尊重

今年の春に会社を退職したはずなのに、もう3年くらい前のことのように感じる。ある友人は、わたしが会社員だったことすら忘れていた。どんだけ。春から今まで、それだけ濃密な時間を過ごしてきたということなのかもしれないけど、自分としては、比較的穏やかに地に足をつけて日々を送ってきたような気がしている。元気じゃなくなったから退職したわけではないのだけど、退職してから元気になったねと言われるようになった。今の生活のほうが忙しくはあるのだけど、具体的な怖いことは何もないのに「寝たら明日が来てしまう」という恐怖からむやみやたらに夜更かしすることもなくなった。うそ。なくなってはいないけど、少なくはなったと思う。

世の中の意図をもって脱サラ的なことをする人の多くは、経済的な余裕がすでにあるか、脱サラしても生活をつづけていけるくらい稼いでいくことのできる見通しがあるのだと思う。わたしにはなかった。生活の見通しがたたなかった。奨学金という名の借金の返済もしていたし(まだある)、いろいろあって引っ越したばかりだったこともあり、貯金もあんまりなかった。もし経済的に困窮した場合にも、頼れる相手はいなかった。笑うわ。でも、もう次にやることを決めていたので、スパッとやめてしまった。本当におすすめできない辞め方だわ。会社員を辞めただけで「スゴーイ」と言ってくれる人もいるけど、それだけなら何もすごくないよ。むしろアホだよ。夢を追うのは個人の勝手だと思いますが真似はしないでくださいと言いたい。

あたりまえだけど、今までは給料から天引きされていたもろもろの税金や保険料なども、すべて自分でうまくやりくりして支払っていかなければならなくなった。今年の家計の負担で一番大きかったのは、間違いなくそれらの出費だったと思う。同年代は稼げるようになってきていて、ボーナスを何に使おうとか言ってるし、貯金どころか資産運用とかまでやっちゃってるの。一方、こちらはエクセルの家計簿でお金を管理するのに必死。自分で決めたことだから後悔はしていないし、金銭感覚が多少一致しなくてもわたしの個性を尊重して親しくしつづけてくれている良い友人たちがいるからこそ、惨めになることもなく息ができているけど、もしそうじゃなかったらどうなっていただろう。

まあ、でも、そういう意味でも、地に足をつけて歩いているのかも。なんていうか、自分の足を地につけて、自分の足で歩いている感じ?会社で働いている人が自分の足で歩いていないという意味ではないです。会社で働いていても、自分の足で歩いている人はたくさんいると思う。しかも、ひとりだけではできないようなことを、自分の足で背負ってやっているわけ。そういう人って、どこで働いていたって何をしていたってたぶんかっこいいじゃん。知らんけど。わたしもそうなれたらよかったのになって、たまに思う。入る会社を間違えたのか、職種を間違えたのか、それともわたしに何かが見えるようになるまで続ける忍耐が足りなかったのか。もしくは、会社に入る前に「こういうことをずっとやっていきたいわ~~~でもアホだから無理だわ~~~」ということを見つけてしまったのが間違いだったのか。いや、間違いではないか。

相変わらずわたしはアホなままだけど、なんとかここまで生き延びてきた。生活の見通しもそれなりに立った。もやしばっかりの生活なんてしていないし。つーかもやしをバカにすんなよ。あとは健康でいること。これが重要だ。健康じゃなくなるとお金もかかるし、お金を稼ぐことも難しくなる。あとはあとは、「一般的にはこうなんだから、こうしないとダメ!」みたいに押し付けてこない、わたしの性格や選択を尊重してくれる人たちが周りにいるのも大きい。優先じゃなくて尊重ね。優先と尊重って線引きが難しいけどね。優先より尊重のほうが、対等な関係性を志向するニュアンスがあると思うんだよね。使いどころによりけりだけど。うん。

こ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?