天の果ての決闘
天の果てとも言うべき地平線に光の戦士ウェーべライト・アイレスバロウはいた。
生きるのに意味がないのだから、終わりこそが唯一の幸福だとのたまい、人々のささやかな善意を侮辱した〈終焉を謳うもの〉には然るべき報いを与えた。
英雄としての仕事はこれで終わりだと光の戦士は思った。
だが……
「……戻るのか。お前を、英雄たらしめる世界に」
ゼノス・ヴェトル・ガルヴァスがそこにいた。
「ええ、わたくしの仕事は終わりました」
「ならば、ここで聞け……ただのお前としてな」
彼は情熱的に語った。命を燃やすことの喜びを。その喜びが光の戦士にもあると。
「外からお前を定めるものは、なにもない。思い出せ……! 武器を手にし、技を会得した時の高揚を。新たな脅威、未いまだ踏破せぬいただきを目にした時の欲を! 命を費やさねば得られぬ喜びがあったはずだ」
ゼノスの言葉を聞き届けた光の戦士はどう答えようか思案する。
先ほど彼はこう言った。「外からお前を定めるものは、なにもない」と。
ならばエオルゼアの英雄でもなければ、アイレスバロウ家のメイドとしてでもない、ただのウェーべライトとして答えようと思った。
「いい加減、お前にはうんざりだ」
光の戦士は中指を突き立てる。
さすがのゼノスも、かすかにぎょっと驚く。
もしも今の彼女を暁の仲間が見たらどう思うだろうか? アリゼーやグ・ラハ・ティアは卒倒するかもしれない。
こんな乱暴な振る舞いはいつぶりだろうか。子供の頃の彼女は粗野で少年のような振る舞いをしていた。しかし、アイレスバロウ家でメイドと冒険者の教育を受ける内に、家名に恥ずかしくない振る舞いを心がけるようになった。
でも、今くらいはそれを忘れても良いと思った。
「とはいえ、〈終焉を謳うもの〉との戦いでは助けてくれたからな。義理を返すために、お前との決闘に付き合ってやる。そしてもう二度と、オレに付きまとわないよう、この場で始末してやる」
ゼノスはにやりと笑った。
「……ハ。やっと本気で俺を殺す気になったか」
この時の彼は、歓喜とともに生まれて初めて優越感を得た。
ゼノスにとって、超絶の強さも、雲上人のような身分も、持っていて当たり前のものだった。故に、それらは彼にとって優越感には繋がらなかった。
だが、今は違う。
ずっと恋い焦がれていた相手が、本当の姿を自分にだけ見せてくれているのだ。こんなにも気分が良いことが他にあるだろうか。
光の戦士は両の拳をぶつけ合う。
そして、構えた。
「来いよゼノス」
「武器を使わないのか?」
「オレのガンブレードは、善良なる人々の命と尊厳と生活を守るための剣だ。断じて、気に食わないヤツをぶっ殺すための凶器なんかじゃない」
武器を使わないから弱いとゼノスは思わなかった。
友が殺すと宣言したのだ。なら素手でも自分を殺せるに違いないと確信していた。
先手はゼノスだ。
彼が大鎌を振るうと、刃から切断性の衝撃波が放たれる。
光の戦士はそれを手刀で弾き飛ばした。
いつの間にか彼女の手にエーテルの輝きが宿っている。
人が手にした最初の武器とは何か。剣? 槍? それともただの投石? そのどれもが違うことを光の戦士は示していた。
原初の武器。それは人体そのものだ。
人には獣のような爪も牙もない。だが、人だけが洗練された暴力を行使する。
それはつまり、人体こそが暴力を振るうのに最適な形をしている証拠である。
光の戦士が踏み込む。十数歩分の間合いを一瞬で詰めた。
彼女は下から突き上げるようなボディーブローを繰り出した。
ゼノスは大鎌で受け止める。
大砲の直撃のような衝撃に彼の体がぐらりと揺れた。
すかさず、光の戦士は鋭いローキックを叩き込んだ。ゼノスは完全に体幹を崩し、前のめりに倒れかける。
光の戦士がゼノスの前髪を掴んだ。
「おらぁ!」
そのまま引きずり下ろしながら額に膝蹴りを叩き込む。
ガレアン人の特徴でもある〈第3の目〉にヒビが入る。
「もう一発!」
光の戦士は二度目の膝蹴りを叩き込もうとしたが、攻撃を即座に中断してバックステップした。
ゼノスの背後からアヴァターが現れて攻撃してきたためだ。
彼はリーパーだ。契約した妖異、アヴァターを使役して戦う。
「ハハハハ、いいぞ友よ!」
ゼノスが笑う。まるで美女から頬に口づけされように。
「ここに至って、武器など無粋! 拳で戦わねば楽しめぬものよ!」
彼は大鎌を投げ捨てる。そしてアヴァターを自分の体に憑依させ、妖異化する。
「さあ、もっと俺を楽しませてくれ!」
「黙れ、変態」
二人の拳が正面からぶつかり合い、空気が震えた。
打撃の嵐が生じた。
常人ではもはや目で追えないほどの速度で、二人は激しい殴り合いを繰り広げた。
「楽しい! 楽しいなぁ友よ!」
「そうかい! それは良かったな!」
光の戦士にとってこの戦いが全く楽しくないと言えば嘘になる。だがそれは口にしない。言えば相手を喜ばせるだけだ。
ゼノスの気持ちは理解はできる。共感も少なからずある。
だが友情というほど強い共感はない。
なぜなら、光の戦士にとって暴力だけが人生の楽しみではないのだ。
誰もたどり着いてことのない土地を見る。未知の存在を発見する。強敵を倒す誉れだけが冒険者の喜びではない。
故に、光の戦士は決してゼノスの親友にはならない。
「シャァ!」
ゼノスが杭打ち機のような手刀突きを繰り出す。
光の戦士はわずかに横にずれてそれを交わした。妖異化した爪が彼女の頬をかすかに切り裂く。
攻撃の後で伸び切った腕に光の戦士が足を絡めながら抱きつく。
腕ひしぎ十字固めだ。全身の力を込めると、彼の腕がミシリと音を立てた。
「でぇい!」
ゼノスは腕を振り下ろし、しがみつく光の戦士を地面に叩きつけた。
かすかな地震が起きるほどの衝撃。
「あぁっ!」
光の戦士は腕を放してしまう。
ゼノスが頭を狙って踏みつけようとしてくる。
紙一重で踏みつけを回避する。そして彼女は逆立ちの姿勢で起き上がり、蹴りを連続で繰り出した。
連続蹴りを腕で防御したゼノスが、反撃に回し蹴りを繰り出す。
光の戦士は両腕の力を込めて飛び上がり、攻撃を回避した。
彼女はそこから連続でバク転して、一旦は間合いを取る。
攻防が途切れた。
二人の激しい息遣いが、天の果てで鳴り渡る。
光の戦士が仕掛けた関節技はゼノスの靭帯を完全に破壊していた。
一方でゼノスが光の戦士を叩きつけた時、彼女の背骨は砕けていた。
にも拘わらず二人はまるで無傷であるかのようあった。
天の果てには想いを現実化する超自然の燃料、デュミナスが満ちている。それが二人の負傷を瞬時に治療したのだ。
小手先の技など不毛。二人はそれを理解した。
必要なのは一撃必殺。デュミナスで回復する間を与えずに即死させるのだ。
二人はそれぞれが考える一撃必殺をデュミナスに注ぎ込んだ。
光の戦士の手刀が白く輝く。心優しき人々のささやかな善意を踏みにじろうとする悪意を退けるための力がそこにあった。
ゼノスの拳に昏い炎が宿る。暴力の中にしか喜びを見いだせなかった怪物の暗黒闘気が灯っている。
二人は同時に攻撃を繰り出した。
しかしその速さは、ほんのごくわずか、達人でしかわからない差ではあるが、ゼノスのほうが上回っていた。
昏い炎を宿した恐るべき拳が光の戦士の胸に叩き込まれた。
そして、暗黒闘気のデュミナスが彼女の心臓を貫く。
ゼノスは勝利を確信した。生涯最大の相手に勝利した喜びの中に、これ以上の戦いは二度と望めない寂しさがあった。
それが彼に決定的で致命的な油断をもたらした。
光の戦士の胸に穿たれた傷が一瞬で消える。
善なる世界へと帰る強い生存の意思がデュミナスに乗り、即座に回復させたのだ。
その必殺は、必殺に一歩届かなかった。
輝く必殺手刀が、ゼノスの首を刎ねた。
宙を舞う彼の首は無邪気な少年のような笑みを浮かべていた。
「見事だ! 友よ!」
「あばよ、ゼノス」
光の戦士はゼノスに向かって中指を突き立て、そのままバタリと仰向けに倒れる。
視界いっぱいに星空が広がる。精も根も尽き果てた。
光の戦士は眠るように目を閉じる。
その間に、どうやら仲間のもとに戻れたようだ。
目を覚ました時、最初に写ったのは泣きそうなアリゼーの顔だった。
「皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
その時の光の戦士は、世界を救った英雄にしてアイレスバロウ家の冒険者メイドに戻っていた。