書いたものの意味

作文とか感想文とか、ぜんぜん得意じゃなかった。
忘れもしない、中学生のとき。運動会の作文を書いたら「淡々としすぎている」と、先生からご指摘をいただいた。性根がヤンキーな人間がそういうことを言われると、「二度とそんなこと言えねぇようにしてやっからな」となるわけで、これでもかというほど感情がこもっている風に書き直して提出した。「すごく良くなった」と褒められた。その前から苦手だったけど、それ以降は余韻を残すような文章を書くのがいっそう苦手になった。
当時は、個人の作文や感想文に対して、良いとか悪いとか評価をくだすこと自体にも疑問を抱いていた。だって、めっちゃ丁寧に指導しないと、個人の感情の持ち方にまで評価をくだしかねないじゃないの。
今となっては、他者に伝わりやすい文章の形式を学ぶという目的があったと考えれば、作文や感想文の意義がわからないでもない。型を覚えるには、いったん無個性になる必要があるということなんだろうか。やっぱりなんかイヤだけど。

そんなんだったから、自分は文章を書くのが得意だ、好きだなんて一度も思ったことがない。今でもそうは思っていない。でも、みんながサボりがちだった、担任の先生に毎日提出する日記のようなものは、なぜか毎日びっしり書いて出していた。枠からはみ出るくらいに。先生も気合いを入れてコメントを書いてくれることがあって、それを読むのもおもしろかった。
ちょうど同じくらいの時期、しょっちゅう下痢をする子どもだったので、よく保健室で寝ていた。保健室には生徒が自由に書き込めるノートがあって、私は保健室に行く度にマジでどうでもいいことを書き込んでいた。
ある日突然、いつのまにそれを読んでいたのか、保健室の先生から「ブログとか書いてみたらいいんじゃない?」と言われた。ちょうどブログなんていうものが流行りはじめた頃だった。私は調子に乗って、すぐにブログを始めた。ブログを始めてすぐに、当時流行っていた個人サイトで日記を綴るというのにのめり込み、慣れないHTMLのタグをぽちぽちと打ち込んだりしながら、クソ雑な作りのサイトで日記のようなものをひたすら更新していた。それは、大学生になるまで続いた。

高校生になると、ざっくりいえば現代文が小説と評論に明確に分かれるようになった。小説の読解、これがほとんどできなかった。登場人物の心情にあてはまるものを選びなさいとの設問があったとする。まず、選択肢に答えがあるようには思えないので、消去法で選ぶしかなくなる。そして間違う。もう嫌だ!!!!の繰り返しだった。その一方で、なぜか評論の読解はできた。
ある社会科系の授業では、教科書ガン無視で、ひたすら日常的な物事について反論文を書かせるというものがあった。なぜか私はスラスラ書けたし、評価はいつもSだったし、皆の前で「こういうことをこういう文章で書けたら、かっこいいよね」と言ってもらえたこともあった。すごくね?もう調子に乗りまくりマンボーだった。
普段なら口にしたら生意気とか子どもらしくないとか怖いとか言われるようなことを、反論文っていう形で書けば褒められる。文章に感傷的な余韻を残す必要もない。しかも、個人サイトでいつも書いている自分の考えを活かすことができる。
ハッピー!!!こういうことをずっとやっていきたいわ!!!って思ったけど、それがどういうことを指すのか、当時はわからなかった。

そして、今に至る。
もう書くのが面倒だから過程は省略しまくるけど、なんかとりあえずネットではずっとてきとうに書きなぐり続けてきた感じがある。ネットじゃなくて実生活でも、ってネットも実生活の一部だろうけど、紆余曲折あってなぜか書きものをしなきゃならない道にいる。どうしてこうなったんだ。
今までの人生を振り返っても、これから先の人生を考えてみても、そしてまさに今この瞬間も、書くことからは離れられないんだよね~。なんでだろう~。ふしぎ~。
だから、私の書いたものが誰にどれだけ読まれようが読まれなかろうが、誰かに影響を与えようが与えまいが、私の書いたものという時点で、すでに少なくとも私にとっては意味のあるものなんだよね。いや、時と場合によっては他者からの評価もめっっっちゃ大切だけど。
たまに「自分の書いたものに意味なんてない」って書いている人を見かけると、意味あるって言えよ!?!?って思う。なぜなら、私は自分の書いてきたクソほど下らないことについても、意味があるって思いたいから。そうじゃないと意味がないから。今までの私とこれからの私をつなげるものがなくなるから。それは言いすぎか。

ここを見ていると、「日記」のハッシュタグを付けているのに、ぜんぜん日記っぽいことを書いていない記事も多くて、人の日記を読むのが好きな身としてはしょんぼりする。閲覧数稼ぎ、ハートマーク稼ぎ等々が目的なんだろうとは思う。どうすればたくさんの人に読んでもらえるのかをテーマにしている記事もたくさんある。そりゃ、閲覧数やハートマークが増えたら嬉しいけどさ。WEBライター志望らしき人が少なからず存在しているサイトだから、そういうのも需要あってのことだと思うんだけど。需要とはなにか、みたいな。
まぁいいや。これからも閲覧数稼ぎだけが目的のようには見えない、淡々とした日記雑記を読んでこ~~っと☆⌒(>。≪) イェーイ

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