病気願望

 こんにちは、何事も恙なく続かないことで有名な僕です。
つい先日noteの更新頻度を上げると言っていたのが嘘のようです。

嘘にならないように頑張ります。

最近は僕の住んでいる神奈川県も待ちに待った梅雨に入り、それはそれは楽しくて仕方ない日が続いています。おかげさまで大学の授業も出席日数が足りず、4単位落とすことが確定しています。


 さて、これを読んでいる方で、病気願望があるひとはいますか?

「何を言い出すんだ!」「病気で苦しんでいる人に配慮はないのか!」
そういった声も聞こえますが、そこはいったん御容赦いただいて。

というのも、私には病気願望があります。
恐らく皆さんにもあったと思います。今あるかは別として。
例えば小学生の時、どうしても学校に行きたくない時には仮病を使ったことが誰しもあるでしょう。

「お母さん、おれ熱あるかもしれない」
「うん、それが言えるってことは元気だ、行ってこい」
もしくは
「じゃあ体温計もってきて」
トコトコ…
「はい!」ワクワク
「体温計を急いで取る元気があるなら大丈夫だ」

それとなく説得され、見透かされ。なんだかんだ学校に行くものです。

「あーあ、ホントに熱があったらなぁ」


 万人が持つこの願望は、いつの間にか無くなっていたり、克服したりするものなのでしょうが、僕はまだ、仲良しこよしの関係です。
なんなら一緒の墓に入るつもりです。

僕はサボり魔です。ですが、良心があるタイプのサボり魔です。
サボったらサボる分だけ気まずくなるのです。

そこで「病気」の出番です。この二文字に真実味が帯びた途端、サボりはサボりではくなります。


 僕は免罪符が欲しいのです。
自分が駄目人間でも許されるような、言い訳が欲しいのです。

何をしていなくてもみんなからチヤホヤされて、浮かれていたいです。

皆そのはずです、僕もそうです、でもなぜか人が目立つ姿だけが目についてしょうがないんです。頑張る姿がイヤというほど。


 駄目人間で居たい、という願望があっても、そうある訳には行きません。プライドもそうですし、なにより周囲からの信頼があります。いくら自分がダメでも、彼ら彼女らからの信頼は失いたくありません。


 ということはやっぱり僕は、駄目人間でしょう。良くありたいという願望があるだけ、改善点も見えているのに実行せず、そのくせ世間体ばかりを気にして。自己中心的とは正に僕のことでしょう。この言葉に少しばかり服を着せて、小さいおつむを足せばきっと僕になります。



明日は早いので、ここらへんで終わりにします。
上手くオチが付かなかったのはご容赦くださいね。


ありがとうございます。失礼します。

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