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楢木範行年譜20 『はやと』第6号 昭和13年2月20日

目次

岩倉市郎「喜界島正月行事」
〔会員報告〕
楢木範行「トシノバン」他
山村左近太郎「十三日祝」他
基道広「年忘と鍋物」他
〔小規〕
野間吉夫「チカラメシ」他
中島馨「オネツケ」他
〔しようかいとひへう〕
○日向馬関田の伝承 楢木範行著 四六版 一九〇頁 定価七拾銭 本会刊
 著者は民間伝承の学に志を潜める事十年余に及び、我が鹿児島県に於ける正統的民俗学的研究の草分であり先達でもあつた。而して氏が柳田先生折口博士の深い薫陶を享け、然も地方の採集の豊富な技術を背景として、漸く今にして此の書を編まれた事は洵に意義あることである。
 その内容は父上のの話に求められたのであるが、先づ「わがむらに関する思ひ出から村、家、祭を語り、行事、産育、婚葬の習俗、更に生業、交易、ゆひ、食物の生活的の事に及び、ことわざ、妖怪俗信に終つてゐるので、宮崎のみならず我が県にとつても貴重な資料たるを失はないのである。
 只難を言へば、索引の配列が頁順に依つてゐる事で、語数が少いから好い様なものの、これでは折角の索引の役を果してゐない。
 併し流石に民俗資料の豊富な事は、充分聴き得ざる中に、父上を喪はれたのを憾みながら、今後重要な地位を占める程陸離たるもので、柳田先生の序にある如く、一刻も早く此の経験を利用しなければならない。此の著書が一契機となつて、鹿児島県、宮崎県の民間伝承の採集が大いに行なはれるなら、唯に著者の歓びのみならず父上の霊をも慰め得るのである。第十三春の初頭かくの如き好著を出だした事は洵に慶賀に堪へぬ次第であり、郷土に於ける学問の新たなる振起の前駆である。たゞ今後氏に一日も早く鹿児島の民俗誌を纏められん事を切望して止まぬ。」
川崎初江「十二月十三日」他
多々良魚吉「戦争と霊異 神様の出征のことなど」

◇第十二回例会
 十二月十九日夜高野山に開く。宮武、兒玉、楢木、鳥野、築地、川畑、町田、西郷、川崎の諸氏参集。野間吉夫氏の「ヴン・ゲネツプの民俗学」の紹介あつて、谷口熊之助氏の「人糞と農業」を拝聴。俗に「話は糞かぎり」と言うことがあるが、この夜ばかりは左にあらず、糞に初つて話の後も糞尚尽きずといふ有様であつた。
◇「日向馬関田の伝承」出版記念会
 本会発行楢木範行氏の「日向馬関田の伝承」出版記念会を、一月八日午後五時より山形屋社交室に於て開催した先づ野間氏挨拶を兼ねて、この書を出版するまでに至る経過を述べるところあつた。晩餐後楢木氏より「父と馬関田についてお話を窺ふことが出来た。当夜の出会者は前記の他、宮武、川邊、町田、田坂、安藤、野田、中島、西郷、坂口の諸氏であつた。
※坂口は、おそらく金海堂社長の坂口松枝であろう。

◇早川孝太郎氏に聴く会
 農村厚生協会嘱託早川孝太郎氏が一月十日来鹿児、十五日宮崎に向はれた丁度これを機会に、十四日夜高農記念館に開催、「村と家との問題」と題して氏の話をきく。尚右の話の後、氏を中心として座談会を開いた。当夜は宮武、楢木、町田、川畑、野間、内藤の六人だけで、氏の来鹿児が急々であつたので、全会員に通知する暇もなく、当日電話があるところだけを非常召集したいわけで、手廻しの不十分はくれぐれも残念であつたが、たゞ氏を中心としてかうした座談会を催すことが出来たことは不幸中の幸であつた。氏は又お忙しい身体で当夜本会のために貴重な時間をおさき下されたことを感謝する。

◇第十三回例会
一月二十九日夜高野山に開く。尚当夜は安藤佳翠氏に沖永良部島の「洗骨の話」をきく筈であつたが、通知の手違ひから時間になるも氏は見えず、その為に野間氏が代つて「薩隅の婢を繞(め)ぐる問題」を報告、安藤氏の「仙骨の話」は次回に廻すことになつた。当夜は宮武、楢木、川邊、町田、築地、川畑、坂口の諸氏が参集した。
〔消息二信〕
〔会員点描(四)〕町田二次、西郷晋次、基道廣、高橋義雄、川崎初江
〔鹿児島民俗研究会会計報告〕
兒玉幸多「講に就いて(三)」
〔編輯雑記〕
○実はこの一年は一つの実験台に過ぎなかつた。それにさきの共同課題もこれをもつて終つたと思ふわけではないが、まづ一巡することが出来たし、また本会の持つこの道の先輩宮武省三氏をはじめ、その他の方々に今後十分御執筆を願ふためにも、第二巻より編輯体裁共に一新することにした。
○今のところ菊版十六頁乃至二十頁位の予定で、これには多少纏つた研究も発表するやうにしたい。尚資料も別に共同課題は出さないが、各自自由に語彙を中心とし今まで通り出して貰へばいゝ。御期待をお願ひして置く。
(中略)
○之を以て第一巻の終刊とし、次号第二巻第一号より、前に述べたやうに筆硯を新たにして、諸兄に見えるつもりである。(N生)

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