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言葉を扱うこと

昔、とある恋愛リアリティー番組で見た一コマが強烈に今も心に残っている。

「言葉はね。とても強くて難しくて、だから扱い方が分からなくなるの。相手にこれを言ったらどう思うかなとか、この言葉を使ったことでどうなるか。本当に想像するだけでも怖くなることがあるの。だから、私は言葉にできないの。考えて考えた結果、やっぱり言葉にできないの。だって、言葉って強いから」

確かこんな風な内容だった。僕にはそのシーンが今でも心の中にずっとべったりと張り付いたままだ。いつでも取り出せるほどに、大切にしまっている。

これを見たときの感覚は衝撃とは違う、キラキラと光る素敵な宝物を見つけてしまったようだった。当時10代だった自分が、考えることができる範疇を大きく超えたその言葉たちを、僕は大事にとっておこうと思った。

歳は25歳くらいだったろうか。その女性が丁寧に慎重に言葉を紡いで、しばしば息が詰まるほどの表情を浮かべながらも、この曖昧さを懸命に伝えようとしていたその様は本当に、守りたくなる弱さと聡明な強さが折り重なりとても美しかった。今でも美しいとしか形容ができない。本当に残念だ。

年上のこの女性は、なぜここまで言葉を恐れそして大切に扱うことを選んでいたのか。深く考える機会はこれまで何度かあり、僕の人生の只中で節々に浮き出てくるこのシーンが、その周期を迎えまた僕の記憶の表面へと顔を出したので今これを書いてみている。

彼女はなぜあんなにも、涙を流し喉をうならせ、ぐしゃぐしゃになりながらも伝えたかったのか。あの頃はわからなかった。だが今なら、少しはわかる。その女性が言っていた言葉たちをもう少し大きな器で、あの頃取りこぼした分も含めて大いに受け止められる。そんな気がする。

あなたが言っていることは分かる。と一言で言ってしまえばさぞ簡単ではあるが、そんな言葉で解釈していいのだろうか。僕はその重さを感じてしまってから、それ以上動けなくなった。これを自分の聖書のように持ち歩き、だれにも害されないよう大切に保管していたいと思えるほどだった。

今僕の心には彼女の言葉が必要なのだろう。
別に会ったこともなければ、会いたいとすら思ってもいない相手に、ここまで心を揺さぶられた。自分の中にあるどうにも形容しがたい心の状態を言い当てられた。それがたまらく嬉しかった。そんな言葉をまた思い出しているだけの、それを思い出しては感傷に浸っている、取るに足らない男のエゴであるだけかもしれない。それでいい。

自分のコントロールが効くひとつとして、言葉があると思っていた。だがどうだ。言葉にできないと選択した先にあるのは、言葉にしてくれなかったという客観的な受け取られ方と、何もわかってくれていないという落胆へ移行することもあるのではないだろうか。今目の前の相手に必死に伝えようとする様を、まざまざと見せられたあの瞬間はもはや奇跡なのではないかとすら思ってしまう。コントロールをした言葉たちを生み出し紡いでも、そのすべては伝わらず、少し道を間違えばその先は暗い闇のような怖さもある。明確に理解されようとは思わないが、それでもコントロールできるのであればどうにか誤解なく伝えれたらそれが一番いい。

僕らは普段から発する言葉を、今以上に大切にしていかなければならない。本当にそう思っていても、なかなか言葉にするということは難しい。ただ、あの頃の僕が彼女の言葉に震えたように、どこかで誰かの言いたいことを代弁することもできるのかもしれない。言葉を大切にしていようと怖がる自分をそのまま許し、不格好でも全力で生み出す言葉一つ一つを抱きしめていけばいいのではないだろうか。丁寧にじっくりと、言葉をよりよく使える人間でありたいと思う。

結果として誰かを導く人でありたいと常思いながら。

あなたは言葉を、大切にしているだろうか。

僕は、もう少し時間がかかりそうだ。


 

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