半盲の山羊

いろいろあったね、がゆっくりと口をひらく。半盲の、白いニットを着た、いろいろあったねは(ほとんど山羊のような形をしているので、山羊ということにしよう)、改め山羊は胡乱で平たい黒目を緩やかに回しながら、ひと文字ずつ「ぬるいダンスを」と発音した。

私は山羊の声に従いながら、ほとんど夢のような場所で(なにしろ全てのものが浮遊していて、上下左右も奥行きもないように思えるのに全て整序されているのだった)、バスタブに湯を溜めはじめた。水栓のノブは不思議な形をしていて、トポロジカルな三角形と直線と楕円を混ぜたような立体で、船乗りが経験するだろう洋上の午後の気だるい夏のひかりを思わせる反射をもたらしていた。私がひねれば水が溢れてくるように思えるけれども、実際のところ、水は私を通して溢れるに過ぎず、私は水たちにとって都合のいい操り人形でしかなかった(山羊にとってもそうで)。

いつのまにか足元には柔らかなひこばえが茂っていて、その一つひとつの緑の隙間に、それぞれの日付が落ちていたりするのだった。日付たちはレゴブロックのようにたとえば11と28が適度な緊張感をもってくっついていたりするので、私はそれをやすやすと見つけることができた。夢中になってそれらを拾い集めているとポケットはもういっぱいで、奇妙な失望感と満ち足りたしあわせとに苛まれつつ喜ぶ私はその重みをずっと確かめながら、原野のうえをすべる風に身を任せていた。

ふいに足元がぬるい水に浸されていることを知り、そういえばあのバスタブ、と思って何度もあたりを見渡したりしたのだが、私はついにそれを見つけ出すことはできず(もちろん水栓の形などすっかり忘却の淵べりで)、私自身の足を一歩前に出したり後ろにやったりあるいは持ち上げたり下ろしたりとぐずぐずの動物に成り下がるよりほかなかった。泥やら草の切れ端やら、あるいはきらきらした砂粒が足にまとわりついて、動物的な歩行のたびに反射したり飛び散ったりくっついたりした。偶然的な、というよりひとつの共犯関係のような、その動物と泥などのもつれあいのぐずぐずに、ついにバスタブは堪えきれなくなって大声で笑い出し、姿を現した。バスタブは「もう、ぜんぜんじゃない」と泣きそうな声で言う。ぜんぜん(…)じゃない、と。何が省略されていたのか(あるいは省略されてすらいなかったのかもしれないが)、私は考える暇もなく、間に合わせの笑顔を浮かべた。空はまだ青かった。

これがぬるいダンスね、と私は思う。ダンスってぜんぜん楽しくないのね、とも思うのだった。


一歩前の話をしよう。いろいろあったねの山羊の手前で。私はあの移植(政府の決定によってこの星の空気はすっかり入れ替えられた:私はそれを移植と呼ぶ)以降のこの星で、ひとりで食物を植えたりしながら、曽祖父の弟の家を譲り受けて暮らしていた。移植後も変わらず人類はあくせくと言葉を話し、素早い目線と豊かなジェスチュアーを用いたりしていた。私の住む家(住むというよりほとんど借りているに過ぎず、とはいえ名義はすでに私のもので、それでもまだ馴染みきれずにいて)もまた例に漏れず、清潔なつくりをしていて、特に浴室から洗面台まで統一された黒い大理石の色などは見事なものだった。シャワーを浴びたあとの春の夜半に、バルコニーでひとりで食べる蕎麦など、たしかに私の充足感を余分なく埋め尽くしてくれるものであったりした。生前の曽祖父の弟(面倒なので小父さんと言おう)が抜かりなく手配してくれた家政婦が週に一度生け替える花の(春はたとえばライラックの束で)置かれる、ちょうど吹き抜けから細い光があたる上り框の造作棚など、毎朝目にするたびに私自身の置かれた環境を自覚するには十分なものだった。

移植後もひとはさまざまに(もちろんその前も)声をあげ、放火があちこちに起こり、水は抜かれ、連日の報道番組で(途中から情報統制がひかれ、民間の番組は消え去った)喧喧囂囂の議論が交わされていた。

それでもあっけなくひっそりと(事後報告で)空気が入れ替わってしまったあとは、もうなすすべなく暴徒は鎮圧され(あるいは自発的に死に絶え)、またふたたび清潔な白基調の住宅が政府によって推し進められたりした。移植の日程は政府高官すら知らされず、即時結成された数十組の組織によって遂行されたと聞いたが、いまの私にとってはどれもどうでもいいことばかりなのだった。むしろ、その移植によって人類の半数以上が別の星へ移住するか自死を選ぶかしたという結果が重要で、どうあっても私には喜ばしいのだった。善悪は私にはなく、ただ私は私として、この静寂と閑散さを快く思っている以上のことはないのだった。

それでひとりでにしあわせで、満ち足りて、たまにエビアンを買ってするすると飲み干す火照った身体の熱さを思い知ったりしながら、ひんやりした床とを、承諾するよりほかなかった。

もうこの星で、環境と住居はたがいに独立で、あるいは表層で紛糾されるやましさと、実際に甘受する享楽とは完全に独立しているのだ。


そう、その話をね。

星の表層を撫でていく風と、高層圏での突風が存在を異にするように、あるいはガラスを隔てた雪はひとを慰め、遭難の最中の吹雪は命を奪うように。ベットボトルに詰められた硬水を飲みながら思う。もうそれらを同一に認める必要はないのだと、山羊は言う(だろう)。

深夜の高速道路を走り抜ける車の、快適な温度に保たれたそのなかでガラスに吹き付ける雪と、ひとを遭難せしめる吹雪は、雪としてのヴァリエーションになくていいのだ、ということをようやく、移植のあとで人類は理解しはじめたのだ、と思う。前者はたとえばチックタック:tic tacのチックで、後者はソビング:sobbingのソブでいいのだ。チックは歌う、「ゆめゆめお忘れなきよう」、ソブは歌う、「さらにあまたある命で」。

だからそう、私はこの星でチックとソブそれぞれの話を聞くことができて、それぞれに苦情を申しつけることさえできるのだった。それに、チックもソブも同郷の「雪」から離れることができて嬉しそうだった。雪なんて! もう銀白の世界にいなくていい、と彼らはいう。

それは私にとっても同じことで、もうソブもチックも別々なのだから、それぞれに合わせて寒いの暑いのと言えばいいだけだった。はじめは人たちはみなチックとソブに戸惑い、講習会を開いたり面接練習をしたりしながら(「チック対策本」だなんて! 笑える話でしょう)、チックのための言葉やソブのための言葉を覚えたりしていたのだが、今となってみればなんのことはなく、チックの言うことをちゃんと聞こうとしさえすれば、おおよその会話は可能なのだった。チックはそのころ(移植が完了した直後)を思い出して、たまに「ぼくのことを初めて会った人のように扱っていたね」と笑い混じりに教えてくれたりする。だれもがみんな、はじめての冬に僕とあったはずなのに、と。

私はチックのことを不憫に思いながらも、ひとはそういうものなのだと(自分のことをまるで棚に上げて)懇々と教える。いつだって忘却と記憶の非連続な連続によって全体を把握しているんだよ、と。忘れることと思い出す、もう一度記憶し直すことはつながっているように思えるけれど、実のところそれは信じられないアクロバットで(再現されない獣道で)、でもそれを頑なにひと繋がりだと信じてやまないのだ。

時折、熟練したアクロバットで、その一つひとつの忘却と記憶の複合体を、正確にやり直すことができるひともいるのだが、それは限られた魔術なのだ、ということも私はチックに教えた。チックは悲しそうな顔をしながら、そもそも記憶しなければいいのに、と素朴な驚きとともに独言ていた。

「でもねチック、ひとは覚えるから、あなたに会いたいと思うのよ。同時に、忘れるからこそ、思い出そうとしてあなたに会うのよ」

ひとは、と言いながら、私は実際どうなのだろう、と軽やかな猜疑が頭をもたげつつ、私は言葉を続ける。

「どんな言葉をどんなふうにあなたは話すんだっけ、私はあなたと会って何が嬉しいんだっけ、と確かめ直すの。弱いから、私たち。そのたびごとに新鮮な驚きで、全てを受け入れられたらいいのだけど、それには目も耳も、この器官すべてが脆いのよ、ほんとうに」

じゃあもう器官なんて、とチックは小さな声で言う。器官がなければ触れることも叶わないわ、と私は返した。

触れることなんて! チックはいよいよ泣き出してしまって、でも私も確かに、ひとは弱いのだと説きながら同時に、愛することを止めながら愛せたら良いのに、とも思ったのだった。触れることなく、あなたのその柔さを知らないままに、ずっと想像のただなかであなたの幸せを願うことができたら、と。むしろその方が誠実な愛でさえあるのではないかと私は思った。どうせ私たちはずっと、あなたが何を考えているのか、わからないままにそばにいるのだから。未来永劫触れ合えない月とこの星と(たとえそれが同じ出生地だったとしても)。


山羊の一歩へ。さよならのもう少し先で、行ってきますがまだ未然のまま。

ソブは清潔な横顔で、ときが来るのを待っていた。私はソブの隣で(といってもかなり離れて)、ソブが身じろぎするのを待っていた。それがきっとソブにとっては一つのサイン:兆候で、その兆しに合わせて私は声をかけようと思っていた。外はかなりひどい雨で、それでもぴかぴかとひかる電飾群が木々を取り巻く街並みの反射を水滴は巻き込んでいた。落下する水滴のなかを光の軌跡は逆行し、一つひとつの光球を寄せ集めた光の矢を何本も打ち上げていた。

観覧車のなかでソブはようやく軽く眉をあげ、ゆっくりとため息をついた。私はその運動を捉え、ソブに「悲しいことと、泣くこと、どっちが先?」と聞いた。ソブはやや考え込んで(もしかしたら全く考えていなくて)、時間が違うかな、と言った。

ソブによれば、泣くことのための時間と、悲しむことの時間は、違うということで、たまたま、泣くことと悲しむことが重なるに過ぎない、と教えてくれた。確かに思い返してみれば(ひとはいつも思い返す)、悲しむこと自体に滲みはいくらでもあって、ゆっくりと遠心分離機にかけてみれば、悲しむことそれ自体を喜ぶ私も確実にいるのだ。ああ、今私は悲しいのね、と思えるからこそ、それ自体に打ち震えて、泣き叫ぶことも。

だから、ソブが示す兆候は、やはり兆候として呼ぶしかなくて、彼はそれ自体を彼のスタイルとして持っているのだった。観覧車はずっと上がり続け、遠くに消しゴムのカスのような街並みが見える。観覧車は残存した政府と、かろうじての自治区によって電力が供給され、こうして回り続けている。遠くから、そして高くから、こうも寄るべないところから、街を見渡せることが、私たちに何を与えるのだろう。電力が断ち切られたならば、きっと私とソブはこの観覧車で飢え死ぬことになる。ゆっくりと腐敗し、結露と昇華を繰り返し、ガラスは曇る(だろう)(絶対に)。ガラスと金属の躯体をつなぐゴム製のモールは次第に剥がれ落ち、外気が入り込む。錆びた金属と、滴る水によって、そして大気中をもしかすると漂った胞子類によって、苔が生える。予測できる悲しみは、ソブにとってほとんど意味がない。観覧車が半分ほどまで上がったところで、私は想像を(予測を)やめた。


smooth sea never made a skilled sailor.(穏やかな海は良い船乗りを育てない)

だからね、そう。

そう思うのだった、どうせ私たちは何にも触れることの叶わぬところで、かろうじて生きながらえているに過ぎない。触れることと、触れられることの区別すらもつかないのに、私はいったいソブの、そしてチックの、うめきに、叫びに、悲しみに、いったい何に、どう、触れたというのだろう。

チックはこう慰めてくれる。「それでも僕はずっとチックとして呼ばれ続けるんだよ:だから君もずっと、他者から触れられ、他者に触れ、どうしようもない無力感を何度も経験し続ける存在なんだよ」。だから——私にあるのは無力そのものの顕在化で、それ以外の何者でもないことを受け入れなよ、と。チックらしい意見だった。彼にとって、時間の流れは流れですらなく、ひとつひとつの「編み機」に過ぎないのに、周りの人々は「チックタック」として、その普遍な正確さを評価し始めたのだから。でもそう、チックにおける普遍と、人々のいう普遍は、別の時空間を歩んでいる。

だから、私はいつも、「ひとは…」と誤魔化すことでどうにか自分自身の罪悪感を語りだすこともできるのだった(むしろ、それしか残されていないのでもある)。普遍が歩み出す時間軸が複数あるからこそ、私は、私の悲しみを「わたしは…」の言葉で語りだすことができない。私が悲しむとき、それは私が悲しいからなのか、私が悲しむことが悲しいからなのか、よくわからなくなってしまう。ソブの言葉が何度も反響する。一人きりで悲しんでいられる時間軸は、「私たち」や「ひと」の中にはない。

だったら、こうも思えてしまうのだった、私はついぞ一度だって、本当の意味で悲しんだことなどないのだ、とも。

私が悲しみに暮れるのは、私が悲しんでいるところの状況そのものと、不甲斐なさについてであり、私それ自身の悲しみを捉え切ったことなど、ないのだ。一人で泣き叫ぶ私がいたとして、その「一人」であることに気がついた瞬間に、それは私の中にある他者性に向けて悲しむことになる。

海はいつも凪いでいた。私は良い船乗りであることを、海から拒絶されていた。

荒れた海を進むことが、良い船乗りを育てるのだとずっと信じていたけれど、それはもしかすると、良い船乗りは荒れた海を進むものなのかもしれない。因果関係を取り違えていたことは、とても重大な発見なのだけれど、その重大さに気付かぬふりをしていないと、その重大さに私が振り回されてしまう。胸がすく気持ちを必死にこらえて、なんでもないふうに演技しなければならない、(でもこうも思う、なんでもないように人を仕向けるのは、まさに重大さの仕事でもあるのではないか。)

因果関係が得意とする時間の流れで、物事を考えていくと、あらゆる事象は方向感覚を失い、全く別の星座の布置が現れてくる。そこで重大さは一人の主人公になり、良い船乗りは操り人形になる。船乗りは船や天候を予測しているのではなく、海や重大さが、船乗りをそう仕向けているだけなのだ、この地平では。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?