ぼくの夏休み
大阪で生まれ育ったぼく
幼い頃から毎年、夏休みの期間中に5日間程おばあちゃんの家がある長崎のとある島へと遊びに行く。
だけど留学やコロナで中々帰れず今回は5年ぶり。
僕が小学校の頃は島民は千人を上回っていたのに今じゃ四百人前後
若者は殆ど居なくなりじいちゃんばあちゃんしか住んでいない
だけどそんな島に行くと目に映る景色、匂い、気温や湿度、音、食べ物、文化、何もかもがここでしか見られない物ばかり。
やっぱりダメだ。
何度チャレンジしても今の自分じゃあの島で感じた物をここに文章で描けない。
だから少し写真の力を借りようか、
僕が撮る写真から読み取れる物なんて一厘にも満たないけれど、それでも何か残しておきたくて。
こうして見るとやっぱり違う。
いつも島に帰るたびに写真を撮る。
けどぼくがいつも撮る写真は他人に島の魅力を伝えたい気持ちが強すぎて他人に伝わりやすい写真ばかりを撮ってしまう。
どの写真も大好きなんだけれどね。
でも本当に伝えたいのはそこじゃないんだよ。
切ないな、この気持ち。
誰にもわからない。ぼくにはダイヤに見えてるものを撮ると石ころが写る。
違うんだよ!角度のせい、明るさのせい、反射のせいで石ころみたいに見えるけれど本当にダイヤなんだよこれ!
目の前に現物が用意出来たら良いのに。
いつもそんな気持ち。
だからあの島があの島のままであり続けられたんだけどね。
そう自分に言い聞かせながらぼくの夏休みは31日を迎えた。
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