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楢木範行年譜6 膝繰りの旅 ー郷土史学のためにー 昭和8年

掲載時期不明の新聞記事について、6月8日の日付はあるので、文章から掲載念を特定していきたい。
「今年の元旦に椎葉村(平家の落人の村と伝ふ)から鞍岡村に国見峠を越えた時痛切に感じた。」とある。「椎葉紀行」は、昭和8年8月『旅と伝説 6-8』掲載であるので、この記事が昭和8年6月8日以降の記事である。

まへがき

 旅にも数十種類ある、こんなにも交通の発達した今日に於いては、膝繰りの旅なんて、凡そ馬鹿々々しく感じられるに違ひない、しかし、この膝繰りの旅こそは、有史以前からの近世に至るまでの、唯一の旅の方法であつたと言つても、敢えて過言ではあるまい。
 試みに問ふ、鹿児島に育つた人或ひは十年も二十年も住んでゐて、塩屋の生活を、荒田浜の生活を果して幾人知つてゐるであらうか、市内永吉部落の、あの特異な生活形態を!私はそこらあたりの、自称モダンボイやモダンガールに、膝繰りの旅を強ひるやうな野暮ぢやない、しかし、天文館一円が鹿児島の真実の姿ではないことだけはいつて置く、あんな処は、帝都を始めとして、あらゆる近代都市には皆ある・・・模倣して途中で歪められてゐるかも知れないが・・・只郷土史学及び郷土教育に志す士、乃至携はる士には、断然膝繰りの旅を強ひる、膝を繰らなくちや郷土史学は、郷土教育は物にならないのだ、狭苦しい書斎で偶然に残された文献によつては、貴族と英雄との史学は成立するかもしれないが(勿論鄕士史学の一部ではある)全的鄕士史学は成立しない、
 私は此の方面の専門家ぢやない 古代文学を研究する内に、この方面に足を踏み入れてしまつた■が、後悔はしてゐない、必要を感じてからのことだから私は、この短い脚で歩いた足跡を跡りつゝ、膝繰りの旅の必要を語りたい、結局は同志の志を求めてゐるのです

一、麓の道

 歩くのも悪かないが、あんなに自動車や馬車の往来が頻繁ぢやたまらない、埃と悪臭と恐怖とで。御尤もです。しかし、此の道を歩いたら失望するに決つてゐる。此の道は国道や県道で、我々の祖先達が歩いた道ではないのです。地図を披らいて見ても、国道筋や県道筋には村落は少ない。距離を短縮するために、畠や田圃を突切つてゐる。鉄道線路はそれが甚しい。たまたま村落を過ぎてゐても商人が進出してゐて、住みつきの人達は通りから引つ込んでゐる。
 我々の祖先達は膝繰りなるが故に水を求めて歩いた。恰もキヤラバンの群のやうに。そして、其処に住みづきもした。其処は麓であつたのだ。この麓の道を歩けば必ず水がある。古井戸であつたり、出水であつたりする。そして必ず老樹が繁つてゐる。西行ならずともしなし足をとゞむるにふさはしい限りである。其処は麓の歴史の掃溜でもある。我々はその麓々を縫ふて歩くことに依つて始めて有意義である。もう其処には、埃も悪臭も、恐怖もなく、只祖先達の足跡がなつかしく感じられるだけだ こんな処に来たら、膝繰を止めて成るべく老夫婦の家に宿を求むべきである。決して、村長や区長の家であつてはならぬ。村長や区長は歓待するかも知れない。善くシヤベルに違ひない。しかし翌日小学校を訪れて、郷土誌を借りて見たら、分る。いやそんなことは中央の図書に行つても分る。彼等は智者なるが故に、他所者には一番我々が希望してゐる所を語らないから失望する。
 一方老夫婦から話を引き出すことは困難である。非常な努力も必要であるが、爐を囲んで対座したりすると、不思議に話したい遺伝的衝動に駆られるのだ。この機会を捉へ得たら、ポツリポツリと話す素朴な言葉は貴重な資料である。語らせることだけではいけない。こつちにたまには語るし、彼等のすゝめるものはどんなにまづくとも喜んで食べることを心掛けてゐる必要がある。

二、隘場より川内

 我が鹿児島県位川内(コチ或はカハチ)と迫(サコ或はハザマ)の地名の多い処は恐らくあるまい。柳田国男先生は、川沿ひの道を辿つて行つた人々が、隘場の次に見出された相当のひろがりのある土地に名付けた地名であると教へられる。試みに川内川を遡つて見ませう。川内も地形から言へば正しくカハチ或はコチである。私はカハチとかコチとか云つた時代が確かにあると前から信じてゐる。
 薩摩伊佐両郡境のアバを過ぎると珍らしく広い袋(福良)形の大川内がある。大口の語源を私はこゝに求めてゐる。
 その上流の栗野吉松の両村境のアバを過ぎると又川内になつてゐる。その中央部に加久藤(カツツ)村がある。柳田先生はカクタウと読まれて、人吉に越える加久藤越の峠(タヲ)からの名であるとされるが私はさうは思はない。土人は決して、カクタウとは言はないでカツツと云ふ所から推してもさうだ。

三、峠の道

「今年の元旦に椎葉村(平家の落人の村と伝ふ)から鞍岡村に国見峠を越えた時痛切に感じた。」とある。「椎葉紀行」は、昭和8年8月『旅と伝説 6-8』掲載であるので、この記事が昭和8年6月8日以降の記事である。

四、水と村落

五、結語

今後、入力していくが、取り急ぎ関連部分のみ書き出しておく。


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