、今日の我々の言語につながる「何か」である。

 観念を思い描き、夢を言葉に置き換えてその意味を解読し、抽象的な観念同士を対立させたり、一方を他方の「比喩」として同一視したり、または複数の観念をメタレベルでひとつに統合したりする。

 こんなことが急速にできるようになったのである。『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリは、これを「認知革命」と呼ぶ。

 目の前の事実を報告する「信号」のような鳴き声から離陸し、直接経験できない「虚構」について「おしゃべりする」ことができるような能力を。その能力が今日の「言語」につながっていく。

 この後、洞窟絵画や彫像、そして幾何学文様などが各地で発見されるようになるが、それらは抽象的な観念をメタレベルで置き換えたり、結合したりする新しい認知能力の成果であると考えられている。この認知革命が起こったのがおよそ70,000年前であると考えられる。

声は誰のものか−祖先からの声?

 ホモ・サピエンスは言葉によって、誰も見たこともないものを集団で語り合い、信じることができるようになった

 抽象的な観念の産物、例えば上半身がライオンで下半身が人間といった想像上の動物たちが、互いに対立し合ったり、協力し合ったりするということを言葉で語ることができるようになった。

 あるいは動物たちが人間の言葉を喋る世界や、死者たちが生き続ける世界のことを語ることさえできる。

 とはいえ当初の言葉は、おそらく現在の私達が感じているような言葉というものとは大きく異なっていた可能性がある。

 ジュリアン・ジェインスは『神々の沈黙』という興味深い論考の中で「二分心」というアイディアを提示している。

 ジェインスによれば紀元前2,000年ごろに文字が発明されるまで、人間は今日の我々がするようには言葉で考えていなかったという。

 二分心というのは、文字以前の世界の人間の頭の中にはジェインスが「神々の声」と呼ぶ何者か声と、「自分自身の声」と感じることができる声、その二つの声がそれぞれ好き勝手に響いていたという説である。

 そこでは「私が喋っている」と感じることができる声とは別に、神か、祖先か、何者かの声が「自ずから勝手に喋っている」と感じさせるようなものがあったという。

 そうした「声」の大半は実際の空気振動によるものではなく、頭の中から聞こえてくる幻聴であっただろう。そこでは自分ではないものが常に語りかけてくる。神や祖先や、あるいは動物や植物までもが、悪意や善意に満ちた声を発し、ざわざわと騒がしくしている世界である。

 そこでは「脳の所有者である私」自身が考えて発した言葉だけを信頼し、それ以外の言葉を幻聴、妄想として排除するという区別は効かない。

 ただ無数の声が錯綜し、喋り続け、脅かしたり、保護を申し出たり、命じたりするのである。自分のものではない声が勝手に喋りだし、「私」に憑依するかのようである。

 初期の「認知革命」が生み出した言葉の世界は、必ずしも理路整然と語る近代的な「意識」というよりも、まずは死者の声や祖先の声が勝手に聞こえてきたり、山川草木が抽象的なことについて語りだしたりする幻想たちが騒がしくするところだったのかもしれない。

 しかしその言語じたいが人類にとって新しい「環境」となり、進化の方向を左右するようになったのである。

つづく


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