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おすすめの【本】‐読書メモ

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仕事柄、日々いろいろな本を読んでいます。幸運にも出会えたおもしろい本をご紹介します。
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#推薦図書

「ある」の堅固さをふやかす食べ物の神様 -中沢新一著「哲学の後戸」を読む

中公文庫の一冊、中沢新一氏の『ミクロコスモスI 夜の知恵』。その中に「哲学の後戸」という論考が収められている。 なお中沢新一氏のミクロコスモスにはもう一冊ある。『ミクロコスモスII 耳のための小さな革命』である。 どちらもじっくりよみたい本である。 ◇ さて、「哲学の後戸」の冒頭はといえば、井筒俊彦氏から送られた手紙を中沢氏が読み返す話から始まる。 そこには「抜け出していく文体」とある。 言葉から言葉によって抜け出そうとする言葉。 言葉にはなりようもない事なのだ

意味分節理論とは(4) 中間的第三項を象徴するモノたち -中沢新一著『アースダイバー神社編』を読む

(本記事は有料に設定していますが、全文「立ち読み」できます!) ◇ 中沢新一氏の『アースダイバー神社編』を引き続き読む。 (前回、前前回の続きですが、今回だけでお楽しみいただけるはずです) 『アースダイバー神社編』には、諏訪大社、大神神社、出雲大社、そして伊勢神宮といった極めて古い歴史を持つ神社が登場する。 中沢氏はこれらの神社に今日にまで伝わる神話や儀礼やシンボル(象徴)たちを媒にして、その信仰の「古層」へと「ダイブ」する。 そうしていにしえの日本列島に暮らした

¥330

意識は比喩である ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む。 『神々の沈黙』というタイトルからして「神様」について論じる本かな?と思うのだけれども、中身を読んでみるとこれはわれわれ人類の「意識」をメインテーマとする本である。 英語のタイトルは"The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind"ということで、意識の起源、意識のはじまりである。 なるほど、意識! といったところで

「私」という意味分節のカルマ -井筒俊彦著『意識の形而上学』を読む

◇ しばらく前から井筒俊彦氏の『意識の形而上学』を読んでいる。 今回は下記の記事の続編ですが、今回だけでもお楽しみいただけます。 ◇ さて今回は『意識の形而上学』の最後の部分、締めくくりを読んでみよう。このくだりのキータームは「薫習(くんじゅう)」である。薫習というのは香り(薫り)が移ることである。 例えば、雅な着物に香を焚き染め、香りを移すことは薫習である。 そしてまた、湿っぽい押し入れの中で布団がナフタリン臭に染まるのも薫習である。 よい感じの薫り(かおり)

¥238

言葉から出て行こうとする言葉 -小田龍哉著『ニニフニ』を読む

しばらく前から安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を読んでいる。 今回はこの熊楠繋がりで、小田龍哉氏の『ニニフニ 南方熊楠と土宜法龍の複数論理思考』を読む。 カタカナ四文字が並ぶ不思議なタイトル「ニニフニ」は、漢字で書くと「二而不二」である。 二而不二、ニニフニ「漢字で書けるなら、どうして漢字で書かず、わざわざカタカナにしたのだろう?」と問いたくなる方もいるのではないかと思われるが、著者の小田氏は、まさにわざわざカタカナにしているものと思われる。なぜなら、二而不二もまた言葉

見ることも触れることもできない世界へ -広井良典著『無と意識の人類史』を読む

広井良典氏の『無と意識の人類史』を読む。 人類の歴史は、人間たちの「意識」のあり方の歴史でもある。 広井氏は意識について、それが「"脳が見る共同の夢"」としての「現実」を作り出すものであると書かれている(『無と意識の人類史』p.24)。 これはユヴァル・ノア・ハラリ氏が『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』で論じた「虚構の力」にも通じるところがある。 "脳が見る共同の夢"は「現実」であり、「有」の世界、「ある」ものたちの世界である。それに対して「無」とは、意識が、自ら作

¥198

一項・二項・三項・四項関係を発生・増殖させる -安藤礼二著『列島祝祭論』を読んで考える

安藤礼二氏の『列島祝祭論』を読む。 日本列島各地で繰り広げられたさまざまな祝祭。そこに時空を超えて繰り返し登場するモチーフの根底にある思考について、安藤礼二氏は次のように書く。 始まりは「二」である。 聖と俗 山と平地 無限と有限 人間と神 死と生 これらのペアは、互いに他方とは相容れず、反発しあい、分離しようとする対立関係にある。 人間が生きている限り、日常の至る所にこうした互いに相容れない二項の対立関係を見出すことになる。子供と大人、昼と夜、太陽と月、女と男、夏

¥230

言葉と言葉の結合を曖昧なままオープンに -ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン・ジェインズ氏の『神々の沈黙』を引き続き読む。 (前回の記事はこちら↓です。 前回を読まなくても今回だけでお楽しみいただけます。) 前回の記事を多くの方に読んでいただきました↓ ありがとうございます。 (これまでの記事の一覧はこちら↓) ジェインズ氏の二分心説とはまずジェインズ氏の二分心説について簡単に振り返ってみよう。 ジェインズ氏は、かつて私たち人間の「心」は「命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」と考える

「ある」と「ない」。「あり」と「なし」。「それを言っちゃあおしまいよ」 -『死者と霊性』を読んで考える

あるはないがないであり、ないはあるがないである。 これに対して「そんな言い方、ありなのかい?」「そんな言い方、なしだろう!」と言い返すこともできる。 言おうと思えばなんでも言えるが、しかしそれを言うことが「あり」なことと、それを言うのは「なし」なことが、区別できるということ。 とりわけ日常を生きるということは、「それを言っちゃあおしまいよ」の束に簀巻きにされるような事件である。 * 岩波新書の新刊『死者と霊性』を読む。この本の最後に収められた安藤礼二氏の「「霊性」の

"声を聞くこと"のメディア・コミュニケーション史   - ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読んで考える

ジュリアン・ジェインズ氏の『神々の沈黙』を引き続き読む。 * (前回の記事の続きですが、今回だけでもお楽しみいただけます) (前回はこちら↓) * ジェインズ氏が描き出す二分心時代の始まりと終わりの物語は、今日の人類が直面している状況に通じるものがある。 二分心の時代は古代都市の誕生と同じ頃に始まった。 多数の人が集まって定住し時期を定めて一斉に農作業に勤しむ。ここで多数の人々に何をなすべきかを命じたのが二分心の「神」の部分の声、即ち、頭の中で聞こえてくる記憶され

<二分心>の始まりと終わり - ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン・ジェインズ氏の『神々の沈黙』を引き続き読む。 ジェインズ氏の二分心説では、「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」と考える。ここで「神」というのは、ある人が、部族の仲間や長老たちの訓戒する声を聞いたものが記憶され、それが脳の右半球で幻聴となって繰り返し響く、というものである。 二分心について、詳しくは下記の記事に書いているのでご参考にどうぞ。 二分心の始まりと終わりジェインズ氏は二分心の始まり

二分心とは何か? - ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン・ジェインズ氏の『神々の沈黙』を引き続き読む。 ーー追記ーー ーー追記ここまでーー 今回はいよいよ「二分心」についてである。 二分心とは何か? ジェインズ氏の仮説は次の通りである。 心のうちの「神」と呼ばれる部分が、「人間」と呼ばれる部分に「命令を下す」という。心のうち?神?人間と呼ばれる部分?命令?いったいどういうことだろうか?! 以下、二分心について、それがどういう精神構造なのか、二分心はいつ頃始まったのか、いつ頃崩壊し始めたのか、といった三点をま

¥250

比喩の4項関係と、比喩としての意識 -ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む。 ◇ (今回は下記の記事の続きですが、今回のみでもお楽しみいただけます) 上の記事で整理したように、ジェインズ氏は「意識」を生み出すのは「言葉の比喩」であるという。 どういうことだろうか? 比喩というのは何かを何かに喩える(「彼はまるで〜〜のようだ」というような表現)ことだけれども、それは単に気の利いた作文テクニックということではない。 比喩について、ジェインズ氏は次のように書いている。 「具

生命と非生命/意味と無意味/区別する動きと二項対立の発生 -安藤礼二著『熊楠 生命と霊性』を読む

安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を引き続き読んでいる。 私たちが日々あたりまえのように生きている世界には、多種多様な二項対立関係がある。例えば、暑いと寒い、明るいと暗い、快適と深い、安心と不安、男と女、老人と若者、人間と動物、月と太陽、野菜と果物、生のものと火をとおしたもの、前と後ろ、上と下、右と左、生と死、あの世とこの世、天と地、生命と非生命、そして物質と精神。ほかにも挙げればキリがない。 このような二項対立関係にある二つの項は、同じものあるいは同じようなものあるいは同