「課題の分離」について
数年前ベストセラーとなった「嫌われる勇気」
本書での大きなトピック「課題の分離」について論じていこうと思う。
こちらの言葉は人生観を変えてしまうような大きなインパクトがあり、自分自身も大きな影響を受けた。
しかしながら、こちらの解釈を少し間違えてしまうと、「大きなインパクト」が悪い方向に働いてしまうのではないかと思う。
「課題の分離」とは
ここで詳しく説明するのは面倒なので簡単に説明すると、
対峙した課題が「誰の課題なのか」を分析し、相手の課題には踏み込まず、自分の課題に注力するというものだ。
この考え方によって、「相手から自分への評価」を考えることが少なくなり、生きやすくなったという人も多いだろう。
少しの間違い
では、課題の分離に感銘を受けた人が次のような行動をしたらどうだろう。
今までは一度受けた誘いを、気が向かなくなったという理由で断ることはできなかった。なぜなら相手に対して失礼だと思っていたからだ。しかし、私は「嫌われる勇気」を読んで変わることができた。自分の気が向かないのであれば勇気を持って断る。どう思うかは相手の課題だ。自分には関係ないのだ。
何かが足りない
一見すると課題の分離をうまく使用しているように見えるが、これではトラブルとなるのが想像に難くない。何かが足りていないのだ。
もう一度課題の分離を簡単に説明すると
「誰の課題なのか」を分析し、相手の課題には踏み込まず、自分の課題に注力する。
先の例では前半部分しか実行できていない。後半部分の「自分の課題に注力する」を何も行っていない。
課題の放棄
上記の例では課題を相手にぶつけているだけで自分は課題を何も解決していない。
これでは課題の分離ではなく、課題の放棄に他ならないのではないか。
どうすればいいか
課題の分離をしたら自分の課題に目を向けよう。
上記の例での自分の課題は「その予定を楽しくするためにはどうすればよいか」「気が向く日程にリスケしよう」などと考えることだ。
相手の気持ちを汲もうとしすぎるあまり、精神的に疲れてしまうのは良くないが、「課題の放棄」は人間関係の崩壊を導いてしまう。
自分の課題を発見し、そこに注力することを忘れないようにしよう。
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