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おすすめの【本】‐読書メモ

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仕事柄、日々いろいろな本を読んでいます。幸運にも出会えたおもしろい本をご紹介します。
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#構造主義

深層の「心」をチューニングして、コトバ(意味)のはじまりと共鳴する -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(64_『神話論理3 食卓作法の起源』-15)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第64回目です。『神話論理3 食卓作法の起源』の第三部「カヌーに乗った月と太陽の旅」を読みます。 これまでの記事は下記からまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の試みは、レヴィ=ストロース氏による『神話論理』を、レヴィ=ストロース氏がはっきりと明示して書かれていないことまで好き勝手に「ああなんじゃないか」「こうなんじゃないか」と

太陽のカヌーにのる -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(63_『神話論理3 食卓作法の起源』-14)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第63回目です。今回から『神話論理3 食卓作法の起源』の第三部「カヌーに乗った月と太陽の旅」を読みます。 * ここしばらく中沢新一氏の『精神の考古学』を取り上げてきましたが、『神話論理』の方も黙々と読んでいるのであります。 『神話論理』を読む。これまでの記事は下記にてまとめて読むことができますが、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 神話論理ー経験的区別を概念の道

執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 『精神の考古学』 第五部「跳躍(トゥガル)」の冒頭、中沢氏は師匠から授けられた言葉を紹介する。 ベスコープというのは映画のことである。映画を見るのはとても楽しい体験である。感情を喚起され、いろいろなことを考えさせられる貴重な機会である。 中沢氏がネパールでチベット人の先生のもとで取り組んだ修行にも、「光の運動をみる」ヨーガが含まれている。このヨーガで光が見えることと映画を見ることとは、視覚が動くという点ではよく似た体験である

神話の「構造」はダイナミックで生成的である -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(61_『神話論理3 食卓作法の起源』-12)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第61回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 ちょうど中沢新一氏によるレヴィ=ストロース論『構造の奥』を読んでいるところ、ということで、今回の『神話論理』精読は、「構造」にフォーカスしてみよう。 神話の論理をどのようにモデル化するかこれを書いているわたしがレヴィ=ストロースを読み、わたしなりの読みの補助

鶴の恩返し?!「神話」から神話の外へ -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(62_『神話論理3 食卓作法の起源』-13)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第62回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 鶴の恩返しの八項関係一年生になったばかりの下の子が、学校で「鶴の恩返し」のお話しを聞いてきたという。 そして次のように尋ねてきた。 ん? わたしに聞くと、ちょっと、話、長くなるよ? どうして見ちゃいけないというのか? どうして見られたら逃げるのか? こ

中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

中沢新一氏の2024年の新著『構造の奥 レヴィ=ストロース論』を読む。 ところで。 しばらく前からちょうど同じ中沢氏の『精神の考古学』を読んでいる途中であった。 さらにこの2年ほど取り組んでいるレヴィ=ストロース氏の『神話論理』を深層意味論で読むのも途中である。 あれこれ途中でありますが、ぜんぶ同じところに向かって、というか、向かっているわけではなくすでに着いているというか、最初から居るというか。 ようは同じ話なのであります。 すでに「ここ」に「すべて」が「ある」の

「かぐや姫」で、二辺を離れるでもなく離れないでもなく -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(60_『神話論理3 食卓作法の起源』-11)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第60回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができますが、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 前々回、前回と続けて「かぐや姫」が主題となる。 今読んでいるクロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理3 食卓作法の起源』は、南米の神話が分析対象となっており、日本昔話「かぐや姫」は登場しない。しかし、『神話論理3』のこのくだりでレヴィ=ストロース氏が分析

「三枚のお札」と「かぐや姫」は同じ話?! -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(58_『神話論理3 食卓作法の起源』-9)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第58回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 まさかそんな「三枚のお札」と「かぐや姫」は"同じ話"である。 まさか、そんなはずないだろう! またいい加減なことを書いている! と憤慨される向きもあるだろうが、ところがまさか、神話論理という観点からすれば、この二つは「同じ」なのである。 もちろん、かぐ

「かもとりごんべえ」(日本昔ばなし)を深層意味論で読む

下の子が通う保育園のイベントで、子どもたちが「かもとりごんべえ」という昔話を題材とする劇を演じていた。 「かもとりごんべえ」。 いったいどういうお話だったかな? と、便利なインターネットを調べてみるといくつか動画を発見した。 ところが、動画を視聴してみると、園の子どもたちが演じていたバージョンはこの日本昔ばなしバージョンとはかなり筋書きが異なる。 * これはいったい、どういうことだろうか。 異文・口伝が複数ある。 異文がいろいろあるお話は、人類史的に極めて古い神話

マニ教の終末論を深層意味論で読む

前回「マニ教の創世神話を深層意味論で読む」に引き続き、青木健氏の著書『マニ教』を読む。マニ教は「善悪二元論」「光と闇の二元論」として知られる、西暦3世紀の西アジアで生まれた宗教である。 前回の記事では、青木健氏の『マニ教』に描かれた、マニ教の創世神話(世界の始まり、世界の起源についての神話)にあたるものを、深層意味論の手法で読んでみた。 それに対して今回は終末論である。 要するに、この世の終わりである。 * * 一般的には、この世の始まりについて言葉で語ろうとする起

マニ教の創世神話を深層意味論で読む

「深層意味論で読む」シリーズの第三弾! 今回は青木健氏の2010年の著書『マニ教』を深層意味論で読みます。 「マニ教と言えば二元論」と、たしか中学生の頃に丸暗記したような記憶があるが、一体、何と何がどう関係して二元なのかは不明なままであった。そして「あれから40年」いや30年くらいを経て、この『マニ教』を手に取ったのである。 マニ教は西暦3世紀の西アジアで生まれた宗教である。キリスト教の文献ではキリスト教会の敵役として登場することが多い。 マニ教の開祖の名はマーニー・ハ

猿かに合戦で月を生成する深層の”心” -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(57_『神話論理3 食卓作法の起源』-8)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第57回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 分離すべきところを結合し、結合すべきところを分離することと、親族構造の起源 前回の記事の最後にレヴィ=ストロース氏の友人であるジャック・ラカンの『精神分析の四基本概念』に記された一節を紹介した。 陰/陽、火/水、寒/暖、男/女といった”経験的で感覚的な区

カエルの歌が聞こえてくると -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(56_『神話論理3 食卓作法の起源』-7)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第56回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 もちろん、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 つなぎ合わされた観念から、 観念をつなぎ合わせる”語り”へレヴィ=ストロース氏は『神話論理』の第一冊目『神話論理1 生のものと火を通したもの』の冒頭に次のように書いている。 この観念をつなぎ合わせた命題というものが、しばしば「理解を曇らせる暗雲

カエルの跳躍で、観念のもつれをほどく -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(55_『神話論理3 食卓作法の起源』-6)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第55回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 観念はどのように相互作用するかグレゴリー・ベイトソンが『精神の生態学へ』の冒頭に書いている、ひとつの問い。 「観念はどのように相互作用するのか」 この問いは、もう何年も、わたしを捕らえて離さない。 観念がどのように相互作用するか。 これは切実な大問題だと