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発生する読み手

答え探し」としての読書から、「問題発生」としての読書へ。

「答え探し」のような読みでは、「探している私」(主体のようなもの)が喉の魚の骨のように引っかかって、必死に文字を辿っている。

一方「問題発生」となると、もうそういう主体のようなものすらが「発生する」多数の問題のうちの一つだか二つだかになる。

そうした「ある問題として発生する私(のようなもの)」は、他でもない文字から、声から、言葉から、言葉と言葉の順序から、過去に一直線に並べられた言葉たちの整列した印象の只中から、煎じ詰めれば井筒俊彦氏のいう意味カルマとしての言語アーラヤ織から、そこからまさしく「発生」する。

それも「問題」として発生する。

その「問題」の先に、答えを探し求めて良いし、求めなくても良いのです。


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