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声の仕事をしていろいろ反省している話

高校野球の実況と朗読の発表会。
7月にひかえていたこの二つのビッグイベントを無事に終え、今週は束の間の休息といったところでしょうか?
もちろんいろいろと雑務や畑仕事もあったりするので、日々それなりにせわしなく動いてはいますが、とりあえずホッと一息ついての、今週のポッドキャスト📻

実況も朗読も、言葉が体に染みこんでいないと、はっきりと声にならない。
曖昧なままだと伝わらないし、聴く人に届かない。
そんなことを、今回の仕事を通して感じました。

ショートゴロのダブルプレーをどう表現するか。
高校球児たちがノックで何回もその練習を繰り返しているように、声を出すこちらとしても、その練習は欠かせない。
フライが上がるとどこに飛んでいるのかボールを見失うことも多く、レフトフライだと思っていたものがショートフライだったり。
信じられないかもしれないけれど、1塁と3塁を言い間違うなんていうハプニングもあったり。
ホームランの軌跡をただ黙って見つめていたり。
準備不足はそのまま仕事に影響するその怖さを実感したものです。

朗読に関しても然り。
繰り返し読んで、言葉を文章を、内容を、世界観をしっかり自分の身体に染みこませていないと、ただの棒読み、ただの音読になってしまい、聴く人の心に伝わらない。
以前、朗読の発表会で、アンケートを取ったところ、コメントに、
「聴いている人の脳裏に『言葉』が浮かんでくるような朗読だとダメだ」
といったようなことが書かれてあってハッとしました。

しみじみ朗読が難しいと感じるのは、『声』だけですべてを伝えること。
もちろん、描かれている場面や心情といったものを声だけで表現するのは難しいし、実際には書かれていない、行間にある時間の経過や心情の変化、そして物語に漂う雰囲気みたいなものを自分の声ひとつで表現していくのはなかなか難しい。

映像も音楽もないとなると、なおさら刺激が少なくって飽きてきちゃうし、長いこと声を出していると疲れてくる。集中力や持続力といった精神的な強さも必要となって来る。

その難しさが逆に楽しさでもあるんだけど。
ようは、体に染みついていない言葉は、いくらテクニックでごまかしても聞く人には伝わらないんだなぁ…と思ったものでした。

やっぱりそれなりに練習の量も必要だし、場数と経験も必要なんです。
実況も上手くなりたいし、また朗読会もやりたい!

今は少々燃え尽き感もありますが、また次のお仕事、次の現場へ向けてしっかり準備をしようと、そう心に誓ったのでした。

実況を聴いてくださった皆さん、朗読会に足を運んでくださった皆さん。
ありがとうございました!

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