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楢木範行年譜18 『はやと』第3号 昭和12年8月20日 

野間吉夫の所属した新聞社が鹿児島新聞か、鹿児島朝日新聞か、不明だったが、この雑誌にはっきりと鹿児島朝日新聞と書かれていた。

目次

西郷音次「郷土人の生活心意と嘘の階級的効用」
〔会員報告〕
多々良魚吉「精霊迎へ」「カイノコオツケ」「精霊箸」「ヒグラサア」「フケジロ」「屏風と手拭」「ミツバコ」「モロコユエ」「セロントモ」「精霊送り」「オトシレ」「大亀が舞ひ込む」「盆踊」「盆の禁忌」
兒玉幸多「盆休み」
楢木範行「シヨロムカヘ」他
中島馨「オセロサア」他
野間吉夫「スヽキ湯」他
古荘たつ子「ガラメウシ」
町田二次「垂水地方の盆」
基道広「喜界島のブン」
栄繁男「送り盆に就て」
〔しようかいとひへう〕
〔特別寄稿〕
野村伝四「笠ン原大根」
宮武省三「はま投げとゆすの木」
〔本会小規〕
基道広「鍋煤を塗る」
〔消息欄〕
〔例会の記〕
 第六回例会は六月十九日夜会員川邊氏に於て「鹿児島地方の郷土玩具」に就て川邊正己氏のお話をうかゞつた後、氏の苦心の蒐集にかゝるミユーヂアムを見して貰ふ。それでなくなつてもカゴ屋敷跡幽玄な庭を眺め、光琳の絵別誂へ備後藺の感触、それに婦人連の参加もあつて盛会であつた。出席者は左の通り。
宮武。内藤。兒玉。兒玉夫人。佐山。佐山夫人。島袋。築地。川畑。町田。中島。牧野。栄。楢木。野間。
 第七回例会は七月二十四日夜天文館通り明菓楼上に開催、会員内藤喬氏の「新島燃島の話」をうかがふことが出来一同稗益する所甚だ多かつた。尚この会には、かねて顔を合はすことの出来なかつた地方会員が二人まで出席された。特に宗鳳悦氏に願つて「県下の子守唄の地方性」を歌つて貰つた。当夜は丁度台風前夜で会員の足運びは鈍つたが、有意義な会であつた。
出席者は
宮武。島袋。築地。川邊。町田。西郷。山元(清徳)。楢木。野間。宗。栄。
〔新会員紹介〕
〔受贈図書〕
〔共同課題〕
眇(すがめ?)魚洞閑人「会員点描(一)」
宮武省三氏「研究会の長老。あの広かビンタとチヤビンが泛(うか)ぶ。小型飛行場位裕に出来さうである。笑ふ時は虚心坦口(懐?)を開て大いに笑ふ。宮武型として登録すべき、氏は讃岐の産。現大阪商船会社鹿児島支店長。この職務の関係で各地に転勤して居られる。転地だけなら余輩も右におちないものであるが、それにはそこでの豊富な見聞が付随してゐるから何となく事が穏かでない又近世の随筆書を渉猟されてゐることも会員中随一と言はねぼ(ば)なるまい。だからこの人が万一欠席した(そんなことは今後とも考へられない)例会は聊か灯の消えたやう。これを科学的に説明すると、照明器具の喪失といふことになるらしい。遮莫氏のこの方面の研究は、会での最年長中島(馨)君などがまだ子守唄に育つ頃からはじまつてゐる。現地(在)の御勤めから隠退したら自分の今まで書いた随筆を纏めて上粋する由。(宮武口調を借りれば)エヽ本ガデケマツセ。因みに宮武外骨とは何の関係もないさうだ。」
永井龍一氏「およそ大島郡の教育家にして氏の名前を知らぬ奴はモグリだ。それ程左様に島の顔役ではある。対談中上睨みに或ひは下睨みに襲はれる時は怖いみたやうなものだ。現在はもう先の奉職先鶴嶺女学校に自由なお勤めと聴く。氏の「南島雑話」(正、続)の出版は人のよく知るところ。この頃研究会への出席点は頗る低下した。」
楢木範行氏「差(羞)渋家であるかと思へば、冷い情熱家そして飽くまで小肥りの差渋家である。氏の研究態度はこの研究会で一番正しいやうである。お控えなせえ!彼こそ國學院という畑で折口仕込みの薫陶を受けたチャキチャキ。生れは日向、霧島最も肌寒き、真幸野の島内でごんす。と言えば、真幸野が何やら吹っ飛んでしまってじゃあ恁う言ったら序に勉強になろうというものだ。昔ニシメ(西目で川辺郡地方のものを総括的に言ったものか)の座頭が栗野まで来て、真幸に行って米を喰おうか菱刈に行って女を買おうかと杖占をしたら矢張り真幸の方に杖が倒れたという。それっくらい米は今でも自慢だとさ。次にこれは自慢にならぬ話(但し事楢木故人■に関する)。時により話かけても返事をせん悪い癖あり、心して矯正すべし。現在商船学校のハナハトマメの先生■きに上枠した「交易の研究」あり、又今年中に「真幸野の伝(承)」(仮題)をまとめると、鶴首される。」
野間吉夫氏「彼は物ごとが順調に運ぶときにはいゝが一度つまづくとだれ易い欠点がある。(これは当人が言ふのだから間違ひつこあるまいそれを楢木氏の冷えたる情熱が押すと言つた風。いゝコンビ彼は唯一の地ゴロ(土地ツ子)であるくせ余り知らん。聴くことが皆耳新しいと言ふ。このことは彼が永いこと故郷を捨てゝゐたことに原因する先ごろまで福岡に野良犬の如くルンペンをやつてゐた彼の研究はそこで山歩きをするに初まる。彼には山の頂を究めることは初めつから問題でなかつた山村を歩いてるのが何より好きだつたと言ふ。本年初沖(永)良部島に行つてダンゼンあらいそのいそのちまたにも興味を取つた戻つたらしい。大体海に近い家で生れた彼ではある。現在は鹿児島県朝日新聞社の三文記者悪口を吐けば新聞で叩かれさうだからこれ位にして置かう。」
川那部澄「盆の燈籠」
〔編集後記〕N=野間吉夫


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